エッセイ : 海外の方と接する時は、その方の信じている宗教を考慮しなくてはならない(宗教の基礎知識は必要、宗教の違いは知る必要があると思う)

ヨーロッパはキリスト教の国、ホテルの部屋には
新約聖書が置いてある。
ヨーロッパの人たちは、キリスト教のこと聖書のことを質問すると、みんな親切に丁寧に説明してくれる。海外から日本に来た方に、神社仏閣のことを質問されて答えられなかったら恥ずかしい。
僕は仕事で来日したドイツ人の友人を地元の諏訪大社に案内した。
彼は僕に、諏訪大社の神様がどういう神様なのか、そして、正しい参拝の仕方を教えて欲しいと言った
そして、参拝の後、神社と寺の違い、日本の神様と仏教についても質問された。
僕の説明で彼が納得してくれて良かった、と今も思っている。

僕が勤めていた会社のマレーシア工場の方々が来日された時、僕がアテンドしました。マレーシアでは
イスラム教徒の方が多い。僕が1番大変だったのは
その人たちの食事、ハラールと言われるイスラム教上の食事制限です。特に豚肉は食べてはいけない、また豚肉を調理した器具で作られた料理も食べてはいけないということです。
つまり、その人たちの食事をどう確保するか、ということでした。
もう1つは、日に5回行われる、メッカの方角に向かってする礼拝の場所と時間の確保でした。
天皇陛下が各国の首脳を招いて行われる晩餐会での
肉料理に使われる肉は殆どの場合ラム肉です。
これは、ラム肉を食べることを禁止している宗教が殆どないのが理由です。
つまり、これほど気を使わなければいけないことです。

日本人は神様と言えばキリスト教、神様の言葉と言えば新約聖書、となりますが、これには疑問があります。
なぜなら、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は
全く同じ神様を信じているからです。
だから、この3つの宗教の聖地は同じエルサレムなのです。
キリストは神様ではなく、神様と聖母マリア様の間に生まれた神様の子ども。キリスト教はキリストを通して、キリストのお父さんである神様を信じている宗教です。

そもそも、最初にきちんとした形での宗教は何であったか、というと、古代ペルシアの時代に出来た
ゾロアスター教と言われています。ゾロアスターはドイツ語読みするとツァラトゥストラになります。
ニーチェのツァラトゥストラはかく語りき、は
ゾロアスターはこう語った、という書物でもあります。
ニーチェは、仏教は他の宗教よりも100倍優れた宗教であり、1番理論的な宗教であると言いました
相対性理論を作り上げたアインシュタインは来日した時、仏教は世界最高の宗教である。物理学の隙間は仏教が埋めることになるだろう、と言いました。
スティーブ・ジョブズは仏教の勉強をしていたと言われています。
なぜ仏教がこのように評価されたかは、後述します 
ゾロアスター教は数は少ないですが、今でも信仰している人たちがいます。ボヘミアン ラプソディで有名なフレディ マーキュリーがゾロアスター教を信仰する家に生まれたのは有名な話しです。

日本人が神様と言えばキリスト教と新約聖書みたいになってしまっているのは、戦後、アメリカを中心とした欧米文化の影響を強く受けてしまったからだと思います。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は全く同じ神様を信じていて、日本とは違い神様は1人しかいません。つまり唯一絶対神です。
この3つの宗教では
神様はあまりにも崇高な存在であるがため、人間如き卑しき存在が
1、神様に名前をつけるなど、とんでもないことである、とされていて、神様に名前がありません。
神様をヘブライ語でヤハウェ、英語でゴッド、そしてイスラム語でアラーと言います。
よくアラーの神と言う人がいますが、アラーとは
神様の名前ではなく、神様と言う意味です。
2、神様の言葉を授かるのは預言者(未来を予測する予言者とは字も意味も違います。)だけ。
だが、人間如き卑しき存在は神様の話す言葉は理解出来ないとされています。では、預言者はどうやって神様の言葉を理解したのか、簡単に言ってしまいますと、通訳がいた、ということです。
3、人間如き卑しき存在が神様の絵を描いたりするなどとんでもないことである。となっていて、宗教画にはキリストやマリア様の絵はあっても、神様の絵はありませんし、イスラム教では巨大なモスクがあるだけです。

