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過去の英雄 現代の英雄

これは私の物語を語る理由についてのお話です。

物語を口頭で語っていると、登場人物たちの心が裸のままで伝わってきます。

神々たちは唐突にやってきて、すぅっと後腐れなく、去っていきます。

しかし、英雄は後に残ります。

特にフィン・マックール、クー・フリン。
このケルト神話の二強はずっと、心の中に居座っています。

フィン・マックールは、アイルランドの地を守るために自分の砦を留守にしていたところ、愛する妻を攫われました。砦に帰ってきたフィン・マックールはその後探し続けますが、二度と見つかりませんでした。

クー・フリンは、自分の国が攻められて、孤軍奮闘し、すさまじい働きをしますが、その中で親友であり兄弟子であるフェルディアを殺すことになります。嘆き続けた後、戦線に復帰して勝利します。その後、気がおかしくなるんですよね。物語の中では魔術によるものとされていますが、現在でいうPTSDみたいなものだったのではないか……と思っています。

まあ、この二人がドーン、と心に居座っているんですよ。
居座ってるのを放置するのはなんとも心苦しい。

さらには私、トリスタンをストーリーテリングしようとしたとき、思いっきり体調を壊してるんですよね。トリスタンも物凄い無念のうちに亡くなっている人です。
後は、フランケンシュタインの怪物もそれはそれは重くて。

以上のように、物語を口頭で語っていると凄まじく感情が伝わってくるのです。

なんとかしたい。
なんとかしたいのです。

どうやったらなんとかできるのか。

かの古代ギリシャの英雄アキレウスの霊は、人々に思い出してもらい、墓参りをしてほしい、と言いました。

そもそも、英雄たちがやりたいことというのは。
己の名声を後世に残して永遠の命を得ることなわけです。

名声を語ってあげるのが一番の供養になるのではないか。
讃歌を歌ってあげるのが一番の供養になるのではないか。

なにより、物語を語っているとき、その瞬間に英雄はよみがえる。

私は、吟遊詩人として、それをする存在ではないのか。
吟遊詩人なのだから。
英雄の声が聴こえたのだから。

聴こえたことをなかったことには、したくない。
せっかく私は聴こえたのだから。

ただすごく重くて。私は軟弱なので、すぐにぺしゃんこになってしまっていたのですが。
でも。
でも。
でもでもでも。
見捨てたくない。
見捨ててたまるものか。

見つけて、聴いたのだから。
助けてあげたい。

私は力なきただのひよっこだけれど。
でも、少しは語る力があるのだから。

語れ。
語れ。

そういう想いがあります。
おかげで本当のろのろとしてしまいましたが。

そのために必死で、心も身体も強くして、邪魔なものをとにかく取り払って進んできました。

英雄のために語りたい。
そして、それはきっと、現代に生きる英雄たちの糧となる。

英雄たちの勇気や力は目を見張るものがあります。
そこには功名心や欲はもちろんですが、

奥の奥をゆっくり開くと、愛がある。
それはもうよく。よく、わかる。

そもそも、愛のない人であれば、傷つくことなどないのですから。

そういう物語から、汲み取れる力は偉大なものがあります。

もちろんあやまちだってあります。
人間だもの。

でも。彼らが必死に立ち向かっていったのです。

英雄はいろんな人物のエピソードを習合したような存在ですから、有名な英雄たちの中には名もなき英雄たちもたくさん秘められています。

そういう全てに讃歌と鎮魂歌を。
そして、現代を生きる人に英雄の持つ力の分け前を。

私が何度も何度も心折れながら、それでも物語を語り続けてきたことの一番の支えは、彼らの声です。

私は力なき一個の人間に過ぎませんが。
それでも何かできるとしたら、私がやることはこれなんだな、と。

揺るがぬ確信がずっとあります。

お読みいただいている貴方に伝わりますかどうかはわかりません。
ただ、伝わればいいな、と願っております。

現代を生きる英雄の糧になるのが、英雄の物語の最大の意味なのですから。

お読みいただきありがとうございました。

浮き沈みはげしき吟遊詩人稼業を続けるのは至難の業。今生きてるだけでもこれ奇跡のようなもの。どうか応援の投げ銭をくださいませ。ささ、どうぞ(帽子をさし出す)