ラボレムス-西谷ジェントルマン

ヌードルシンガーソングライターの西谷ジェントルマンのnoteです。一人ユニット「ラボレ…

ラボレムス-西谷ジェントルマン

ヌードルシンガーソングライターの西谷ジェントルマンのnoteです。一人ユニット「ラボレムス」で曲の配信など行っております。

最近の記事

【麺随想】いちいち考えの足りないラーメン屋(後編)

 前編はこちら。 3.限定メニュー「太まぜそば」  2021年初春。  僕が例の店に初めて訪れてから、約8か月。年が明けても、コロナ禍は依然世に根強く留まっていた。  比較的寒さ穏やかなある日、いつも通り、ランチ放浪中の僕であったが、何となく気が向いて、あの店の前まで自転車を走らせた。  入口ドア横の窓ガラスに多くのPOPが貼ってある。開店してすぐは、それほど多くなかったが、日が経つにつれ、だんだんと多く貼られるようになった。  そのPOPの一枚に、僕は目を引き付

    • 【麺随想】いちいち考えの足りないラーメン屋(前編)

      はじめに  コロナ渦はじまって間もない2020年初夏のことである。  僕はその日、特に食べたいものを決められないまま昼休みを迎えたのだが、ひとまず昼食をとるために職場を出た。  町を自転車で流していても、行くべき店が見つからない。ラーメン、うどん、そば、パスタ……。候補の店は思いつくが、どうも決め手に欠ける。そういう日は、たまにあるものだ。  貴重な昼休みの時間をあてもなく消費していく中で、僕はなんとなく、普段ならば通らない、私鉄の線路沿いの道へと自転車を進めた。

      • 【ベスト麺・インマイライフ①】味楽園の「冷麺」

        はじめに  そういう自覚は全く無いが、僕も44歳になって人生も折り返しを過ぎたものと思われる。  その半生において、僕はいったい、何杯の麺を食してきたことだろうか。まったく見当もつかない。食べてはみたものの、忘却の彼方へと消え去った麺も無数にある。  しかし、決して忘れ去ることのないであろう、僕の人生にはっきりと刻印された、印象深い麺も多々ある。  そして、それらの麺は、人に紹介したくてたまらない、ハイクオリティな麺ばかりであることは、言うまでもない。  人生折り返

        • 【非麺エッセイ】西谷が思わず口に出して言いたくなる世界の首都名5選

           世界の首都の名前をたくさん憶えている。  というのが、僕のひそかな自慢である。  大学を卒業してから塾講師を生業としている時期が長かった。予備校も含めると、約15年教壇に立っていた。  キャリアの始まりは地元の町塾である。芸大で演劇を学んでいた僕は、アルバイトをしながら演劇やお笑いの活動をするつもりだった。そう考えながらも、まったく仕事も探していなかったのだが、母の知人が経営する塾で、僕の卒業に近いタイミングで欠員が出たので、そこに滑り込ませてもらったわけである。国語

        【麺随想】いちいち考えの足りないラーメン屋(後編)

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          麺の曲の話【NDLs.04】そうだ ラーメン巡りに、行こう。