ユダヤ教は作者不明の旧約聖書
キリスト教は新約聖書
イスラム教はコーラン
旧約聖書、新約聖書の約は契約の約です。
つまり、神様との旧い契約、神様との新しい契約
ということです。
ですので、キリスト教徒は旧約聖書を読んだ上で
新約聖書を読んでいます。
そして、イスラム教徒は、旧約聖書を読み新約聖書を読んだ上でコーランを読んでいます。

旧約聖書では神様がアダムとイブをお作りになったがアダムとイブが禁断の実りんごを食べてしまったことからアダムとイブを地上に落としました。
神様はこれにはより、男には労働の苦しみを
女にはお産の苦しみを与えます。
アダムとイブから人類が始まりました。子孫が増え人口も増えていきました。当然悪いことをする人たちも出て来ました。
神様は神の教えに最も忠実な男を選び預言者にしました。最初の偉大なる預言者エイブラハムです。
エイブラハムにより神の教えが広がりますが、また人間は悪いことをし始めました。
そこで神様は預言者のノアに方舟を作ることを命じ方舟に乗っていない人間及び動物たちを洪水で滅ぼします。
つまり、やり直しになったわけです。
その後、人間の文明は栄えエジプトにも文明が栄えます。エジプトではイスラエルの民が奴隷として働かされていました。預言者モーゼはイスラエルの民を開放しますが、モーゼの忠告を聞かなかったために息子を失ったエジプト国王の兵が後を追います。
ここで、映画でも、ドラえもんでも有名なモーゼが杖を使って海を2つに割り、見事追ってから逃げて行くシーンが出て来ます。
モーゼは神様が岩に刻まれた十戒を受け取ります。
しかしモーゼが神様から受け取った戒律は865もあり、神様は最初の十個だけ岩に刻んでモーゼに渡しました。
モーゼ亡き後もこの時の戒律は守るようにされていましたが、865個もの戒律を守れる人間はいませんでした。
ところが、この865個の戒律を全て守る男の人が現れました。イエス・キリストです。
キリストは最初はユダヤ教徒でした。

全ての戒律を守る人はどんな人だろう、ということになり、人々が調べたところ、マリア様が光に包まれて身籠った神様の子どもであることがわかりました。
そこでキリストは神様の子どもであるからキリストの話す言葉は神様の言葉とされ、12人の使徒たちにより記録されて行きます。
これが新約聖書です。
12人の使徒のなかに、ユダという男の人がいました。キリストを密告した裏切り者とされていますが違うそうです。ユダは最も優秀でキリストが1番信頼していた使徒でした。
キリストの教えが広まるなか、新しい宗教に危機感を持った当局がキリストを信じる人たちに迫害を与え始めます。
これを知ったキリストは、腹心の部下のユダに自分を当局に密告するように言います。迫害されている人たちを助けるためです。
ユダは断りますが、キリストに説得され、泣く泣く裏切り者の汚名を負い、キリストを密告します。
キリストは十字架を背負わされ鞭を打たれながら
ゴルゴタの丘に登って行きます。
この時、自分を鞭打つ人を見て、キリストはこう言います。
主なる父よ。この者たちをお許しください。
この者たちは、自分がしていることの罪の重さを知らないのです。
キリストは十字架に処せられ亡くなります。
そして3日後に復活します。
キリストが生まれた年が西暦1年です。

メッカに生まれた大商人の息子ムハンマドは、メッカ社会の現状を憂いて、ヒラー山の洞窟で瞑想していました。
610年、そんなムハンマドの前に
大天使ガブリエルが舞い降り神様の言葉を伝えた。
ムハンマドは神様の言葉を人々に伝えた。字が書けなかったムハンマドが話す言葉は、あまりにも美しく神々しいものであったため、人々は神様の言葉だと信じ広まった。
ムハンマド死後20年後に、ムハンマドが語った言葉を書き記した物が編集されコーランとなった。
大事なのは、ムハンマドは神様から
キリストは神の子ではない。ムハンマドと同じ預言者のひとりである。この地上には25人の預言者が現れるが、ムハンマド、お前は25人目の最後の
預言者である。ムハンマド、お前に神の最終的な教えを伝える。 
と聞いた、ということ。

