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この鎖を切ってくれ

私は家族を愛している。
家族もきっと、私を愛してくれている。

この家に生まれたことが、最大の幸福であり、最大の不幸である。

私と信仰

私の家は、昨今話題にあがる新興宗教を信仰している。
幼児期から、日曜日は教会へ通って礼拝を捧げ、教祖の出身国の言語を習った。週に一度、朝4時半に起こされて、安息日の儀式をした。教祖の自伝を音読し、「神様の愛を中心とした家庭」となるための長い宣誓を唱えた。食事の前にはみ言葉を読み、お祈りをしてからご飯を食べる。

神様は存在すると信じていた。同じ信仰をもつ宗教二世の友達のことを「兄弟姉妹」と呼び、「神の下の人類一家族」を成そうとしてきた。
今の人類は、堕落したサタンの血統であり、祝福結婚を受けて、神の血統へ転換された両親から産まれた私たちは、「神の子」とされた。
「神の子」は、天皇よりも尊いのだと教えられた。神様が2000年待ち続けた、神の血統を受け継ぐ子どもたちだからと。


学校の友達とは違う「神の子」であることを、誇りに思っていた。土曜日や日曜日に、友達と遊べないことも、「我慢しているあなたたちは偉い」と大人に言われた。

小学生の夏休みは、学校の宿題のほかに、教会での「原理テスト」の勉強をした。国語と算数、そして教典の内容の暗記。
2泊3日の小学生セミナーにも参加した。オリエンテーリングや、祈祷会、教典の講義を受けた。セミナーは楽しかった。「兄弟姉妹」とともに、点呼訓練を受けたり、「心情統一ゲーム」というゲームで遊んだりした。最終日には、優良者を男女1人ずつ表彰する。私は積極的に「兄弟姉妹」の世話をしたし、熱心に講義に取り組んでいたこともあり、毎年表彰されていた。

疑念


中学生になった。
一年生のとき、担任の先生に「なぜ勉強をするのか、分かっている人はいるか」と聞かれて、私は手を挙げた。
「勉強をして立派な人になりなさい。そうすればあなたの言うことを信じる人が現れる。そこで神様を証なさい」と言われてきたからだ。

しかし、吹奏楽部に入部した私の足は、教会から遠のいていった。部活休みは、日曜と火曜のみ。日曜の礼拝へ行っても、中高生部に通う人は少なく、同期の子も、礼拝が終わると、一言も話さずにすぐに帰ってしまう。小学生の頃のように、貴重な休みを潰すことも、友達のいないつまらない場所へ行くことも、嫌になっていた。
父親に、「教会は遊びに行く場所ではない、み言葉を学ぶところだ」と、無理やり行かされそうになったこともあったが、私は反抗して行かなかった。

冬になると、周辺の教会に通う中高生たちによる、全国合唱コンクールがある。ここで私は、教会への不信感を初めて抱くことになる。

一年生、練習の休み時間のことだった。私は誰とも話さず、広い部屋の真ん中に、ぽつんと膝を抱えて座っていた。もちろん、周りにはたくさんの「兄弟姉妹」がいた。しかし、誰1人として、1人でいる私を気にかけ、話しかけてくれる「兄弟姉妹」はいなかった。私も、仲間内で楽しそうに話す「兄弟姉妹」の中に入っていけなかった。
「みんな兄弟」なんて謳いながら、良心という神の声に従えと教えられながら、結局普通の学校と同じじゃないか、と思った。仲の良い人たちでグループを作り、そこに入れない人はいないも同然。見て見ぬふりをする。惨めだった。


高校に入り、不登校になった。同世代の人への不信感は、もはや拭えないものとなっていた。
それでも、二年生の冬から、合唱コンクールには参加した。すでに神様なんて信じてはいなかったけれど、居場所が欲しかった。必要とされたかった。
しかし、同じ学年の「兄弟姉妹」には、すでにグループができていて、そこへ入ることはできなかった。表向きは仲良くしてくれる。
だが、コンクール本番の髪の毛のセットを、私1人だけ手伝ってもらえなかったり、かつての私がされたように、1人でいる「兄弟姉妹」をそのままにしたり、性格に難のある「兄弟姉妹」を意図的に避けていたり、疎んでいたり。そういうことが、確かな教理への疑念へと変わっていった。


否定

そして三年生の冬、「兄弟姉妹」である友人が自殺した。私と同じように、もしくはそれ以上に宗教に悩まされてきた子。

合唱コンクールの練習の日だった。LINEに一言、「今日合唱来る?」と残して、彼女は逝ってしまった。私は、彼女が亡くなった2時間ほど後に、メッセージを返した。「ごめん。今日も休みます」。

