見出し画像

AC:ヒッチコック裏窓チック(ポレンタのフリット)

 昨日も「ヒッチコックの『裏窓』でジェームス・スチュワートに覗かれているダンサーみたいな格好して、私は屋上でストレッチをしていた」みたいなこと書いたが、たぶん最近自分がよその人のうちを覗くことが多くなったから、知らず知らずのうちにそういう気分になっていたのだと思う。たぶん覗いているし、覗かれている。それを背中で感じながら行動している雰囲気。これって本来地域コミュニティにかつて当たり前のように根付いていた意識だと思う。

 覗くというと語弊があるのかもしれないが、つまり今大人も子供もみんな家の中にいる。みんな同じ時間帯に大抵家の中にいて、同じような時間にお昼を食べて、同じような時間に家の前で子供たちが遊んでいる。このAfter coronaで近所の様子がやっと見えてきた。近所にこのぐらいの年代の子供がこんなにいるのだとか、ここのおうちの奥さんは知っていたけれど、旦那さんはこういう人だったのか、とか。すれ違えば、みんな以前よりお話をする気がする。みんな家族以外の人との会話に飢えているのかもしれない。近所の人の知り合いが増えた。またしてもACの副次的産物だ。

 友達にまでならなくても、顔を見知っているだけで、信用感が生まれる。たぶん近所の騒音が「騒音」に聞こえなくなったり、赤ちゃんの泣き声がしてうるさいなーって思ってた人も、「まーあの子が泣いてるわ。可愛い声。」という具合に捉え方が変化する。個人、個性が明らかになってくると、自ずと関係が生まれてくる。誰かが着ていた古着よりも、友達の古着の方がよっぽど抵抗感なく着られる。

 最近生活のシンプル化というか、家の中が気になり出すのであろう、断捨離をしている人が多いため、家の前に「ご自由にお持ちください」という札と共に、お皿とか古着とか、庭で増えすぎた花々の鉢分けしたものが置いてあったりして、うちの周りがちょっとした蚤の市みたいになっていて楽しい。それにみんな大切にしていたものなんだな、って思うと受け継ぎたくなる。

 話は一旦戻って、実は本当に他人の家を覗く時もある。子供と散歩をしていると、子供が他人のお家の門を開けるのが好きなのだ。そしてそのお家の中にまで入ってしまう。(私が追いかけるとケタケタ笑うので、たぶん隠れんぼか何かのつもりなんだと思う。)普段は「こら!」と怒りながら子供を引きずって出てくるのだが、そこが偶然、築何十年の私好みの家だったりすると実は子供を少し泳がせて、追いかけるふりしてチラチラ見ながらどんどん家の中に入っていく。(すみません。。)すると、門から入って突然空間が開け、そこに現れる秘密の花園!(今は薔薇の季節だから余計そう見えるのかも)塀で囲まれた先には藤棚のある小さな庭!パアああーっと私の顔に御光が当たっているような気もちになる。はたまた雑草が鬱蒼と茂る昭和の空き地みたいなところが出てきてワクワクしたり。また、今では珍しいアーチ型の玄関のドア、柱だったり、外から見えないところにある円窓、たぶん今なら建築法違反みたいな後づけの部屋があったり、私はノスタルジックなきらいがあるけれど、しかしその時代とセンスにやっぱり恋い焦がれる。家はもちろんプライベートな空間なのであるが、それだけにとどまらず、大きくても小さくても、その人の城であって欲しいと私は勝手に思っている。そう感じられる家が今は少ないように思う。

 3−4年前にこの家に引っ越してきたまさにその日、まだ家具の設置をしている最中にインターホンが鳴った。家の前には明るそうな女性が子供2人を自転車に載せて立っている。

「すみません、突然!うちの子供がずっとずっとこの家が建つのを楽しみにしていて、『いつ出来るのかな、まだかな、どんな人がくるのかな』って楽しみにしてて、今日引越しされてきたようで思わず嬉しくてご挨拶にきてしまいました!」ととても屈託がない人。ちょっと警戒していた私の顔が綻んだ。なんて嬉しいんだろう。私たちはこの町に歓迎されている!とそれだけで思ってしまった。だいたい、本当は引っ越してきた側が近所に挨拶をして回らないといけないのに、先に向こうから来てくれたなんて!

