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陸上部1997~1998.⑴ 【呼吸が乱れて、汗が止まらなくなったら その①】

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1997~1998年。

中学2年生まで陸上部に入っていた。

入学した頃のクラス担任が顧問だと理由だけで、なんとなく入った。
いや、、、

「画伯は部活しないのか?陸上部はどうだ?」

越境入学(特殊な場所に住んでいた)で、周りに知り合いが1人もいない俺は、クラスで誰とも話せていなかった

"この機会を逃してはいけない!"というレーダーに引っかかったように思う。

「陸上部に入ります!」 

俺は走り出した。

それまでの画伯ちゃんは

100メートルすら完走できない病弱なデブだった。
ゴールテープ間近で膝が震えて、観客席から飛び散る

「がんばれーっ!」

俺はずっと飛び散らさせていた。それを俺は覚えている。
しかし、あの時の誰もが俺のことを覚えてはいないだろう。

覚えていないんだ。誰も。

あの時のがんばれーっ!はどこにいったのか?
風の中にも記憶の中にも残らないなんて。

ニセモノの言葉だったんだろうか。

1997.

陸上部は楽しかった。

7時から朝練。学校の授業。放課後から17時まで練習。
一時帰宅。22時まで塾。深夜2時までのお笑いテレビ。

引きこもりの現在には考えられないほどハードだ。
眠たいな~くらいの文句は言うが、充実していた気がする。

意識の欠片も持ち合わせていなかった人生。
親のレールから外れた時間を過ごし始めた。

初めて自分から行動していた。


"生きていること"を疑っていた小学生低学年から、入部までとは違う。
夢から覚め始めていた。

(夢のままの方が良かった部分もあったんだろうな)

自らの行動と決意で仲間ができた。

人間関係の大事さ、何をどう準備すればどんな結果へ繋がるか。
未経験は減っていく。色々知ることができた。

(女子と話すことはなく、童貞は拗らせていく)

好きなことに夢中になったり、無から想像したものを細部まで考える癖は、陸上部でついたように思う。
顧問によるメンタルトレーニングと暴力(愛情50:純粋な暴力50)今の俺の土台を作った

いいこともイヤなことも。積み上がっていく。

この土台が無ければ、今現在ほんとに誰ともコミュニケーションが取れない人間になっていたと思う。

最近(2020年)になって、新しく行動を始めて、新しい人間と絡むことが増えて気づいたんだよな。
これまでの経験すべてを握りしめて、相手に寄り添って本気で接したら素敵なコミュニケーションが取れるってことを。

全力で相手のいいところを見つめて、すべてを受け入れれば関係性は面白くなるって。
今まで学べてたのに、活かせてなかった。活かすのが怖かった。

このポジティブな"シンプルマインド"を信じていく。

目標

当時の写真を見返すと、人生で1番いい顔をして痩せていたように思う。

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入部してからは1つの目標ができていた。
"クラスのモテる運動部より早く走りたい"

1997年中学1年の冬。マラソン大会の当日。

入部して10ヶ月ほど経過していたため、自分でも信じられない速さを得ていた。

同じ環境で競い合う、部活内では気づけなかったんだ。
いざ走りだすと、運動部のモテる奴らと同等のスピードでゴールした

中には負けたやつもいるけど、平均より早い順位になれていた。
モテる奴らの何人かには勝てたんだ。

めちゃくちゃ嬉しくて興奮した。

だって、その1年半前。
小6の秋の運動会では100メートルも走れなくて飛び散ってたんだぜ?

努力すれば、元々体力がありながらも努力し続けてる奴らと同等にまでなれる!そんな事実に

興奮した。

俺に抜かされて、えぇ!?て顔をする運動部のモテる奴らの強まる呼吸音が、俺の肌を切りつけてくるくらい。

ゴールテープを切っても、ワナワナは止まらなかった。


集スト

1998年。秋の終わり。
些細なことで顧問vs陸上部員になったことがあった。

暴力的、そしてセクハラ的になっていく顧問のその日のパワハラ言動で全員がブチ切れた。
俺は過剰なストレスから笑顔なまま思考停止していた。

部員全員による集団ストライキは、1週間の闘争へ。

部員同士の意見はすれ違っても、顧問への怒りは持続したまま。


特に同期の男子部員の意思はかたく、そいつらと同調してるうちに辞めることになった。

体力的に疲れきっていて衝動も混ざっていたと思う。今思うと辞めなければとも思う。

最後までやり切れたら、もう少し社会的な人生になっていた気がするから。


("今"が1番だと信じてるが、それは過剰肯定のごまかしかもしれない)

騒動は結局、辞めたと思った同期の男の2人が戻り、女子たちは全員残ることになっていた。
何があったかわからないが、俺は仲良い奴らに合わせて辞めていった


10km以上走り、筋トレする毎日の辛さから逃げた
短距離、駅伝、砲丸投げ。いろんな中学生選手、プロ選手、外国人選手。

あと1年は味わえた経験から逃げた。

辞めるときに顧問は「続けたら砲丸投げなら近畿大会までいけると思うんだけどな。本当に辞めていいのか?またブクブク太って動けなくなるぞ?本当にいいのか?」

と話していた。

この頃172cm、72kgくらいだったはず。

高校→大学→フリーターを経て、ピークは178cm、115kgを記録していた。太りに太っていった。

顧問...読みは当たっていました...

現在(2020年)はジムとダイエットで、75kgあたりまで痩せたが、陸上部時代72kgは相当筋肉があったんだろうな。見た目が違う。

顧問の言うとおりだった。

残りの経験を捨て、加速した怠惰。まったくモテず童貞だった青春。
変なパンクバンドをして、変なポップソングを作って社会から離れていく。


それでも陸上部時代に身につけた努力する力。
心が壊れるまで面白いことができたのは、こういう経験を経たからだと思う。

全ての経験が、今の人間関係に繋がっている。
出会った皆さん。残った皆さん。新しく出会った皆さん。

支えになっています。ありがとう。

ありがとうと言えるようになるまで、15年以上かかってしまった。


なぜそんなにかかったのか...?

陸上部を辞めてから起きていく不思議な現象に悩まされていた。
身体に起きた異変。変化していく心。

その15年の間。
俺の身に何が起きていったのか?


次回はそこについて書いていく。


呼吸が乱れて、汗が止まらなくなるまで その②へ


つづく。 


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それじゃ次のリハビリでお会いしましょう。


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