忘れられない恋物語 : 機内でコースターで伝えられた想い ふたりで見たオランダのモナリザ

日本では飛行機の客室乗務員のことをキャビンアテンダント略してCAというが、和製英語だ。
英語では、フライトアテンダント、もしくは、キャビンクルーと言う。

1990年、27歳だった僕が乗った飛行機は成田新国際空からオランダのアムステルダムに向かって飛び立った。
勤めていた会社の上司から、まだ参入したばかりのオランダに1ヶ月間滞在してオランダ支持の人達とマーケティングと営業をして来る様に言われたからだった。
オランダに行くのは初めてだった。
その日は土曜日だった。アムステルダムまでは、
約17時間のフライトだった。時差の関係で、
アムステルダムに到着するのは日本時間の日曜日の早朝の4時だが、アムステルダムでは土曜日の夜の
8時の予定だった。

飛行機が離陸する前に、CAの女性からウエルカムドリンクのシャンパンを貰って飲んだ。
飛行機が滑走路で離陸体制に入る前にCAの女性が
飲み物のグラスとコースターを下げて行った。
シャンパングラスとコースターを下げに来たCAの女性に、アムステルダムへはお仕事で行かれるんですか?と聞かれたので、はい、と答えると
機内でゆっくり休んでいってください、と言って
優しそうな笑顔を見せて行った。

CAの人たちの大変な仕事のひとつは、お客様に夕食のメニューの変更をお願いすることだと聞いたことがある。機内食には当時、洋食と和食の2種類があった。同数ずつしか用意していないので、どちらかが多ければ、もう1つへの変更のお願いをお客様1人1人にして行かなければならない。
だから僕は変更のお願いが来た時は、いつも了承していた。

飛行機が離陸して2時間ほどすると、夕食の準備が始まった。CAの女性がお客様1人1人に、洋食がいいか、和食がいいか訪ねて廻った。
そのCAの女性が来た時、きっと洋食の方が多いだろうと思っていたが
「洋食と和食と、どちらが人気がありますか?」
と聞いてみると、そのCAの女性は思っていた通り 
少し困った顔をして、
「洋食をご希望されるお客様の方が多いですね。」
と答えた。
「僕は和食にしてください。」
そのCAの女性はニコッとして、
「お客様、ありがとうございます。 お飲み物は何になさいますか?」と言った。
「カンパリがあったらオレンジジュースて割ってください。」
「カンパリをオレンジジュースで割ったものですね。かしこまりました。」

少しして、そのCAの女性が飲み物を配り始めた。
僕のところに来ると、コースターを敷き、グラスに入ったカンパリオレンジを置いた。
そしておつまみのナッツも置いて行った。
カンパリを飲み終わる頃、食事が配られた。
今度は違うCAの女性だった。

僕は機内食は好きだ。
和食にして良かったと思った。考えてみれば1ヶ月も和食を食べられない。
あのCAの女性が食事を下げに来た。僕は、そのCAの女性がコースターを下げるのを忘れて行ったことに気がついた。
そのCAの女性が隣の席の人の食事を下げに来て、コースターの方を見ながら、
「少しの間、持っていてください。」と言った。

それから1時間以上、そのCAの女性はコースターを下げに来なかった。隣の年配の男の人は小さなイビキをかきながら眠ってしまった。
そのCAの女性が来て小さな声で言った。
「コースターの裏を見てください。」
コースターの裏には、高橋亜希子と書かれていて、
宿泊先のホテル名とそのホテルの住所と電話番号が書いてあった。
そのCAの女性は僕の目を見つめながら言った。
「コースターをお下げしなくてはいけませんか?」
「いえ。」
「ありがとうございます。鈴原様。」

アムステルダムに到着するまで後2時間位となった
朝食が運ばれて来た。そのCAの女性は、またコースターを置いて行った。
裏を見ると、
鈴原さんの宿泊先は?  
少ししたら私に飲み物を頼んでください。
と書いてあった。
僕はホテル名を書いた。
するとそのCAの女性が来て、お客様、コースターを下げるのを忘れてしまいました。申し訳ありません
と言ってコースターを持って行った。