           この曲の着想を最初に得たのは、2018年2月25日のことである。  前日の2月24日には、平昌五輪のカーリング女子3位決定戦が行われた。  第10エンド。イギリスのスキッパー、ミュアヘッドが投じた最終ストーンはミスショットとなり、日本に1点が追加される。日本史上初のカーリングにおけるメダル獲得の瞬間であった。  僕はその様子を、観音寺市の郊外にあるビジネスホテルの一室で、大興奮しながら見ていた。そのことは今でも明確に覚えている。  今回の曲「そうだ ラーメン巡りに、行こう。」のフレーズが閃いたのは、その次の日のことである。日付に、まず間違いは無いことと思う。    そう。僕はその日、香川県にいた。  2015年の2月に縁あって結婚。翌年の5月には第一子を授かった。  特に子どもが生まれて感じたことは、幸福の質の変化であった。  もともと一人っ子で、何かと一人で物事を行うことを好むところがあったが、子供が生まれてからは、家族との生活の中に喜びを見出すようになった。  まあ、小さい子どももいるのに、一人で麺巡りなんてしていたら妻に怒られるのは明白であるから、そのせいもあるかもしれないが、とにかく僕は一人で麺旅行に行く、なんてことをしなくなった。当然といえば当然かもしれない。  香川県にも2013年以来足を踏み入れていなかった。2004年を皮切りに最低でも年1回以上渡讃していた僕としては、大きな変化であった。  もちろん外食の機会には積極的に麺を摂取していた。しかし、独身時代に比べればその回数は減少する。麺に対する執着とも呼べる偏愛は、少しずつ薄れていった。  家族との暮らしの中で、様々な個人的欲求がそぎ落とされていったようである。  だが、そんな中で、5年ぶりに香川県を訪れるチャンスを得る。仕事の都合で四国へ行くことになったのだ。  職場でその話を聞かされた時、脳から液体がにじみ出てくる感触を覚えた。そしてその液体は瞬く間に全身を侵食した。麺の食べ歩きをしたいという欲求は、僕の場合、液体であるらしい。結婚後、4年間蓋を閉じられていた偏愛は、その時にあっさりと開封された。  前乗りである。絶対に前乗りしなくてはならぬ。脳細胞を総動員して、用件の前日から香川入りするための言い訳を考えた。そして、背水の陣を敷いて、妻と相対した。交渉である。  結婚以来、いや、妻と交際しはじめて以来、見せたことのない顔を見せていたようである。妻はやや気圧されたふうに  「じゃ、しょうがないな」 と、許可を出してくれた。どのような交渉を行ったか、覚えていない。無我夢中であった。必死の思いが、大岩を動かしたようである。  それ以来、没頭である。  どこの店を回るか。まず概要として、あまり行ったことのない三豊市や観音寺市などの西讃地域を攻めることに決め、それから訪問店の選定に移った。麺巡りに割ける時間は、前乗り日と、翌日の仕事までの時間。まる一日と早朝の数時間ほどである。どれだけ回れるかわからないが、行きたい店をピックアップし、優先順位をつけていく。位置関係の把握や営業時間・休業日の確認にも余念はない。  旅は計画を立てている時が一番楽しい、とは世間でもよく言われることだが、まさにそうだ、と思った。寝ても覚めても、香川県のことを考えていた。本当に楽しみであった。  渡讃当日。独身時代は深夜0時発のフェリーを用いていたが、家族もいる中、仕事の名目で行く以上、さすがにそれはやめておいた。あまり利用したことはなかったが、神戸三宮発の高速バスで移動した。  昼前に香川県三豊市着。市役所の庁舎近くのまわりには、まばらな民家と田畑が広がる。よくある片田舎の街並みである。  だが、僕にとっては、黄金風景であった。  雑木林、農道、海岸線、点滅信号、片道1車線、掘っ立て小屋。皆どれもが、金に輝いていた。  もちろん、かけうどんも、ぶっかけうどんも、ざるうどんも、天ぷらも、ことごとく金色であった。  夜は冒頭に述べた通り、観音寺市郊外のビジネスホテルで平昌オリンピックを見ながら過ごした。スーパーで買った刺身をあてに、300ml瓶の日本酒をチビチビとなめる。その記憶さえ、黄金である。  旅は計画中が一番楽しい、などとよく言われるが、嘘だ、と思った。だって、こんなにも輝いている。旅のすべてが、金に輝いているのである。  一日目は、そうして夢心地の間に過ぎていった。  二日目、朝5時半に起床。ホテルを抜け出し早朝から開いているうどんを狙い撃つ。チェックアウトまでに2軒、仕事への移動間に1軒。ラストスパートである。  寒風吹きすさぶ観音寺市内を、日またぎで借りたレンタサイクルで疾走する。金色に輝くうどんを食べ、また次なる金色のうどんを目指す。ようやく白み始めた空の下、早朝の風に吹かれ、僕の頭脳はすっかり明晰であった。    そして、実感する。  生きている。  こんなにも、生きている。  僕は、やはり、こういうことをしていないと、だめだ。だめなんだ。生きていけない。  家庭がもたらす温かな幸福も、すばらしい。もう、そういう幸福なしの生活は、考えられない。  だが、その一方で、麺を求めて駆け回るという、ある意味で、孤独な、切迫した、それでいて僕を解き放つような、そういったものを、僕は欠かすことができない。  僕は、そうやって、生きている。生きていく。  そうだ。そうなんだ。僕は、そうなんだ。   そ・う・だ   ラ~メン   巡りに   ゆ・こ・う~  ……。  突然、僕の頭の中でメロディーが流れた。歌詞付きで。  これは……。  数度、そのメロディーを口元で反復させる。  これは、なかなかいい歌じゃないか。  いや、これはいい曲になるぞ。好きだな、この歌。  そうだ。録っておかないと忘れてしまう。僕は慌ててiPhoneにその歌を吹き込んだ。  それにしても、唐突なことで驚いた。曲のことなんか、まったく考えていなかったのに。  もしかして、これって「降りてくる」ってやつじゃないのか。  歌手がたまにインタビューとかで言っているやつじゃないのか。  だとしたら、めちゃくちゃアーティストっぽいではないか。僕はなんだか誇らしくなった。  まあ、それはそれとして、今の僕は、これ以上はないというほど生命が躍動している。この躍動する生命から湧きあがった創造物が、先ほどのメロディーと歌詞なのかもしれない。  だが、なぜ、ラーメンなのであろうか。  昨日からこれだけうどんを啜っておいて、なぜ「ラーメン」という言葉が湧きあがってくるのだろうか。  あと、なんで明らかに「そうだ 京都、行こう。」のパロディと思われる文章が出てきたのであろうか。  もちろん、このコピーが日本で広く知られた名コピーであることに、疑念をはさむ余地はない。  しかし、僕が今いるのは香川なのである。昨日からうどん県香川を絶賛満喫中なのである。  それがなんだって、京都っぽい歌詞になっちゃうんだろう。わからない。  まあ、でも、人間のことなんて、わかっているようで、わからないものだ。そういうものじゃないか。出てきた歌詞が、ラーメンだからラーメンなのだ、理由など求めても、仕方のないことだ。  なんでそんな歌詞になったのかは、まるでわからないが、この歌が良いものであることは、よくわかった。少なくとも、僕は好きだ。そのことが重要である。  突如湧きあがった歌を頭の中で味わっていると、僕にはもう一つの考えが浮かび上がってきた。  もしかしたら、人はみな、こういうものを持っているのではないだろうか。  こういうものとは、つまり、僕にとっての麺、のようなものである。  自身の生命を湧きたたせるようなもの。自身の心の活力となるような事柄。自身にとって欠かせない要因。  いや、それでは説明が不足している気がする。もっと、自身の生命を根底から突き動かすようなもの。自身の存在そのものを象徴する事物。自分自身と直結している事象…。  そういうものを、誰もが持っているのではないだろうか。  恋愛、仕事、音楽、学問、地位、思想、旅、車、鉄道、物語、アイドル、文房具、ソフトクリーム……。  皆、自身の生命に直結する何かを持っている。そして、それは人それぞれ多種多様なのである。  そこで、さらに思いが巡る。  ひょっとしたら、表現者は、こういうものを表現しようとしているのかもしれない。  自分自身と切り離すことのできないものをモチーフにして、自身そのものを表現しているのかもしれない。  そう考えれば、世間にこれだけ愛のことを歌っている歌があるのも、うなずける気がした。人間各自の生命に直結する事物として、最も共通項として認識されるものが愛ということなのだろう。  そして、僕には、麺。  この考えからすると、僕も麺のことを歌っているようで、実は、その先にあるもっと大きなものを歌っていることになる。  村上春樹っぽく言えば、メタファーとしての麺について歌っている、というところだろうか。  僕に「あなたはこれから麺の歌を歌っていくのよ」とおっしゃったjesse先生。先生も、実はこういう考えのもと、僕に道を示したのではないのだろうか。  自転車から降りた僕は、立ち尽くしていた。  香川の朝日が、僕を照らす。光が、僕の中に染みわたっていくようであった。    僕は、歌う。  麺のことを歌う。  僕の存在そのものを歌う。  なんて、素晴らしいことなんだ。  ライフ・ワークとは、こういうものじゃないのか。    僕は、再び自転車をこぎだした。先ほど降ってきたフレーズを口ずさむ。いい曲だ。確信する。早く曲を作りたい。早く帰らなくては。  でも、その前に、うどんを食べよう。    金色に輝く讃岐路を、僕は、疾走した。  心からとめどもなく溢れる、希望とともに――。 ラボレムス ― さあ、仕事を続けよう。