「引っ越してきたばかりでまだガスとかも使えなくて料理もできないんじゃないかな、ってお惣菜買ってきたので食べてください!ここのラザーニャ美味しいんです。」

もはや驚くばかりの優しい人。本当にその通りで、もうヘトヘトで料理する気なんてさらさらなかった。まだ周りの美味しいお店とかも知らなかったから、なんて気の利く人なんだろう!こんな他人の優しさに久しぶりに触れた気がした。

 しかしその後その人のお顔を見かけることがついぞなかった。一度お礼にお宅へ伺ったのだがその時は旦那様にしか会えなかった。しかしそれから家の前を通ってもいつもいるのは旦那様。もしかして奥様は元気そうだったけど御病気なのかしら・・・家の前を通る度に、少し心配していた。

 それがつい先日、道でいきなり私の名前を呼び止められた。私の横に自転車をぴったり止めた女性、その時、マスクもしていたし顔も忘れていたのだが、なんとなくピンときた。

「ああ!あの引越しの時の!ラザーニャの!」

 どうやら彼女はロシア宗教学の研究者らしく、本の執筆や出張、そして大学教師と、なかなか御忙しい方のようで、お会いできなかったのも無理もない。今はどこもオンライン授業なので、今度は家に篭りっぱなしのようだ。

「私は話が下手で、つい長くなってしまうんですけど」

彼女と話し始めたら、話が尽きなくて、掘れば掘るほど出てくる2人の共通点。こういう偶然ってなんでこんなに嬉しいんだろう。まるで3年分を取り戻すかのように話し続け、立ち話で1時間半以上話してしまった。子供は私の肩の上で寝てしまった。

 同日の夕方、家のポストには彼女が執筆した本と、何枚もの便箋に綴られたお手紙が同封されていた。手紙の筆跡からは私と再会出来たことの嬉しさが滲み出ていたし、私もそれを手にしてなんだかほくほくしながら家のドアを開けて、小学生が今日学校であったことを話すように、事の顛末を夫にだらだらと説明した。

 その後、お家に伺って御礼に焼いたパンを持っていったら、またまた彼女、実は最近パンを焼くのに凝り始めたとのことで話が盛り上がり、盛り上がりついでにロシア料理の本を貸していただいた。翌日、本の御礼にその本で学んだムチャディという付け合わせを作ってお裾分けした。ロシア料理でもあまりどこでも食べれるわけでない、珍しいムチャディ。とうもろこし粉の揚げ物である。さすが大国のロシア、これはイタリア料理のポレンタにも通ずるところがある。ポレンタは本来北イタリアの食べ物だが、フリットは何故か南のプーリアなどにもある。とうもろこしだからきっとどんな土地でも育てやすく安く手に入るのだろう。これはサルシッチャのトマト煮とか白身魚のトマト煮とかと合わせると合う。

 彼女の連絡先は知らない、けどポストに手紙を入れ合って、変な文通みたいなのが続いている。好きな絵のポストカードで、二人ともとめどなく、ちょっとずつお互いの何かおすすめなことを書いたりしている。

 今日も私はフレディ・マーキュリーみたいに綺麗にまっすぐ足をあげたくて、屋上で他人の視線を感じながら、けど見られていないという前提で足を四方向にあげる練習をしている。

画像1

<レシピ> 

ムチャディ(ポレンタのフリット)

ー材料ー

・ポレンタ(コーンミール、コーングリッツ)150g (粗めがいい)

・塩少々

・水2カップ

・小麦粉、溶き卵、パン粉(日本のパン粉だと粗いのでなるべく細かい方が現地っぽい。うちではイタリア流に硬くなって食べれなくなったパンを削って使う)

1. 鍋に水、塩、ポレンタを入れて火をかけ、固まってきたら30分ぐらい少し蒸らす。

2. 小判形にまとめる

3.薄力粉にまぶし、溶き卵をくぐらせ、パン粉をつけて揚げる(コロッケの要領)

※南イタリアで食されるポレンタのフリットは、ポレンタを作ったらそれをそのまま素揚げする。パン粉や卵は使わない。


イタリア映画特別上映会企画中です!あなたのサポートにより上映会でパンフレットが作れるかもしれません。もしよろしければサポートよろしくお願いいたします