つまり、イスラム教徒側の主張は、神様はキリストは神の子ではないと言った。ムハンマドと同じ預言者のひとり、ムハンマドは最後の預言者であり、
神様の最終的な言葉を授かったから、ムハンマドの方が、コーランの方が正しいというもの。

神様は最初、ユダヤ人に教えを伝え広めたが、
うまくいかなかったので、キリストに教えを広めさせた。だが、それでもうまくいかなかったので、
ムハンマドに教えを広めさせた、ということになる
イスラム教徒は、大工の息子が神の子であるはずがないと思っていて、キリスト教徒は、神の子でもないただの人間に神が教えを授けるわけがない、と思っているということです。
どちらが正しいかは、これを読んでくださっている方の判断に任せます。

日本は神道と仏教の2つが共存している、世界でも稀な国です。
神道とは神社で、八百万の神と言われる、古事記や日本書紀に登場する神様です。
馴染みのある神様も多いと思います。
神社には大きく分けて2種類あります。出雲大社や僕の住む長野県にある諏訪大社のように、社とつくものです。社という字がつく神社には神様が祀られています。出雲大社は大国主命、諏訪大社は大国主命の息子の1人である建御名方命が祀られています
一方、最後に宮とつく神社があります。これは、
神様ではなく、人が祀られています。日光東照宮ならば徳川家康公、太宰府天満宮なら菅原道真公です
だが、1つだけ例外があります。それは伊勢神宮です。伊勢神宮に祀られているのは天照大神という神様なのに宮となっています。日本の初代天皇は
神武天皇です。つまり、今の天皇家のご先祖様です
この神武天皇は天照大神の子どもです。つまり、
天皇家の家系を何処までも遡って行くと天照大神になるということです。ですので、伊勢神宮となっており、皇室の方々も参拝します。
つまり神道というのは天皇家を中心に時の権力者の協力も得て信じられて来た、ということになると思います。

では仏教ですが、日本の仏教のメインは中国大陸から伝わった所謂中華式仏教です。
日本にある四十九日という考え方はインド仏教にはありません。

仏教の開祖は、インドとネパールの国境付近にあった国の王子ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)です
仏教成立までは歴史の時間に習っているので省きます。
では仏教とはですが、

仏様というは、亡くなった人でもあるのですが、
仏の世界にいる方の総称です。
ですからお釈迦様も仏様です。

仏教の発祥の地はインド地方なので、仏教には梵字と言われるサンスクリット語が出て来ます。
お塔婆にも書かれていますし、お経のなかとかに、呪文の言葉が出て来ますがこれもサンスクリット語です。

例えば、1番有名な般若心経の最後の部分は
阿耨多羅三藐三菩提 
ギャーテイ ギャーテイ ハーラ ギャーテイ ハーラ
観音菩薩
です。このカタカナで書いた部分はサンスクリット語の呪文です。
例えば仏様のお地蔵様、お地蔵様の正式なお名前は
地蔵菩薩という菩薩様です。
呪文は、オン カ カ カ ビ サンマ エイ ソワカです。
上杉謙信で有名な毘沙門天様の呪文は
オン ベイ シラ マンダヤ ソワカで
上杉謙信は戦さに向う時、この呪文を唱えていたとも言われています。
呪文を唱える時に1番気をつけなくてはいけないのは、サンスクリット語の発音を1つでも間違えたら
何のご利益もないということです。
呪文を唱える時は間違えないようにしましょう。

今、我々人間は、
天、人間、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄
の六道のなかの人間というところにいます。
迷いや悪いことをしている内は、この六道のなかで
生まれ変わりを繰り返す所謂輪廻から出られません
ですので、悪いことをすると最悪地獄に行きます。
地獄にも階層があり1番罪の重い人がいく阿鼻地獄は、そこに辿り着くだけでも、2000年落ち続けるらしいので、皆さん、悪いことはしないようにしましょう。

頑張って天に行ったとしても、そこで終わりではありません。天にいる方々は天人天女と呼ばれ、
そのなかの位の高い仏様のなかには、帝釈天とか
毘沙門天とか、天女ならば商売の神様でもあられる
弁才天様や、絶世の美女と言われる吉祥天様がいるっしゃいます。
ですが、仏の世界では1番下に位置します。