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          【麺随想】定番と限定 ~約20秒間の宇宙的逡巡~

           盛夏――  今年の夏は、本物の酷暑であったと思う。  11月も終わりに差し掛かった今でも、その酷暑を過ごしたダメージが、体内の隅に残っている気がする。  その日も、予想最高気温が37度を超える日であった。  僕は、郊外のとあるラーメン店を目指し、路線バスに揺られていた。  普段なら、レンタサイクル等で店まで移動するところだが、暑すぎて、やめた。大げさでなく、身体の危機を感じるほどの暑さであった。  自宅からラーメン屋の最寄駅まで電車で50分、バスで20分、徒歩も

          【麺随想】定番と限定 ~約20秒間の宇宙的逡巡~

          【非麺エッセイ】さかなクンと僕

           さかなクンに似ているかもしれない――  僕の顔のことである。  そんなことを思ったのは、30代後半に差し掛かる頃であっただろうか。  僕は眼鏡を常用しているのだが、洗面台で眼鏡をはずした折、鏡に映る自分の顔をまじまじと見ているうちに、ちょっと似てるんじゃないかな、と思えてきたのである。  えらの張った輪郭、やや分厚い唇など、顔のパーツや要素がどことなくさかなクンと共通している気がした。  それで、友人、知人の何人かに  「ねえ、僕ってさかなクンに似てない?」

          【非麺エッセイ】さかなクンと僕

          【麺随想】40分並んで出てきたつけ麺に対して、何をやっとるんだね、君は。

           初夏であった。比較的最近のことである。  平日に休暇が取れた僕は、少し遠出をしてかねてより目をつけていたつけ麺を食べに行くことにした。  電車に揺られ55分。そこから歩いて15分。着いてみると、昼の2時前にもかかわらず、20人ほどの行列であった。さすが人気店である。普段はあまり、行列に並ぶことをしないが、その日はせっかくの訪問である。僕は歩道に沿って伸びる列の最後尾に並んだ。  僕の目前に若い男が並んでいる。20代前半とおぼしきその男は、スマホで声高に話している。

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          麺の曲の話【NDLs.03】Pilgrim in The U.K.K.(その②)

