見出し画像

奇なること

 締め切り当日。小説家の男は今日が期限だというのに、原稿が仕上がらず、頭を抱えていた。

「うーむ。全くいい話が浮かんでこない」

 部屋には小説家に呼び出され、原稿が書き終わるのを待っている出版社の男もいた。

「はぁ、先生……。締切は今日ですよ」

「分かっている。毎度毎度そう急かすな」

「そう言われましても、叱られるのは僕なんですから」

「だからいま必死で考えているのではないか」

 小説家は机に向かってはいるが、ペンを握った手がもう何時間も動かずにあった。

「何がどう書けないんです。いつもはこうして締め日に回収にあがると、途端にスラスラ書き始めるではありませんか。できるのならもっと余裕をもって書いておきなさいよ、といつも思うのですがね。今日はそれが見られない」

「最近、このままではいけないのではと思い立った。私の話はいつも単調でありきたりだ。自分で読み返してみてもそれが分かる。もっと読者を興奮させるような、突飛で奇想天外なストーリーはないものかと考えておるのだ」

「突飛なストーリーですか」

「そうだ。それがなかなか難しい。君にはなにか変わった話などないか。参考にしたい。実体験でもいい。事実は小説より奇なりという言葉もある。それに君も物語を読者に届ける一員として、ひとつくらい持っていて然るべきと思うのだが」

「どうしてそんなに上からものが言えるのですか。でもありますよ。変わった体験。まさに奇想天外といった話が」

「いいじゃないか。聞かせてみてくれ。原稿を書くのはそのあとにしよう。何か思いつくかもしれない」

「分かりました。この話は、僕の子供の頃から始まります。その日はすることもなかったので、何気なく近くの海岸を散歩していました。すると、波打ち際にキラッと何かが光ったのです。それはなんとボトルメールで」

「ほぉ。ボトルメールとな。いかにもなにか起こりそうな展開」

「しかし、手紙はフランス語で書かれていたので当時の僕には理解できるはずもなく、ひとまず保管しておきました。僕はそのこともあり、大学に進んでからフランス語を専攻することに。必死に勉強したので、一年も経たずして手紙を読むことができるようになりました」

「なんて書いてあったんだ」

「差出人は女性で、しかも自分と同い年であることが分かりました。やわらかい感じが伝わってくる文章でした。僕はすぐに返信を書きました。もちろんフランス語です。そして同じようにボトルに詰めて、同じ海岸から流したんです」

「無茶な。フランスの彼女に届くわけがない。海は自由人だぞ。別な場所に流れ着き、誰かに拾われ、読まれもせずにポイだ」

「それがそうじゃないんです。僕だってそれがいかに無謀なことか理解していましたよ。だけど一年後、ボトルは流れてきました。中には、僕宛ての彼女からの返信が入っていた」

「まさか。そんなことがあるのか」

「そのまさか。僕はもうどうしても彼女に会いたくなって、連絡先と住所を書いてまた海に流しました。しかし、うまくはいきませんね。今度は一年待っても二年待っても連絡はこないし、ボトルも流れてはきませんでした。僕の手紙が彼女に届かなかったのでしょう」

「当然といえば当然。そこからどうするんだ。彼女との交流はこれでおしまいでいいのか」

「いいわけありませんよ」

「あぁ、そうだな。私だったらすぐにフランスに飛び立ち、彼女を探す旅に出かけるかもしれない」

「まさにそうです。僕は彼女が書いてくれた手紙をもって、フランスの旅に出かけました。聞いて回ればそのうちたどり着くだろうと思っていたんです。海にボトルを流すのと比べれば、まだ現実的だろうと。けど、これが全く。しかもどうやら気づかぬうちにギャングたちの生活圏に迷い込んだらしく、あらぬ疑いをかけられ監禁されてしまいました」

「どうなるんだ、この話は」

「ところがです。ギャングたちに連れられた部屋には、日本人の女の子がいました。話をしてみると、どうやら危ない人じゃなさそう。彼女も僕と同じで、旅行中にギャングたちに不審がられ拘束されてしまったというのです。何をしていたのかと尋ねると、フランスに住む知り合いを探していたと」

「ほぉ。君と同じじゃないか。ずいぶんと奇遇だ」

「そうです。僕は、僕も君と同じなんだと彼女にボトルメールの話をしてあげて、手紙を見せてやりました。すると、彼女が驚いた表情になってこう言ったんです。あなただったんですねと」

「待て。手紙の女の子はフランス語を話すフランス人のはずじゃないか」

「それが勘違いでした。彼女は日本人で、どの国に流れ着くか分からないからと色んな言葉でボトルメールを流したらしく、たまたまフランス語で書いた手紙が日本の僕のもとに届いたというわけ。そして、それを僕もフランス語で返したわけだから、お互いに相手がフランス人だと勘違いしていたのです」

「おお。こりゃすごいぞ。奇跡の出会いだ」

「僕らの騒ぎ声にギャングが駆けつけてきたので、ことの顛末を説明したら、そりゃあもう大ウケ。しまいにはその晩、ファミリーたちと酒を飲みかわし宴になりました。そして次の日、僕ら二人は解放され、日本に帰ってきたという話。ここでおしまいです。いかがでしたか。なかなか奇想天外な話では」

「ふむ。これで終わりなのか?」

「あぁ、続きですか? あとは同級生に遅れながら就職活動をして、弊社に勤めることになり、先生の編集担当になったというところまで……」

「そうじゃないだろ。その後、彼女とはどうなったんだ。なにかあるんだろう。これほどのラブストーリーだ」

「いや、特に何もありませんでしたよ。タイプじゃなかったのでね。見た目が。彼女もきっとそうだったのでしょう。連絡先も、どこに住んでいるのかも知りません」

「なんだそのオチは。途中まで良かったのだが。予想外というか拍子抜けというか」

「しかしながら、これが現実なのですよ。事実は小説より奇なりです。さぁ先生、書きましょう。締め切りは今日の陽が沈むまでですよ」

「分かっている」

「さぁ早く。なにか思いつきましたか?」

「分かっている。分かっているが、なにも思いつかない。それどころか、また何かを見失ったような気がする」

いつもありがとうございます。いただいたサポートはすべて創作活動に投資します。運用報告はきちんとnoteにて公表。そしてまた皆さんに喜んでもらえるものを提供できるよう精進いたしますので、何卒よろしくお願いします。