30分ほどすると、そのCAの女性が歩いて来たので、
「すみませんが、薬を飲みたいので、水を1杯頂けますか?」と僕が言うと、
「お水でございますね。すぐお持ち致します。」
と言ってすぐにグラスに入った水を持って来てくれた。そして、コースターを敷いて置いて行った。
僕は水を飲み終わりコースターの裏を見ると、
明日の朝9時に、私が鈴原さんのホテルのロビーに行ってもいいですか? もしOKなら、コースターを
ジャケットの内ポケットに入れてください。
と書いてあった。僕が内ポケットにコースターを入れると、そのCAの女性はグラスを下げに来た。
「お水、ありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ。」 

飛行機がアムステルダムのスキポール空港に着いた 
飛行機を降りる時、見送ってくれたCAの人達のなかに高橋亜希子さんもいた。
僕が通り過ぎる時、ゆっくりと目を閉じて開いた。

翌朝、9時少し前にホテルのロビーに行った。
まだ来ていないみたいだった。すると、セミロングの髪の奇麗な日本人女性が近づいて来た。
僕を見ると微笑みながら、
「高橋亜希子です。仕事中は髪をピンで止めていますが、これが普段の私です。」
CAの時の高橋亜希子さんとは別人に見えた。

僕がオランダは初めてだと言うと高橋亜希子さんは
ふたりでオランダのモナリザが見たい、と言った。
アムステルダムから電車でハーグの街に行った。
電車のなかで高橋亜希子さんはCAの仕事を教えてくれた。国際線のCAでヨーロッパの場合、フライト時間が約17時間、丸1日働いているのと同じ、だから、アムステルダムならアムステルダムで到着した次の日は24時間休憩する。そして、約17時間、
今度は日本へのフライトで働き、日本に到着すると24時間休憩し、次の日アムステルダムへとなる。
定期的な休日もあるが、かなりハードな仕事だと思った。アムステルダム等、到着した国で、現地で働く独身の日本のビジネスマンの人達との合コンに招待されることもあるが、そういう出会いは嫌だったと言った。
電車で1時間もかからなかった。
電車を降りて歩き始めると高橋亜希子さんは言った
「私のこと高橋さんって呼ばないで、亜希子って呼んで。いいでしょう? あなた。」

オランダのモナリザとは、オランダの画家フェルメールが描いた、真珠の耳飾りの少女という絵のことだった。
ハーグのマウリッツハイス美術館にその絵はあった
僕は見たことのある絵だと思った。
青いターバンを巻いた少女が振り返っている絵だが
その少女が微笑んでいるようにも話しかけて来る様にも見えた。
「私は本物のモナリザよりも、このオランダのモナリザの方が好き。」
その時だった。中年の女性の声で
「あなた達、日本から来たの?」 と聞こえた。
振り返ると中年の日本人のご夫婦だった。
奥様の方が続けて
「もしかして、あなた達、新婚旅行?」
と言った。すると亜希子さんが、
「はい、そうなんです。」
「あら、よかったわねぇ、おめでとう。
あなた、若いって、いいわねぇ。」
「そうなだなぁ。君たち、幸せにな。」
そう言うと、そのご夫婦は美術館の出口の方へ歩いて行った。

亜希子さんは、右手で僕の左手を握った。
「私は、あなたの恋人じゃなくて、お嫁さんだと
思ってもらえた。」
僕たちは少しの間、真珠の耳飾りの少女を黙って
見続けていた。

美術館を出て近くのレストランでランチを食べると
アムステルダムに戻って、アムステルダムの街を
ただふたりでゆっくりと歩きたい、と亜希子さんは
言った。

途中でカフェに寄ったりして、運河の流れる美しいアムステルダムの街をふたりでゆっくりと歩いた。
「CAのミーティングが宿泊先のホテルのカフェで
夜の9時からあるから、早目にディナーを食べたいの。ムール貝が大好きって、教えてくれたから、
私が知ってるレストランに行きましょう。美味しいムール貝の料理があるの。」