           NDLs(ヌードルス)3曲目、「Pilgrim in The U.K.K」についての文章、第2回目である。  今回はまず歌詞から。 <歌詞> ふと目覚めた午前4時 船の中はすでに起き出して 「海と空のあいだ」は 闇にとけて見えやしないけど 港では煙たて 我れ先にとトラックの列 その隙間を縫うように 西へと駆けてくスーパーカブ 巡礼者を悩ませる この1時間のタイムラグ 朝もやに待ち焦がれたよ やや栄えたこの街のsunrise 暖簾くぐればイリコの香り 胸を満たして行く 早朝から列なす人々 目指すは銀のタンク (かけ一玉) 負けじと玉をもらえば コックひねってダシ満たす 一筋すすれば異次元の食感にコシ抜かす そう The U.K.K The U.K.K is inside of you 陽はようやく高くに 乾いた風肌すり抜けて スーパーカブはさらに 西へと目指し突き進んでく 国道32号 巡礼者の進むべき道 イオン右に感じて やっと開く栄光のgateway 左に曲がったならば 後はまっすぐ行くだけ 川越えて橋越えて森越え 山越えてたどり着いたんだ トタン屋根を抜けるとそこには 果てなく広がる庭園 調味料コーナーにそびえる 専用ダシボトル (かまたまやま) 麺とタマゴに紡ぎ出された 宇宙大のハーモニー 熱でやや固まった黄身には真理が宿るか そう The U.K.K Here's center of the world 陽が落ちれば程なく フェリー通りにネオンきらめいて 巡礼者の夢路は ついに果てへと差しかかっていく 夜にまぎれ忍び寄る 無味乾燥の生活 せめて今だけはそんな日々を つるっとまるっと飲み込みたいんだ 先制のパンチがお出迎え 刺激的な spicy smell ここでの夜のシメはもちろん ラーメンじゃないぜ (カレーうどん) ダシで割ることのないカレーと 麺の直接対決 剛と剛が織りなす総括究極ランデブー そうThe U.K.K かけ ひやかけ ぶっかけ ざる 肉 かまあげ 生じょうゆ しょうゆ ひやひやあつあつあつひやあつ しっぽく 釜バター (冷天おろし) 高松 さぬき 三木 綾川 まんのう 宇多津 多度津 善通寺 丸亀 坂出 東かがわ 三豊 観音寺 琴平 そう The U.K.K. The U.K.K is inside of The U.K.K Here's center of the world for The U.K.K You don't have to worry, Udon there's The U.K.K The Udon-Ken Kagawa is in you! <題名・歌詞について>  前回も述べたが題名「Pilgrim in The U.K.K.」は「うどん県香川巡礼者」を意味する。この「うどん県」という呼称は2011年から使われており、現在でも香川県内各所で使用されているようである。  で、曲のタイトルにまで使っておいてこんなことを言うのもなんだが、僕にはこの「うどん県」という呼称について、特に思い入れがあるわけではない。観光政策の一環として始まったのであろうが、僕自身初めて耳にした時から「へえ、そうか。」ぐらいの気持ちの動きであった。少なくとも自分から進んでこのワードを口にしたことは一度もない。  ただ、今回の題名に限って言えば、「香川県」だと「K.G.K.」になるところが、「うどん県」のおかげで「U.K.K.」にすることができた。「Back in The U.S.S.R.」みたいでカッコいいではないか。その点で、うどん県香川の命名センスに、感謝である。  ちなみに、丸亀市も一時期「うどん県骨付鳥市」を標榜していたことがあるが、こちらは定着しなかったようである。まあ、そういうこともあるだろう。  歌詞について。今でも楽曲について1番、2番みたいな言い方をするのか不安を感じるが、この曲は3番まであり、エンディングでうどんメニュー、香川県内自治体羅列が配置されフィニッシュという構成になっている。  1番から3番までそれぞれ、かけうどん、かまたまやま(釜玉うどんに山芋をトッピングしたもの)、カレーうどんが登場するが、すべて現存する実在の店をモチーフにして作詞している。  そして、その店がどの店なのか、1~3番の同じ箇所で暗示している。いや、暗示というよりはハッキリと店名を組み入れている。  讃岐うどん好きであれば、歌詞の内容を俯瞰しただけで、すぐに店名が浮かんでくるかもしれないが、僕としては結構苦心しつつ凝って作った箇所であるので、是非探してみてほしいと思う。探し当てられたら、僕にこっそりとDMでも送ってみてほしい。当たっていたら、商品は出ないが、「さすが」という賞賛を送りたい。  それで、店名がハッキリしたら、歌詞のモチーフがいま現在の香川県ではないということに気づかれる方がいるかもしれない。一部の店では、歌詞に出てきた当時と営業形態が変わったり、営業時間が変わったりしている。冒頭に登場する「ジャンボフェリー」なんかも今と昔では運航ダイヤに若干の変動があった気がする。僕が気づいていない部分で、現在との差異が発生している箇所があるのかもしれない。    この歌詞に出てくる香川県と讃岐うどん店の姿は、僕が最も讃岐うどん巡りに熱狂したころのものである。だいたい、2005年~2010年ぐらいのことであろうか。  具体的なうどん店の情報なども歌詞に取り入れているわけだから、最近の情報なども加味して作詞するべきだとも思ったのだが、そこは、やはり僕の真なる感情、記憶を投影するために、あえて当時の情報によって作詞を行った。  だから、この曲を聴いてもらった大部分の人には「讃岐うどん巡りって、そんな感じなのか」という印象を持たれるのかもしれないが、一部の讃岐うどん愛好家には違和感を感じられたり、ある意味でノスタルジーを感じていただけるのかもしれない。  それならそれで、素晴らしいことだし、創作というものの多様な面が出ているのではないだろうか。  今回の作詞では、僕の中にある郷愁にも似た讃岐うどんへの想いを形にした。