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短編小説 腰抜け野郎の挽歌(1920字)

誰だ、お茶と言っただろう。幹部会の時はお茶なんだよ。
総務部長が、凄い剣幕で捲し立てた。
課長が、平社員の齊藤に目配せした。齊藤は一歩前に出て、
すみません、エビアンの方がおしゃれかと思いまして。
勝手に決めるな、たかが飲み物じゃない、お前、責任が取れるのか。
すみません。
本当は課長に、飲み物は何でもいいからと、言われていたのだが。
齊藤は頭を再度下げた。

天変地異が2011年3月11日14時46分に現実として起こった。
たくさんの人々が亡くなり、たくさんの人々が大自然の理不尽さに泣いた。
津波が押し寄せ、家が、家財が、車が、命が流された。
そして、無残が残った。
みなさんは、この災害の前に、人々がどう反応し、どう行動したのか、御存じだろうか、
私はこの時初めて日本人を誇らしく思った。
みなさんはご存じだろうか、震災の後S市で起こった、恐ろしいほどの親切の嵐が吹き荒れた事を。
これは、津波に引き込まれる人々を助けられずに、涙を流して呆然と見送った、反省から来ているのか、被災した人への哀れみか、動機は、それぞれ限りなくあるだろう。しかし現実として現れた助け合う社会、優しい、人々で溢れ返ったS市の現実にわたしは、泣けて来るのである。
これは、人々が優しさに目覚めた、浮世離れした、童話の様なお話である。

震災に襲われた当日、S市の中央警察署は大混乱していた。停電した信号の人手による交通整理、事故対応、救助要請、情報収集、犯罪を未然に防ぐ警ら活動、などでごった返していた。その夜は中央署も非常電源で、凌いでいた。前日より大麻売買で留置していた、津波直撃地域に住所を持つ三人の容疑者は、ラジオから流れる被災情報、死亡情報に口々に不安を訴えていた。与えられた夕食がインスタント非常食だったこともあり、
より心配は増した。
留置所担当の作田巡査は、三人の地元が大被害を出しているのを知っていた。
三人に作田巡査は訊いた、
今から出れば、明日の朝まで戻れる、戻ると約束するなら、出してもいいぞ
宵闇の中三人は、混乱する中央署を後にした。
早朝徹夜で混乱する中央署に三人は、眼を真っ赤にして帰って来た。
作田巡査は、無言の三人に一言も発せず、招き入れ留置所の鍵をかけた。

震災の翌日、電柱は倒れ、停電し、水道ガスが止まり、JRは運休し。車は流され、交通機関は、ほぼ麻痺した。
道路の確保ができた僅かな路線で生き残ったバスが動いた。
その日、運転手の津島は、定時にバスプールを出発した。
停留所で待つ乗客を乗せ発車すると、間もなく手を上げる杖を突いた老婆に目が止まった。
津島は、迷う事無く、老婆の前に停車しバスの乗り口を開けた。
停留所以外でも、手を上げたり、目配せする人がいれば止まった、乗るのに困っている人には、自分が降りて手助けして乗せた。
金がないと言う客には、今度乗った時でいいと言って、ただで乗せた。
予定時刻など無視しバスは運航した、不思議と他の客から文句は出ない、
恐らく全員が、助けたい、誰れかれ、かまわず助けたいと思っていた。
いつも運行時間、業務違反に怯えている津島が、今日は、胸を張って堂々と運転していた。

小さな港の見える高台に、小さいAスーパーマーケットチェーンはある、
大地震、津波が来る逃げろ。の状況に店長の斎藤は、全従業員に退避の指示を出した。幸いなことにAスーパーマーケットは津波の被害は免れた。
翌朝、被害の少なかった社員が出勤してきた。
電気水道ガスは止まり、納品の物流も見込めず、店の営業は不可能だった、本部との連絡も途切れる状態に、店長の斎藤は、後かたずけの指示を出すのが精一杯だった。
二階の駐車場から、港の方を見ると無残な瓦礫郡が続いていた、斎藤は昨日まで、買い物に来た顧客が一瞬で無くなったのを直感した。
店長大変です。
の声に、店頭に目をやると、お客様が大行列を作っていた。
齊藤は非常用のハンドマイクを握り
お客様、ありがとうございます。会計の手段はありません。店内は、清掃中で危険です。店内の食品を全て放出します。社員がお持ちしますので、順に受け取ってください、お金はいりません。当店が再開しましたら、どうぞまた御利用下さい。
店長の斎藤は、自分でも驚くほど淀みなく話した。
店頭に並べられたテーブルに、従業員が食品を次々と並べ、顧客が整然と受け取り、感謝の言葉を発して、去って行った。
店長の斎藤は、むかし言われた、
責任が取れるのか。
の言葉を思い出したが、顧客の一人一人の顔がそれを消し去った。
迷わず、従業員たちの商品の受け渡しに齊藤店長は加わった。


純粋に、S市の住民は3月11日以後の1週間、
たすけあう以外の事を考えていなかった。

                おわり






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