恋愛エッセイ : 女は肌を露出した服なんて着る必要ないわ、女は男に脱がせてもらうために服を着るんだから(アメリカの女優さんの言葉)
1976年、大島渚監督が、愛のコリーダという
映画を発表した。
日仏合作映画で、大島渚監督が阿部定事件をベースに作った作品だ。
阿部定事件とは実際にあった事件で料亭の店主の
愛人であった阿部定が店主の男性器を切り落として殺害した事件だ。
愛のコリーダは、日本で初めて本番が撮影された
映画で、芸術か猥褻か、で大論争となった。
大島渚監督には失礼かもしれないが、世界中の
ポルノ映画の監督が大絶賛したとも言われていて、
世界中のポルノ映画の監督は、愛のコリーダを見て
勉強したとも言われている。
欧米では、日本に比べて性に対してオープンだ。
僕も若い頃、
仕事でヨーロッパに出張に行ったことがあるが
1日24時間、ポルノ映画ばかり放送している
テレビチャンネルがあるくらいだ。
ヨーロッパの人に、子どもが見たらどうするんだ?
と言ったところ、放送されてしまっているものは
仕方がない、と言った。
嘘をついても仕方がないので、僕もヨーロッパで
そのテレビチャンネルを見たことがあるが、10分も見れば嫌になってしまう。
それは、あまりにもオープンで、あっけらかんとしているために、見る気がなくなって来るからだ。
あまりにもオープン過ぎると逆に何も感じない。
嫌らしい言い方だが、少しずつしか見えないから
見たくなるものでもある。
愛のコリーダと言う映画は大島渚監督が実際に起きた事件をベースに原作も書いている。
僕はこの映画が公開された当時は中学生だったので
見ていないが、名作と言われてもいるということは
ただの、あっけらかんとした作品ではないことは
事実だと思う。
大島渚監督がテレビ番組で、ポルノ映画は悪いものとは思わない、なかには傑作もある、みたいに仰る
っていたのを覚えている。
ただその時、大島渚監督は、今の若いポルノ映画の監督は谷崎潤一郎を読んでいないことが問題だ。
谷崎を読まずしてエロスを描くことは出来ないとも
仰っていた。
男はセクシーな女性に惹かれるものだ。
僕も同じで、セクシーな女性には目が行く。
だが、男が思うセクシーな女性と女性が思うセクシーな女性が必ずしもイコールではないと思う。
肌の露出度の高い服を着た女性を見れば性欲が高まるかもしれない。
だがセクシーだとは思わない。
セクシーとはあくまでも性的魅力なのであって、
イコール必ずしも性欲が高まるではない。
逆に余り肌の露出度の高い服を着た女性には性欲すら感じない、ということもある。
アメリカのどの女優さんが言った言葉か忘れてしまったが、
女は肌を露出した服なんて着る必要ないわ、
女は男に脱がせてもらうために服を着るんだから。
という名言がある。
肌を全然露出していなくても、セクシーな女性は
たくさんいる。
逆に肌を全然露出していないからセクシーなのだ。
1つは想像力がかきたてられること。
もう1つは、肌が露出していなくても、服によっては
そのプロポーションが分かること。
そして、ファッションではなく、その女性の仕草や
言葉遣いにセクシーさを感じるからだ。
僕の友人が愛のコリーダという映画を見ている。
確かに、本番が撮影された映画であることは事実だが、それ以上に女の情念の凄まじさに圧倒されたと言った。
撮影された本番映像はあくまでも女の情念の凄まじさを描くための手段に過ぎないと思うとも言った。
セクシー、つまり性的魅力は身体の一部を見せるものではなく、その女性の心に潜む情念の一端を見せることかもしれないと思う。
女は心のなかに蛇を1匹飼っている。
だが、その蛇がいなくなったら女ではなくなる。
という言葉がある。
女性のセクシーさを出しているのは、その蛇かもしれないと思うこともある。