別の作品では、そうでないこともあるだろう。僕が今から1年間かけて香川県を巡りまくったら、それはそれでまったく別の作品が生まれるのかもしれない。  率直な自分を出したら、こうなった。そういうことである。  そして、それが素晴らしいことなのだろう。僕たちが商業目的によらず、創作に取り組む意義である。  本来の自分を創り出して、確認して、活力を得て、また進みだす。  趣味で、いいじゃないか。こんなにも充実した趣味はなかなか見つけられないだろう。歳をとっても続けられる。まったく、素晴らしい。  歌詞について、もう一つこだわったところがある。最後の香川県自治体の羅列である。並びの順序について、おそらく70パターンは試したであろう。作詞が煮詰まった頃の僕は、空いた時間にずっと「高松、丸亀、坂出…」とつぶやいていた。そして、僕としてはベスト・オブ・ベストの配置を導き出し、現行歌詞の並びとしたのである。語感が心地よく無理もない上で、緩急もついた。現時点では最高到達点と感じている。  ちなみに、香川県の自治体ではあるが、直島町と小豆島町、土庄町が入っていない。すべて離島内の町である。  直島町は芸術の島だし、小豆島はそうめんの島だから、今回は割愛した。直島はちょっとわからないが、僕がそうめんの歌を歌いたくなったら必ず小豆島が歌詞に登場するだろう。それもまた、一つの楽しみである。   <曲について>  サウンド面について。僕がこの曲の草稿を、「今回は讃岐うどん巡りの歌です」と、Jesse先生に提示したところ、意外ですね、という答えが返ってきた。  「うどん巡りの曲っていうから、もっとのんびりした曲と思ってましたけど、なんていうか…すごく疾走感のある曲ですね。」  なるほど。たしかに意外と取られるのかもしれない。  香川県という、いわば地方の県で、うどんという郷土的な食べ物を求めて巡るわけである。字面だけを見ると、実に牧歌的な印象を受けそうなものである。  しかし、まさにこの疾走感こそが、この曲の、ひいては、讃岐うどん巡りにおける肝要であると思う。  讃岐うどん店の開店は早い。一番の歌詞にも出てくるような、ごく早朝から開店する店はまれだが、製麺所・セルフタイプの店なら7時開店の店などはザラにある。9時には大半の店が開いている印象である。  そして、それら製麺所・セルフの店が夜まで開いている、ということは、まずない。一般店や都市型のセルフ店ならば夜まで開いていて、お酒など嗜みながら…ということは、たまにあるが、基本的に讃岐うどん店は14~15時には閉まるという認識で間違いない。  では、朝から15時ぐらいまでに訪問すればいいのだな、という考えでうどん巡りの計画を立てようとすると痛い目に合う。  基本的に、製麺所・セルフ型の店舗において、うどんは茹で置きである。うどんは太さにもよるが、茹で上がりに15~20分の時間を要する。製麺所・セルフ店では客単価が安く、回転が非常に重要であるため、多量のうどんを茹で、水で締め、1玉ごとに取り分けておく。一度茹で上げられた麺は、当然ながら時間が経つごとに伸びてコシが失われていく。そのように鮮度を無くしたうどんを食べてみたところで、そのうどんが持つ本来の味わいを享受することができないのは明白であろう。  つまり、その店が提供するうどんの本来の実力を味わいたいのなら、うどんがよく循環している時間、すなわち、客足の多いピークタイムを狙わなければならないのである。  これは、僕の経験則かつ完全な主観だが、香川県においてうどんは朝・昼の食べ物である。早朝から昼時にかけて、うどん店には大体において客がいる。9時や10時などの半端な時間であっても、である。  それが昼のピークタイムを過ぎたころになると、パタッと客足がいなくなる。飲食店というものが総じてそういうものなのかもしれないが、僕が香川で感じたその印象は、特に強い。  つまり、讃岐うどん巡りにおける重要な時間帯は、9時から13時ごろでそれほど長くない。その短時間の間に、どれだけ多くのターゲットへとアクセスできるのか、それを綿密に計画しなければならない。  そして、その計画をもって、香川県内を駆け抜けるのである。疾走するのである。    これが僕にとっての、いや、恐らく数多いる県外讃岐ウドニストにとっての、讃岐うどん巡りというものである。    この、疾走感というテーマについては、曲内で存分に発揮できたと感じている。  実際に、僕と香川県内をレンタサイクルで巡った後輩のI原くん、彼をしても  「先輩と駆け抜けた香川の感じがよく出ているッス! 最高ッス!」  との褒めちぎりようであった。鼻が高い。いい後輩である。褒めてくれる人は宝物である。      さて、曲調について、もう一つJesse先生がおっしゃったことがあった。  完成した曲をお聴きになって、  「これは見事なファンクですね。うどんファンク。」  ファンク……。  僕の頭の中でワイルド・チェリーの「Play That Funky Music」と、映画「ロッキー4」の劇中でジェームス・ブラウンが歌う「Living in America」が流れた。きらびやかなステージの上、試合前のアポロ・クリードが、JBのかたわらで軽やかなステップを踏む。  僕のファンク経験はそれぐらいのものだ。しかし、先生はファンクだという。  僕の幼少期からこれまでに至る音楽経験の中に、その他のファンク体験があったのだろうか? 曲作りにまで影響を与えてしまうような?  おそらく、自分でも気づかない程の規模で、それは起こっていたのだろう。そして、ファンクの粒子は、僕の中に、徐々に堆積していったのだろうと思う。  時を経て、それがうどんファンクとして花開いたのである。うどんファンク。聞いたことがない。おそらく世界で唯一であろう。  そんなわけで、全く無自覚で作り上げた、世界唯一のうどんファンク 「Pilgrim in The U.K.K.」。  改めて、香川県を一緒に疾走していただければ、幸甚の限りである。  ラボレムス - さあ、仕事を続けよう。

