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小説「ある日の“未来”」 第9話

「スーパーパンデミック」

 

未来が2階に上がろうとしたその時、電力モニターが、

“ピンポーン”

と、軽快な音を鳴らした。いよいよ電気が切れるのかと、みんなは身構えたが、意外にもモニターからは、

“電気が回復しました。これから充電を開始します”

という音声が流れてきた。どうやら、臨時停電が解除されたようだ。

「なーんだ、脅かすなよ。てっきり電気が切れるのかと思ったよ」

と、だれよりも先に、パパが声を上げた。

「よかった!」

未来もほっとして、スマートフォンに目を移した。

「じゃあ、お茶でも淹れましょうか」

 と言って、ママはキッチンに立った。

「まったく、人騒がせな停電だよな」

パパはそう言いながら、テーブルの椅子を引いた。すると、ばあにゃも寝室から出てきて、にこにこと、いつもの席に座ったのだった。

「あら、寝たんじゃなかったの?」

とママが訊くと、ばあにゃは、

「まだ8時だからね。さすがに寝るには早いさね。電気が戻ったようだから、もうしばらくしてから寝ることにするよ」

と言って、小さくあくびをした。
パパがテレビのスイッチを入れると、いつものように、停電の解除を報せる小さなテロップが、画面の上を流れていた。このところ頻繁に起こる停電は、もはやニュースの扱いにもならない。
その代わりテレビは、感染が急拡大しているスーパーパンデミックのニュースを大々的に報じていた。

5年前に、世界中で猛威を振るった新型コロナウイルスがようやく収まったばかりだというのに、去年、2031年には、それを遥かに凌ぐ強力なウイルスが出現し、人類はこれまでにないスーパーパンデミックに直面していたのだった。

前回の新型コロナウイルスの経験から、人々はマスクやワクチンの生活には慣れていたが、今回のウイルスが高齢者よりも、こどもや若い世代に感染しやすく、重症化のリスクが極端に高いという特徴には警戒していた。
まるで、人類の不吉な未来を予感させるようで、世界中の多くの人々がこれまでにない恐怖心を抱くようになっていたのだった。

「未来もよく気をつけるんだよ」

テレビを観ながら、ばあにゃが言った。

「この分だと、学校は週1回の登校日もなくなって、リモート学習だけになってしまうかもしれないな」

パパがそう呟くと、

「そんなの、いやだよ!」

と、未来は思わず大きな声を出した。
陽葵(ひまり)と会えなくなるかもしれないと思うと、胸がつまった。
昨日まではアバターでしかなかった彼女が、今日の午後の海辺の出会いを境に、現実世界の存在として、未来の心のなかで大きく膨らんでいたのだった。

「リモート学習って、学校に行かないで家で勉強することだろう? それじゃ、友だちと会えなくなって、つまらないねえ」

ばあにゃは、リモート学習の意味を理解したようだ。

「うん。メタスクールで友だちのアバターとはいつでも会えるけど、やっぱり、学校でも会いたいな」

「メタスクールのアバター?  なんだかよくわからないけど、友だちは多いほうがいいよ」

と、ばあにゃは見当違いの返事をした。二人のやりとりを、パパはにやにやしながら聞いていた。

テレビは、かつてない深刻な気候変動に加えて、史上最悪のパンデミックに襲われたことで、人類はいよいよ絶滅の危機に瀕しているのではないかと、多くの識者が本気で考え始めていると伝えていた。

「ねえ、パパ。人類は本当に絶滅してしまうの?」

未来が、ポツリと訊いた。

「うーん、そんなことはない、と言いたいところだけど、このままでは危ないかもしれないね」

と、パパが応えた。
ママはお茶を淹れて、リビングに戻ると、

「あなた、こどもに何てことを言うのよ! そんなこと、あるわけないじゃない!」

と、怖い顔をした。

「こどもの未来を奪うような、そんな絶望的な話をするのはよくないわ」

ばあにゃはお茶をすすりながら、また始まったかという顔をした。ママとパパは、しょっちゅう意見が衝突する。パパはテレビを消して、ママの方に向き直ってから、

「そうは言っても、事実はきちんと認識しておかないと、未来のためにはならないだろう」

と言った。

「でも、事実はまだ不確定なことが多いのよ。私は人類が絶滅するなんて、あり得ないと思っているわ。人類はこれまで、科学の力でさまざまな困難を克服してきたし、これからだって、この子たちのために、何が何でもそうしなければいけないのよ」