彼女の死後、教会側からは、事故で亡くなったとだけ知らされた。
納得できなかった私は、ネットで当日の事故を調べ、彼女の死因を知った。

宗教では、自殺すると、死後地獄へいくと言われている。そんな禁忌を犯した彼女の真実を、教会側は最後まではっきりと私たちに示さなかった。
この出来事は、教会や宗教への怒りへつながった。


私が宗教に不信感を覚えたのは、これらの時ばかりではない。

高校三年生の夏、私は公務員試験に向けて勉強をしていた。
そこで知ったのが、「陰陽論」というものだ。これが、教祖が定義してきた、この宗教の原理と酷似していたのだ。私はその時点で、教会やこの宗教を嫌厭していたので、こう考えた。
教祖は、聖書を陰陽論を用いて新しく解釈をし、教典を書いたのだと。そして、すべては教祖の祖国を世界的に「正しい国」として認めさせ、さらには「神の国」へと格上げさせることが、教祖が本当にやりたかったことではないのかと。


ここまでくると、本当にこの宗教を信じられなくなった。この宗教は、おかしい、と明確に思うようになった。
「地獄で苦しんでいる先祖を救うため」として、生活が困窮している、我が家のような家庭からも大金を集めることにも、嫌悪感が湧いた。


宗教に関する何もかもを、気持ち悪いと思った。


家族への愛憎


ここで、私の家族の話に戻る。

私は今、うつ病を患っており、両親の助け無しでは生活ができない。両親には、病気の私を、心から心配し、支えてくれている恩がある。

私は家族を愛している。
両親が病んだら世話をしたいし、必要なら介護を請け負うことも考えている。家族の笑顔を壊さないために、自殺できる状況にありながらも、泣きながら死ぬことをやめる選択をしたこともある。

うつ病が治ったら、働いて両親の老後の資金を稼ぎたい。いつまでも家事を両親に任せてはいられない。実の兄や、姉妹が幸せになる手助けがしたい。両親を寂しく逝かせたくない。


しかし、こんなに、こんなにも家族を大切に思っているのに、この家族との関わりを全て絶って、1人で生きていきたいと思う自分も、確かにいるのだ。
前述したとおり、私はこの家族が信仰している宗教から、決別したいと思っている。それでも、私と宗教の間には、切っても切れないものがある。


一つは、私が祝福結婚によって産まれた子どもであること。
宗教の原理では、神を頂点とし、男性と女性、そしてその子どもで構成された、三位一体を成すことで、家庭が完成されるとしている。つまり、父親と母親が、教えに倣って「完成」するためには、子どもを産むことが必要なのだ。

私は、そうして産まれた人間である。

私は、父と母のために生まれてきた。両親が、宗教のために、自分たちが「完成」するために産んだ、道具なのだ。


そして、私の名前。私の本名は、漢字一文字である。これも、教祖によってあらかじめ選ばれた漢字の候補の中から、両親が選んだものだ。両親が後付けで理由を考え、私につけたのだ。

私を産んだことに、私に名前をつけたことに、愛はあったのか?全部宗教のためじゃないのか。
道具として生まれさせられた私は、なんのために生きているのか?なぜ今も生きていなければいけないのか?この名前を、出生の背景を、一生背負わなければいけないのか?


父も母も、この宗教に救われたから、教えに従って結婚し、家庭を持った。
母なんかは、宗教と出会わなければ、結婚することもなく、寂しく過ごしていただろうと語っている。


私は家族を愛している。
家族もきっと、私を愛してくれている。

宗教で両親が幸せになったのなら、それは嬉しいことだ。みんなが幸せでいて欲しいと、心から、心から願っている。
しかし、宗教さえ無ければ、私は生まれることもなく、こうして苦しむこともなかった。

この家に生まれたことが、最大の幸福であり、最大の不幸である。


憎むべきが、宗教なのか、家族なのか、もう分からない。家族を愛しているが、同時に、炎が燃えたぎるほど憎んでもいる。

どうして私を産んだんだ。私はなんのために生まれたんだ。
宗教と決別することは、家族と縁を切ることと同義である。家族への愛や恩があるから、それもできない。しかし、私は一生、家族や宗教に縛られて生きるのか?
私の人生とは、誰のためのものなのか?私は自分のために生きていけないのか?


そして

家族のこと、両親の老後のこと、自分の病気のこと、お金のこと、宗教のこと。全てを投げ出して、振り返らずに、どこか遠くへ行きたい。これは自分の人生だと、胸を張って言えるようになりたい。

両親が死ねば、きっと私はいろいろなことから解放される。自分の道を行ける。
そんなことを考える自分も憎くて、この現実から逃げたくて、私は今日も、自分の死を望んでいる。

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