          麺の曲の話【NDLs.03】Pilgrim in The U.K.K.(その②)

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          麺の曲の話【NDLs.03】Pilgrim in The U.K.K(その①)

           NDLs(ヌードルス)3曲目。タイトル「Pilgrim in The U.K.K」は「うどん県香川巡礼者」を表している。  すなわち、讃岐うどんの食べ歩きをテーマにした曲である。 <僕と讃岐うどんのこと>  僕が初めて香川県を訪れたのは、大学を卒業した次の年だったから、もう20年も前のことになる。  当時、「麺通団」の「恐るべきさぬきうどん」シリーズが一世を風靡しており、讃岐うどんブームがピークに差し掛かったころであった。と記憶している。  当然、学生時代の僕も讃岐うどんへの想いを募らせまくり、日々インターネット検索に勤しむ毎日だった。そして、卒業後塾講師として小銭を稼ぎ始めたところで、満を持して渡讃を果たしたのであった。    原付で深夜の神戸港第3突堤へ(当時は曲中にあるスーパーカブではなく、ごく普通の50㏄スクーターに乗っていた)。加藤汽船「ジャンボフェリー」へ乗り込むと、興奮のままデッキへと歩みだし、漆黒の海を眺めた。明石海峡大橋の下をくぐりぬける。胸の高鳴りとともに下から見上げた、あの堅牢な橋桁の姿を、僕は恐らく一生忘れないだろう。    早朝4時。高松東港フェリーターミナルに到着。  僕はあえて、インターネットカフェに入店し、仮眠をとる。最初に訪ねる店は、必ずここ、と心に決めている店があった。  綾歌郡綾川町にある「山越」である。  釜玉うどん発祥の店として名高い山越は、当時から讃岐うどん巡りの象徴のような店であった。GWともなれば、1時間待ちは当たり前という。回転の速い製麺所・セルフ系の店では異例のことであった。  高松市内から西へ西へとバイクを走らせる。当時はグーグルマップなど、もちろん無い。昭文社の地図を何度も確認しながら、店へとアプローチしていくのである。  8:45に到着。9:00開店のはずであったが、すでに客の姿が見えた。今だからわかるが、讃岐うどん店には、よくある話だ。なんとなくアーリーオープンしているのである。  慌てて入店し、念願の釜玉うどんを注文する。平日オープン直後で人も少なかったので、奥の広いスペースではなく、注文口の近くのテーブルに腰掛ける。かまたま専用のだしをかけ、よく混ぜて、すする。そして、麺の表面に僕の歯が侵入していく。    イカ…?    僕は、いつの間にか、恐ろしく上質な、イカを食べていたのであろうか?    いや、違う。その表面は確かにイカのように滑らか、かつ強靭であるが、歯を入れれば実に適度な抵抗と粘りを残しつつも、サクッとかみ切れる。そして、後には小麦の芳しい風味を鼻腔、口腔に残すのである。  夢中で、すすり上げた。脳髄が次の一筋を、次の一筋を、と求めるのである。  本当に、一分とかからず、残った卵の黄身まで、完食していた。  食べ終わった僕は、うっとりと……する間はなかった。  僕の完食を見届けたお店のおばさんが、僕にこう声をかけたのである。  「お兄ちゃん、おかわり、する?」  おかわり……?  うどん店でおかわりなど、聞いたこともない習慣である。どうするか。  いや、いけない。この後もまだまだ店をめぐる予定である。この店でおかわりなんぞしようものなら、後の訪店に響くことは間違いない。そのために天ぷらも我慢したのである。ここは、グッとこらえて次の店へ向かうべきである。  と、思う間もなく「あ、ください」と、おかわりしていた。    かまたまうどんは熱いうどんだったので、冷たいうどんがどうしても食べてみたくなった。  先ほどとは全く異なる食感が僕に襲い掛かる。実に筋肉質な麺の精鋭たちが、僕の口内を暴れまわったのである。    2泊3日の旅であった。15件の店を訪れた僕が、胃袋に納めたうどん玉は、実に25玉にのぼった。  最終日には、うどんを見るのもしんどい状態であった。しかし、家に戻って一週間も経つと、また香川に行きたくなっていたーーー。  初の香川行で、僕はもちろん讃岐うどんに魅了された。  その年だけでも、僕は4回香川県を訪れたし、キャリアで見れば20回は下るまい。訪問した県内のうどん店も、100店を優に上回るはずだ。  歳を重ね、生活も変わり、さすがに以前のように気軽に香川県を訪れることはできなくなった。  しかし、そんな今でも僕にとって香川県とは「1.5番目の故郷」と呼んではばからない心の楽園である。時として身を焦がすほどに讃岐うどんが恋しくなり、思いを馳せるのである。    一体、なぜ僕はこれほどまでに讃岐うどんに惹きつけられるのだろうか。  ここで言う讃岐うどんとは、香川県で食べるうどんのことを指している。讃岐うどんに魅了されてからというもの、近畿圏のうどん屋も食べ歩き、幾多の素晴らしいうどんに出会った。それこそ、香川県のうどん店で修業した店主が作るうどんに感服したこともあったのである。  そのような感動は、しかし、香川県で食べるうどんから得られる衝撃的な幸福感とはどこか違うものであった。  