「ママはいつもそう言うけど、そんなに楽観できる状況ではないと、ぼくは思うよ」

二人の意見は、どこまでも平行線だ。

「One Health (ワン・ヘルス)という考え方があるよね。人と動物と環境の健康は、一つに繋がっているという説」

「もちろん、知っているわよ」

 生命科学者のママは、パパの言葉に少しカチンときたようだ。

 「その考え方によると、人類は生態系のコマの一つにしか過ぎないから、地球という自然が許容する範囲内でしか生きられないということになるよね」

「そうね」

 ママは意外と素直に頷いた。

「ところが、今や人類は、生態系全体にとっては、まるで、正常な細胞を破壊して無限に増殖しようとする、ガン細胞のような存在になってしまったんじゃないのかな」

「それはちょっと言い過ぎだと思うけど、たしかに人類の活動が、地球の生態系に重大な影響を与えていることは否定できないわね」

「そうだろう。だから今は、地球が生態系を守ろうとして、ガンになってしまった人類を排除しようとしているんじゃないかな。だとすると、人類が本気で地球環境を守らないかぎり、スーパーパンデミックも抑えることはできないし、それができなければ、人類は本当に絶滅してしまうかもしれないよ」

二人の議論は難し過ぎて、未来にはチンプンカンプンだった。

地球温暖化が限界点を超えてしまった今、科学者たちの間では、はたして科学技術が人類を絶滅の危機から救えるのかが、真剣に議論されていたのだった。

従来、スローライフの提唱者たちは、自然への回帰を主張してきた。
今では、多くの識者がワン・ヘルスの考え方に賛同している。

彼らは、宇宙に一つしかないこの地球を、人間も動物も植物も細菌もウイルスも、いっしょに生きていける世界に戻すことこそ、人類が生き残る唯一の道だと主張しているのだった。

人類は生態系の一部として、自然が許容する範囲内で生活してはじめて、気候変動の危機を乗り越えることができるし、スーパーパンデミックからも解放される、と彼らは言う。

そのためには、人類は一刻も早く、これまでの成長神話から目覚めて、経済を持続可能な規模にまで縮小することが必要だと主張しているのだ。 

もちろん、経済界はこぞってこの主張に反対していた。経済成長なしには人類の繁栄はない。これからも、絶えざるイノベーションで、環境と経済は両立できるのだと。

しかし、頻発する異常気象を目の当たりにして、世界中の多くの市民もまた、スローライフの考え方に共鳴し始めている。今、人類がなすべきことは、森を再生し、肉を食べる回数を減らし、自分が食べる野菜を自分で作ることではないのかと。

国連は今年、こうした世界の世論を受けて、今後の科学技術のあり方について、「科学技術基本条約」を採択した。

このなかで、全ての国連加盟国は、今後の科学技術について、
①地球環境の改善と、
②多様な生態系の回復を目的とし、
③生命倫理の許す範囲内において、
研究・開発及び実用化する義務を負う、と宣言している。

これは、これまでの科学技術至上主義を排して、あらゆる科学技術の無制限な開発・使用を禁止する画期的な条約となった。

ここには、人類を、地球という唯一無二の環境のなかで、多様な生物とともに生きる生態系の一部と捉え、人類のみならず、生命全体の調和と共存をめざす、人間中心主義を超越したワン・ヘルス、ワン・アースの思想が反映されている。

ばあにゃはしばらく、二人の議論をじっと聞いていたが、

「悪いけど、先に休ませてもらうよ。未来もそろそろ寝たら? 今日は疲れただろう」

と言って、大きなあくびをした。ひょっとすると、ばあにゃは、海から戻ったときの未来の様子から、いつもと違う何かを感じていたのかもしれない。

「そうね、未来も、もう寝なさい」

と、ママが追い討ちをかけた。

「えー? もうちょっといいでしょ。まだ早いし、電気が戻ったんだから、もう少しパソコンやりたいな」

「寝る前にパソコンはだめよ。それにまだ、お風呂に入ってないでしょ。今日は海に行ったんだから、汚れてるわよ」

「でも、まだお風呂、沸いてないよ」

「それじゃ、シャワーにして、すぐ寝なさい!」

と、ママは少し強い口調で言った。

今日はなんだか、ママは機嫌が悪いな……。

ママからきつく言われて、未来はしかたなくバスルームに向かうのだった。それからママは、

「電気が戻ったことだし、私、やっぱり、これから論文を書くことにするわ」

と言い捨てて、さっさと部屋に入ってしまった。

なんだよ。まだ議論の途中なのに……。

リビングに一人残されたパパは、ブツブツと文句を言いながら、また、テレビを点けた。

 
(続く)

 


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