仏の世界では位が高い方から
如来様 菩薩様 明王様 天人天女様 となっています。
このなかで、人々を救うことが出来るのは如来様だけです。
しかも、この4つの階層で輪廻しています。
もちろん、仏様にも寿命があります。
如来様になるには、天の段階から52の段階の修行をクリアしていかなければなりません。
今、如来様に1番近い位置にいて、菩薩様のなかの出世頭で次期如来様と言われているのが弥勒菩薩様です。
だから弥勒菩薩様は56億7千万年後の未来に現れて人々を救うと言われています。
如来様になるのは大変なことで、弥勒菩薩様が毎日一生懸命修行されても56億7千万年もかかってしまうということです。
日本史上の大天才空海(弘法大師様)は
自分は56億7千万年後の未来に弥勒菩薩とともに
現れて人類を救う、と仰って亡くなっています。

如来様は4仏しかいません。
阿弥陀如来 : 生ある全てのものを救う
大日如来 : 宇宙誕生の母 宇宙の枠組みの管理
薬師如来 : 人々を病気や怪我の苦しみから救う
釈迦如来 : 人々を精神的な苦しみから救う
となっていて、それぞれの役割があります。
1番偉い如来様は阿弥陀如来様と言われています。
大日如来様の役割からもわかるように、天から下は
地球規模で天より上は宇宙規模という考え方も出来る気がします。大日如来様に母という言葉が使われていますが、女性という意味ではありません。
まだ弥勒菩薩様はそこまで行っていませんが、菩薩様の最も高い位の場所、つまり如来様一歩手前の場所は無色界と呼ばれていて、この段階になると人間の姿は消え、高められた魂だけになり、男性でも女性でもなくなります。
釈迦如来様は仏陀が悟りを開いて如来様になった仏で、釈迦如来様の後継者が弥勒菩薩様と言われています。また仏陀は唯一人間の姿をして人間界に現れた菩薩様とも言われています。つまり仏陀は生まれながらにして菩薩様だったかもしれないということです。
また、如来様のお姿というものはないので、如来様の仏像というものは、人間が書物等から想像した姿ということになります。しかも、男性でも女性でもないため、時には女性らしく表されることもあります。例えば、鎌倉の大仏様は人間が考えた阿弥陀如来様の姿です。奈良の大仏様は人間が考えた大日如来様の姿です。

各仏教の宗派により、ご本尊の如来様が違います。
阿弥陀如来様は極楽浄土をお作りになったので、
極楽浄土の浄土の言葉を取って、浄土宗、浄土真宗
となっていますから、ご本尊様は阿弥陀如来様であることが多いです。大日如来様はその役割から密教系の宗派のご本尊様になっている場合が多いです。
菩薩様も明王様もそして天人天女もたくさんいる。
そして如来様によって側に控えてる菩薩様も違う。
仏教は奥が深いと思います。

では、神道で言う神様は仏教の仏様と比べてどうなのか? ということを誰もが思うと思います。
これに対する見解は読んだこともないし、また
キリスト教の神様と比べること自体無意味とも言われています。
これに関しては、僕個人の見解を紹介させて頂きます。
まず神道の神様は人間の姿をされていて、人間をお守りしてくださっているので、仏の世界では天人天女に該当すると思っています。
キリスト教の神様は、僕は勉強不足なので、きちんと理解していません。ただ言えると思うのは、キリスト教において、神様がどういう位置づけをされているかによると思います。
キリスト教では神様の姿を描いた物はありません。
神様が人間の姿をされていて、人間をお守りくださる神様ならば、天人天女に該当すると思いますが、
もしその神様が、人間としての姿はなく、高められた魂で尚且つ男性女性の区別もなく、宇宙的立場にあるというのなら、如来様に該当し、キリスト教の性格上、阿弥陀如来様の様な感じだと考えます。

ニーチェは、仏教は他の宗教よりも100倍優れた宗教であり、1番理論的な宗教である。といいました。
これに対する僕の見解は、
仏教は他の宗教のような、お伽噺的要素が殆どない
現実的な宗教であること。そして、人間も含む六道にせよ、仏様の世界にせよ。一つ一つきちんと何故存在しているか説明されていることから、ニーチェはこういう言葉を残したような気がします。