讃岐うどんの魅力が語られるとき、しばしばうどんの外的要因について言及される。ロケーション、店舗のたたずまい、注文方式、店のおじさんの素朴さ…等々。僕は、その意見について一部分では同意する。  フェリーに乗り、バイクを山間部へと走らせ、プレハブ小屋でうどん玉をもらい、のどかな田園風景を前に、麺をすする。旅情もあいまって、まさに非日常を享受できる瞬間である。その非日常の空気が、讃岐うどんを特別なものにしている一要素であるのは間違いない。  しかし、讃岐うどんの魅力の核心は、やはり讃岐うどんそのものにある。  優劣をつけていると誤解されるかもしれない。決してそうではない。そのように誤解されることは僕が最も不本意とすることだ。  だが、そのような誤解を恐れがながらも、僕はあえて言わねばならぬ。    讃岐うどんは、他のうどんとは本質的に異なるのである。    そして、その差異は、多少のものではなく、決定的なものなのである。  その差異について、言葉で説明するのは大変難しいことのように思う。一口に讃岐うどんといっても、それがまた個々で様々な特質を備えている。  嚙んだ時にゴチッと固さを感じるもの、細くて表面は柔らかいが嚙み切れないほどの粘りを感じるもの、温めてすするとグイーンと伸びるもの…讃岐うどんのバリエには計り知れないものがある。  だが、あえてそれらの共通点を言葉にするとすれば、「密度」ではないかと思う。    讃岐うどんは「密度」を感じさせるうどんである。噛んだ時の香り、歯ざわり、そこには小麦のエッセンスがぐっと押し固められたようなニュアンスを感じる。しかし、決して不快な固さを持つわけではない。絶妙な歯ざわり、喉越しが、僕を幸福にするのである。そのような絶対的均衡を保つ「密度」が讃岐うどんの本質と、僕は感じている。    それならば、その「密度」を成立させているものはなんであろうか。  僕は、それを「文化」と考えている。  讃岐うどんの質を高めているものが何かを考えれば、粉、水、塩分濃度、技術、温度……と、様々な要素が考えられる。こうした要素が総合的複合的に絡まり、讃岐うどんを讃岐うどんたらしめている。  そして、そういった複合的要素は、歴史や、人々の生活習慣が築き上げてきたものであろうと考えている。    讃岐うどんの歴史は深く、元禄時代の屏風絵に金刀比羅宮の参詣道にうどん屋が描かれているものがあり、その時代にはすでに市民の間で一般的に食されていたことがわかる。  また、香川県ではうどんが離乳食としても一般的に用いられている他、一部の地域では新築に引っ越した際に風呂場でうどんを食べる風習があるという。  あるいは、7月2日が「うどんの日」と制定され、香川各地でうどん関係のイベントが行なわれるのであるが、これは7月2日ごろが例年雑節の「半夏生」にあたり、讃岐地方の農家でこの頃までに田植えや麦刈りを終え、半夏生には労をねぎらうため、うどんを打って食べる習慣があったことに由来しているという。  うどんという食物が、いかに生活に根差しているかが見て取れる。  それほどまでに、香川県という地域に長い時間連綿と受け継がれてきたうどんという麺は、ゆっくりと、着実に、ブラッシュアップされ、質を高めてきたのである。  それは、技術の発展であったろう。材料の向上でもあっただろう。そして、何よりも、それを作り上げ、享受し続けてきた人間自身の発達でもあったに違いない。  長い時間をかけ、うどんという麺を高め、食してきた香川人。そうして培われてきた彼らのうどんに対する感性は、我々他地域人の計り知れるものではないのかもしれない。彼らが追求し、認識しているうどんの食感、風味、喉ごし。そういったものは我々の想像の及ぶレベルよりも、遥かに高い上空にあり、それが香川全土に降りそそいでいる。  こういった、総合的な要素、ひいては、香川人の中に脈打つうどんへの認識・解釈が、讃岐うどんを至高の麺類へと押し上げている、と僕は考えるのである。  そして、このような考えをあえて一つの言葉にまとめ表現したときに、僕は「文化」という言葉を選び出すのである。  それは、その場所にだけ存在するものである。  それは、長い時間をかけてゆっくりと醸成されてきたものである。  それは、他の人間たちには、真髄まで理解できないものである。  それが、「文化」というものでないだろうか。  そして、僕たちは、時として「異文化」というものに強烈に惹きつけられる。  僕にとっての讃岐うどんは、まさに、この「異文化」であった。それも、距離的には身近にある、それでいて驚異的な「異文化」であった。    僕はこの文章を書いている今も、僕の人生における最も強大な「異文化」に、恋焦がれている。  4000字近くなった。なぜだ。今回こそは歌詞のことと曲のことを主として書こうと思っていたのに。  むしろ、今までの3曲で最も長い麺エッセイになってしまっているではないか。  ひとまず、この項はここまでにして、続きは次回にしよう。ここから歌詞と曲のことを書いても、なんかもう、おなか一杯であろう。読者も僕も。    今日のところは、これで。いや、歌詞も曲も、書きたいことはいろいろあるんですよ。また、読んでくださいね。本当に。早いうちに書くんで、いやマジで。  ラボレムス - さあ、仕事を続けよう。

