言葉・おしゃれ・哲学の関係性♪ 感想その4
「言葉の服 おしゃれと気づきの哲学」、
ゆっくりと読み進めています♪
この本は、まるで「言葉の宝石箱」のように
私の心に響きます。
新鮮な知識の波を受けとめながら読み進め
ていくと出会える、やわらかく光る言葉たち。
今日は、「日本の美を生きた人」 です。
日本の美を生きた人
日本の芸術で最も世界に影響与えたの
は浮世絵だろう。
近年パリでの[北斎展]も連日長者の列。
世界中の人を今も惹きつけるパワーは
圧倒的だ。
私も美術館で見て知っているつもりで
いたが、ある人との出会いで浮世絵の
真実に触れる体験をした。
版画家の立原位貫さんを京都に訪ねた
ことがある。
江戸時代の浮世絵を紙、染料、道具まで
忠実に再現し、彫りから摺りまで1人で
こなす孤高の仕事をされてきた方だ。
さらにご自身の創作版画の世界も詩的で
素晴らしい。
浮世絵について多くのことを教えてもら
って目の覚める思いがした。
まず、鑑賞の仕方。
現代の美術館のように額縁に入れて壁に
かけガラス越しに見るのではわからない
ことがある。
浮世絵は、庶民の気軽な娯楽のようなも
のだった。
では、江戸時代の人々はどのように鑑賞
したか?
直に手に持って上から眺めていたのである。
つまり、壁にかけてみる美術館の鑑賞法
は、どうしても平板になってしまうのだ。
次に色である。
現存する浮世絵はほとんどが経年変化で
劣化し、オリジナルと同じ色ではない。
立原さんはそれを当時のままの染料を使
って鮮烈に再現されていた。
私たちが普段見慣れている渋い色調の浮
世絵の名作も、江戸時代の出来立てホヤ
ホヤの色で見ると、とても斬新な色使い
、みずみずしい印象でびっくりした。
ところでなぜ時間とともに変色してしま
うのか?
それは植物の花びらや葉っぱ、根っこ、
鉱物などを使った天然染料だからだ。
つまり浮世絵は単なる印刷物と言うより
も、「和紙の天然染料染め」と言うべき
ものであった。
だから色は自然の命を宿して輝き、見る
人の魂に染みてくるのだ。
そして何よりも感動したのは、このよう
な孤独で困難な仕事を寡黙に積み上げて
こられた立原さんその人であった。
浮世絵制作は本来すべて分業で、「絵
師」、「彫り師」、「摺り師」の技術
は、それぞれが長く厳しい修行が必要
なものだ。
それを全て独学でたった1人でやってこ
られたのだった。
その生涯は自伝「一刀一絵」(ポプラ社)
に詳しいが、季節の投げ入れ花と古美術
を愛し、無心に仕事に打ち込む姿は、
日本の美意識そのものをごく自然体で生
きておられたように思う。
惜しいことに出会った1年後、立原さん
は急な病で満月の夜にこの世から旅立
たれてしまった。
生前の約束だったmatohuの表参道店で
の展覧会をその翌年に行ったが、たく
さんの方にその仕事見ていただけた。
私は時々立原さんの作品をそっと取り
出して眺める。
普段は退色を避けるために暗いところ
に保管してある。
江戸の庶民と同じように私も手のひら
に乗せて上から眺める。
そのたびに静かな情熱が目と手の平か
ら伝わって、胸が熱くなる。
その尋常ではない仕事は、私の人生も
励ましてくれていると感じる。
きっと立原さんも、江戸時代の浮世絵を
手に乗せて、名も知らぬ職人たちから励
まされて、この仕事一筋にしてこられた
のだと思う。
人や物、言葉との出会いが私たちを日
々深くする。
その出会いの偶然はやがて必然となり、
個人の人生を超えた大きな歴史のたて
糸につながっていく。
※著者はmatohuのデザイナー。
私は今まで、あまり浮世絵には興味が
無かったのですが、ゴッホの「ひまわり」
の色合いが好きで惹かれているうちに
ゴッホ→浮世絵、と繋がって映画館へ
「HOKUSAI」を見に行った。
描くことに対してのほとばしる情熱、
持続力に圧倒され、『北斎美術館』へ
1度は行かなくては、と思わされた。
(※「THE 北斎〜富嶽三十六景と幻の絵巻〜」
7/20〜9/26)
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