アインシュタインが来日した時、仏教は世界最高の宗教である。物理学の隙間は仏教が埋めることになるだろう。と言ったことに関しての僕の見解は、

曼荼羅というものがあります。日本の寺院にもあります。そのなかに、宇宙の根本原理を表した曼荼羅と時間と空間の理論を表した曼荼羅があります。
宇宙の根本原理は、昔の言葉で言うと森羅万象に近いものです。
ところが、この2つの曼荼羅は、ただ、仏様が如来様を頂点にある法則により並んでいる絵なのです。
これが何故、宇宙の根本原理と時間と空間の理論を表しているか? なのですが。
仏様の世界は上述したように、50以上の段階に分かれています。そして、その段階のある空間によって時間の経つ速さが違います。
織田信長が桶狭間の戦いに行く前に舞を踊るのですが、その時織田信長が謳った言葉が有名な
人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか
ですが、人間の一生は五十年という訳は間違いです
下天の内を比ぶれば、までが1つの言葉です。
つまり、人間の五十年は天界の1日にすぎない。
天界での1日に描く人間の夢など幻のようなものだ
というのが正確な訳です。
しかも仏様の世界では位が上がる度に、この時間が長くなります。
弥勒菩薩様が修行されている場所は、兜卒天という所です。弥勒菩薩様の寿命は4000年ですが、
兜卒天の1日は人間界では400年になります。
つまり弥勒菩薩様の寿命は人間界では、
400✕365✕4000=5億6千8百万年
となります。
如来様になるまでの期間に一桁少ないのは、如来様になるのは非常に大変なことで、弥勒菩薩様が1度の寿命を使っても無理で、10回生まれ変わり、
10回目の寿命で漸く如来様になれるということです。そして、如来様の寿命は90億年以上と言われています。
つまり、如来様を頂点とした曼荼羅は、時間の経つ速さの違う空間に存在する菩薩様のような仏様を
ある法則に基づいて並べると宇宙の根本原理を表したり、時間と空間の理論を表すことになります。

一方アインシュタインが完成させた相対性理論は
関係のある部分だけ、ざっと紹介しますが、
相対性理論は時間と空間の理論、及び重力場と空間の理論をメインに構成されています。
138億年前、ビックバンにより宇宙が誕生しました。この時、空間、物質、反物質、時間が生まれました。宇宙が出来る前は、空間も現在も過去も未来もない世界でした。
宇宙空間において質量のない物は光だけです。
ですので、宇宙空間においては光の速さは絶対速度
光よりも速く移動することは出来ません。
何故か? 加速質量のせいです。質量を持つ全ての物質及びエネルギーは速く進めば進むほど重くなります。これが加速質量です。そして、どんどん重くなり
結局光の速さを超えられません。
そして時間ですが、速く進めば速く進むほど時間の経つのが遅くなります。実際に飛行機で移動した時と地上での時間の経つ速さを比べた実験がされましたが、飛行機で移動した時の方が無視出来る差ですが、時間の経つのが遅くなっていました。
つまり、宇宙空間では速く進めば進むほど時間の経つのが遅くなり、光の速さに達すると時間の経つ速さはゼロ、つまり時間が止まってしまいます。
また重力の力が大きいほど時間の経つ速さは遅くなります。巨大な重力の塊であるブラックホールのなかでは、時間は止まったままです。
アインシュタインは来日した時、仏教の説明を聞いた後、自分が生まれるよりも2500年も前に、自分よりも正確に宇宙の根本原理を把握した人がいたと言って驚いたそうです。
アインシュタインは、仏様の世界における50以上の段階にある空間に存在する時間の経ち方が、相対性理論よりも正確だと思ったのだと思います。
だから、物理学の隙間は仏教が埋めることになるだろう、と言ったのだと思います。
これが僕の見解です。

僕は、知っておくべきだと思う宗教の基礎知識を、
ここに紹介させてもらいました。
これだけ知っていれば、海外の方に神社仏閣のことを質問されても答えられると思いますし、他の宗教との違いも説明出来ると思います。
参考になって頂ければ嬉しいです。






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