レストランで運ばれて来た料理は、バケツのような金属の容器に入った、蒸したムール貝だった。
ふたりで白ワインを飲みながら食べた。ムール貝の味がよく分かる美味しい料理だった。
デザートを食べていると、
「ワインを少し飲み過ぎたみたい。あなたの部屋で休ませて。」
レストランからタクシーでホテルに戻った。

ヨーロッパは日本よりも日が暮れるのが遅い。
真っ暗になるのは9時過ぎてからだ。

「7時を過ぎたのにまだ暗くならない。薄明るい。
私、恥ずかしかった。私、若作りしているけど、
32歳なの。あなたよりも5つも年上。がっかりしたでしょ。」
「そんなことないよ。」
「ホント? 私、今年いっぱいでCAを辞めるの。
私の実家は父が経営する小さな会社。兄が後を継ぐために父と一緒に働いていた。でも、3年前に兄は病気で亡くなってしまったの。今年のお正月、実家に帰った時にお見合い写真を見せられて、この人は養子になって俺の会社を継いでくれると言ってくれた。頼む亜希子、この人と一緒に俺の会社の後を継いでくれ、と頼まれた。父は泣いていた、泣いている父を見たのは初めてだった。断れなかった。
私、今年いっぱいはCAの仕事をさせて欲しいと言った。CAの仕事に未練があったんじゃない。一度でいいから、このヨーロッパで恋がしたかった。合コンで無理矢理みたいなのも嫌だった。」
「どうして僕を選んでくれたの?」
「もう一度愛して、教えてあげるから。」

亜希子さんはグラスに入った水を飲みながら、温かい珈琲が飲みたいと言ったので、ルームサービスで珈琲を頼んだ。2人分とは言えなかったので、1人分にした。珈琲の入ったポットもついて来るので、それをふたりで分け合って飲めばいいと思った。
10分ほどで、ルームサービスの珈琲をホテルの人がドアのすぐ外に置いていってくれた。
亜希子さんは美味しそうに珈琲を飲むとカップにポットの珈琲を注ぎ僕に渡してくれた。

「私、学生の時から年下の男の子が好きなの。年上の男の人って苦手。そして、体育会系男子みたいな男っぽくて汗臭い男の人も嫌い。静かに絵を描いていたり、本を読んでる男の人が好き。そして、かわいい男の人が好き。見た目と言うより、その男の人の存在そのものが、かわいく見える男の人が好き。
機内であなたを見た時、私の好みのタイプだと思った。そして、機内の夕食の時、私がお願いする前に和食にしてくれた。優しい人だと思った。もう、こういう人には会えないかもしれないと思った。そしてコースターを渡したの。」

僕が珈琲を飲み終わると、今度は私に飲ませて、
と言ってポットの珈琲を注いで飲み始めた。
「そろそろ行かないと。ここでお別れする。見送ってもらうと泣いちゃいそうだから。ねえ、私のこと、思い出にして、あなたの記憶から消さないで。」

亜希子さんは、服を着て、髪を直し、さっとメイクした。そして、バッグの中から、手帳を取り出し、
僕にくれた。亜希子さんが1年以上アムステルダムに仕事に来ていた間に、アムステルダムの街で、
美味しいと思った料理とレストランの名前が書いてあると言った。

「美味しいご飯を食べて頑張ってね。私も、あなたのことを忘れない。ありがとう。さようなら。」

亜希子さんはドアを開けて出て行った。

翌朝、ホテルのレストランで朝食を食べた。食後の珈琲を飲みながら、亜希子さんに貰った手帳を見ていた。その手帳には、美味しい料理やレストランがぎっしりと書かれていた。
そして、最後のページに、こう書いてあった。

あなたが持っている、最後に私が渡したコースター
あなたが結婚したいと思う人と出逢うまで持っていてね。私も結婚式前日まで持っているから。
亜希子

僕はホテルをチェックアウトしてタクシーに乗り、
アムステルダムにある勤めていた会社のオランダ支社に向かった。
タクシーのなかで、ふたりで見た、オランダのモナリザを思い出していた。

















#忘れられない恋物語

この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?