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ウンベルト・D

 「ウンベルト・D」はVittorio De Sica(ヴィットリオ・デ・シーカ)1951年の映画である。デ・シーカも名作を数多く撮っているが、これは初期の頃のネオレアリズモ を代表する作品の一つである。

 ネオレアリズモ とは以前も書いたが新写実主義の意で、ハリウッドのまがいもののような映画の相反するところにある映画、もしくは反ファシズム的位置づけの映画である。(日本の戦時中しかり、イタリアもムッソリーニ政権時代、プロパガンダ的映画ばかりが撮られた)特徴としては主に3つ、①貧困層が主人公 ②俳優を使わず素人を使っているところ ③方言を使用しているところ このような工夫からより小さき民のリアルな状況に近い映像を撮っているのである。

 そういう観点から言えば、ウンベルトD(ウンベルト・ドミニコ・フェラーリ)を演じている人もその例に漏れず素人で、なんと大学の言語学者。見ていて全く素人感のない演技に舌を巻くが、とにかくこういうイタリア人いるよなあ、とふつふつと可笑し味が湧いてくる。見ていただくとわかるが、主人公の愛犬の名優っぷりもすごい。

 この映画のタイトルコールには「父へ」というテロップが出てくる。デ・シーカの父親もウンベルトという名で、貧しい家庭に育ったデ・シーカが描くこう言った主題の映画はやはり凄みがあるし、どうしてもヴィスコンティの描くものとは異なると思ってしまう。

◉ヴィスコンティ初期の映画は本当にネオレアリズモなのかということについては、少しこちらに触れています>>


 話は制作年と同じぐらいの戦後まもなくの時期、ローマ。ウンベルト・ドミニコ・フェラーリは年金生活をする独り身(愛犬Flaikがいるが)の元公官庁員。家賃を6ヶ月滞納し、年金値上げを求めるデモに参加したりもしているが、自分は教養があるし前職も立派であったという自負があるため、少々プライドが高いところがある。そのためあまり人に頼るということには慣れておらず、すぐ喧嘩腰になってしまうし、お金がある人に対しても少し見栄を張って、背伸びをして話しているところがある。それでもどうしても生活が苦しいので、重い病があると出鱈目を言って(嘘を言っているつもりはないのかもしれない。本当に少し気を病んでいる)教会付属の病院に1週間寝泊まりしたり、物乞いをしようか葛藤をする場面もあるが、最終的にニッチもサッチも行かなくなり、家を出て自殺を図ろうとする。愛犬だけは生き延びてほしいと何処かに預けることも試みるがうまくいかず、結局犬と共に線路に引かれて死のうとするが、犬が逃げて、ウンベルトも追いかける。Flaikはもう怖がってウンベルトに近寄ってくれない。悲しくて不安なウンベルト。さっきまで一緒に死のうとしたのに、嫌われることがそれよりも怖いと言わんばかりの消えそうに悲しげな顔。しかし遊びをFlaikに仕掛けるうちにだんだんとまた関係が和らぎ、ウンベルトの顔は喜びに満ち溢れる。それから一人の老人と犬は、これから先どこ行くとも知れず、何事もなかったかのように楽しそうに歩いていくのだった。

 この話はネオレアリズモの本当に典型で、見たくない人も多いかも知れない。搾取される側のことばかり焦点を当てていて、「愛」と「感動」はあるが(もう涙ボロボロものである)しかしどこにも「勝利」はないからだ。どうすればいいんだろう、どこにもおけない悲しみばかりが積み上がる。

 それと私はこの映画の話の脈略と関わりない細かい描写がすごい好きだ。ウンベルトの借家に頻繁に大量発生する蟻。水をかけたり火で燃やしても、毎日まだ出てくる。借家のメイドが誰も見ていないところで、足を伸ばしてドアをしめるシーン。ミネルバ広場でウンベルトが久しぶりの友人と再会し、「今2000リラが足りないばかりに家を追い出されようとしている」という身の上話をしつつ、本当は2000リラ借りたいのにはっきり言えない場面など。ミネルバ広場はElefante(象)というオベリスク(あのベルニーニ作)が建っている。その象がなんだか不思議とウンベルトを後ろから見つめているように見えるのは私だけであろうか。やたらこの象が視界に入るのである。その視線が少々気色悪くて、ウンベルトを馬鹿にしているように見える。これは搾取者もしくは市民の視線でもあり、ウンベルトの内心の気持ちなのかもと私は思わずにいられなかった。(ちなみにこれはエジプトのオベリスクの模倣らしく、昔象はイタリアで馴染みのなかった動物で、そのため市民は”Maiale”:「豚」と呼んでいたそう。多分この象の醜さも意味に含まれていたと想像する。)

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 ほら、なんか怖い、この象に見られたら。

 無駄のない演出。実は俳優としてもデ・シーカは面白いんだけれども、今イタリア映画を見てもこの40−50年代のネオレアリズモ の映画を見る人は少ないと思うから、ここで細々と普及活動をしていきたい。

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