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          【非麺エッセイ】歩車分離式

           前回、四文字の駅名に対してのこだわりを記した僕だが、最近になってまたしてもあるワードが気になって仕方なくなっている。  「歩車分離式」という言葉がそれである。  皆さんも信号の下にこの言葉が書かれた看板がぶら下がっているのを、一度ならず見たことがあるだろう。  この信号機は文字通り歩行者用の信号と自動車用の信号を分離していて、歩行者が通行中は自動車用の信号は全て赤になり、実に安全である。  その一方、どうしても時間がかかってしまうというデメリットもある。

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          【非麺エッセイ】漢字四字の駅名

           漢字四文字の駅名が好きだ。  ということに最近気がついた。  「関目高殿」とか「鴻池新田」とかいう名前を聞くと、なんだか心の琴線が震えてしまうのだ。 「なんかいいな」という気持ちになってしまう。  しかし、漢字四文字の駅名なら何でも良いというわけではない。  例えば「甲子園口」とか「北鈴蘭台」とかはよろしくない。  一字+三字とか三字+一字の構成はいけない。グッと来るものがない。  それに比べると漢字四文字の地名がそのまま駅名になってるものは、しっかりまとま

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          麺の曲の話【NDLs.02】つけ麺讃歌

           2曲目。タイトル通り、つけ麺をテーマに作曲した。    僕は麺という名のつくものなら、分け隔てなく愛することをポリシーにしている。どんな麺にも必ずストロングポイントがあるはずで、それを見つけ出すことこそが、真に愛麺家と呼ばれる者の振舞いではないだろうか?  自称麺好きが「あの店、マズいわ」とか声高に麺を罵っているのを聞くと、僕は思わず固く拳を握りしめてしまう。心の中で。そもそも、マズいという言葉をあまりにも簡単に…  いけない、初っ端から怒濤の勢いで本筋を外してしまった。  だが、上記の考え方は僕と麺とのあり方において非常に重要な考え方で、このテーマで一本曲を書く準備がある。またの機会に。    それで、何が言いたかったのか。  そう、それほど全ての麺に愛を注ぐことを矜持としている僕だが、あえて「一番好きな麺料理はなんですか?」と聞かれれば、「つけ麺」と答えることになるだろう。この曲は、僕が一番愛する麺に対する、感謝、賞讃、あるいはそれ以上の感情をぶつけた、まさに「讃歌」である。  僕のつけ麺との出会いは、約20年前の話になる。  大学生当時、ぼちぼちインターネットも広く普及しだして、麺の情報も以前よりは気軽にキャッチできるようになったわけだが、その中で、関東を中心に「つけ麺」が食されており、「大勝軒」が老舗として広く認知されている、という情報を、ボンヤリと知るようになった。  そんな「大勝軒」の、しかも総本山ともいえる「東池袋大勝軒」の親戚筋が西宮にあるという。それを知った僕は早速、西宮「大勝軒」に駆けつけた。そして「もりそば」に出会ったのである。  ややぬるめに締められた中太麺を甘酸っぱいつけ汁で食す。今でこそ僕の魂に刻み込まれた味、とも言える大勝軒の「もりそば」だが、若き日の僕には鮮烈な衝撃を与えたものである。  いったん、茹で上げられた後に水で締められた麺は、明確な存在感を持ち、それが口の中で暴れ回る。麺の風味もハッキリと感じられ、いつまでも咀嚼したい思いに囚われる。  見た目はラーメンの麺とスープを分けたものだが、麺体験としては異なっている。まるで違う。  そうか、今まで様々な麺を食べてきたわけだが、僕は実は麺そのものが好きだったのか。スープとの調和よりも、麺の食感、風味に重点を置く人間だったのか。  「もりそば」との出会いは、そんな風に自分の気づかなかった一面もあらわにしてくれたのである。  ハマった。見事にハマった。当時、関西でつけ麺を出している店はかなり少なかった。夜な夜なネットで検索をかけては店をリストアップし、休みの日ごとに訪問する日々だ。  梅田2ビル「楼蘭」、茨木「ほんまの老麺や」、摂津富田「きんせい」…。愛車のスーパーカブを駆り、つけ麺があるといわれる店を回りまくった。  社会人になってからは、夏休みに青春18きっぷで関東に向かい、やはり啜りまくった。  早稲田「べんてん」、板橋「道頓堀」、町屋「勢得」…。東京つけ麺のレベルの高さには、本当に舌を巻いたものだった。「東池袋大勝軒」にも、もちろん訪問したのだが、そこにはまた一筋縄でいかぬドラマがあった。別の機会としたい。    そのうち、関西の麺文化にも変化が訪れ、つけ麺環境にも変化が起きていった。  とりわけ僕にとっての大きなトピックは「麺哲グループ」が台頭したことだろうか。彼らの紡ぎ出す美しい麺には今でも魅了され続けている…。  ただ、こうして見てみると、ラーメン店、つけ麺店のサイクルの早さを実感する。上記の店には、すでに閉店、あるいは移転したものが多い。  僕がはじめてつけ麺に出会った西宮「大勝軒」も、一度早稲田に移転し、その後尼崎に帰ってきて、今は開店日を制限して運営されている。永く続いてほしいものである。ちなみにいまの店名は「和楽大勝軒」である。  えーと、すごい長文になってしまったよね。  「麺の曲の話」としながら、つけ麺の話しかしてないよね。  まあ、そうい想いや、歴史を、全部詰め込んだ歌ということですわ。    サウンド面では、Queen「ボヘミアン・ラプソディ」みたいに、万華鏡のような、次々と展開のある楽曲を目指した。  けれども、この「つけ麺讃歌」に一番色濃く影響を与えているのは、おそらくマーラー「交響曲第8番」かな、と思う。  僕は、高校時代にクラシックの、それも声楽入りの交響曲にハマった時期があって、マーラー第8の第一楽章をほぼ毎日聞いていた。  この曲の第一楽章には色んな曲評があって、大袈裟すぎる、なんて否定的な意見も少なくない。  しかし、高校生の僕にとっては劇的な壮大さが宇宙を感じさせる曲だった。間違いなく青年期の僕の価値観を育んだ曲といっていい。    結局、創作物にはゼロから作られたものって何一つないのだろうと思う。  人生のどこかで影響を受けたものが、様々な角度で入り込んでいる。そういうものなのだろう。  それだけに、何を読み、何を聴き、何に触れたか。これが肝心となってくるのだろう。    本当に長くなった。僕のつけ麺への思いと、これまでに積み上げた音楽と。改めて、お聴きください。    ラボレムス - さあ、仕事を続けよう

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          麺の曲の話【NDLs.01】拉麺紳士

           アコースティックユニット「ラボレムス」のボーカル、作曲・作詞担当にして唯一のメンバー、西谷ジェントルマンと申します。ヌードルシンガーソングライターを自称し、麺の曲を作っては歌っております。  5月より、YouTubeで自作のヌードルソングを公開し始めまして、皆さまにご視聴いただいております。ありがたい限りです。  今後はnoteに曲のことを中心に、麺のこと、日々のこと、様々なことをつれづれとつづっていきたいと思います。  お時間あればお付き合いください…。 【NDLs.01】拉麺紳士  NDLs(ヌードルス)その1は「拉麺紳士」。  順序的にも、心情的にも、僕がヌードルシンガーソングライターとしての第一歩を踏み出すこととなった曲である。  実は、この曲を作曲するまでにもいくつか曲(非麺ソング)を作っており、それらの曲を街フェスとかコンクールとかで歌っていた。  自分の状況もいろいろ変わり、そういう対外的に歌う場には出なくなったのだけれども、曲作りは細々と続けていた。  そんな中で、一度思いっきり個人的な、自分の好きなものに特化した曲を作ってみようと思い立ち、ラーメンの歌を試作してみたのである。  今でもそうだが、曲作りは僕がメロディと詞を考えて、jesse先生に肉づけをしてもらう、という形で行われる。  ということで、試作したラーメンの曲もレッスンに持ち込み先生に聞いてみてもらったところ、はっきりと、 「これは歌詞を全体的に直したほうがいいですね」 とおっしゃる。  僕は、あれっ、と思った。  それまでの曲作りにおいては、簡単な直しは入るものの、大きな修正に言及されることはなかったのである。  ところが、この曲については何度も修正の指示をいただいたわけだ。しかも、 「もっとラーメンにフォーカスを当てたほうがいい」 「あなたの持つ言葉をフル活用してラーメンのことを表現するのよ」 さらには 「あなたにとってラーメンとは何なのか、真剣に向き合ってください」    jesse先生の具体的かつ、情熱的な、僕の人生にも踏み込むような指導が炸裂する。  僕としてはけっこう思いつきで作り始めた曲なので、随分うろたえたものだが、どうにかこうにか指示の通りに、直しを入れていった。  結局最初の試作から4か月ほどかかって、完成に至ったわけだが、やはり初稿に比べると、別次元の良い作品になったと自負できる曲になっていた。  西谷にとってのラーメン、西谷の人生とラーメンのクロスオーバー… こういったものが十二分に表現できた、特別な曲になったと感じた。  さて、この曲が完成してからしばらく経って、次の曲の制作に取り掛かろうと、jesse先生に相談したところ。 西「先生、次の曲に取り掛かろうかと思います。」 j「いいですね。次は何の麺ですか。」 西「えっ? いや、今度のは麺の曲じゃないんですけど…。」 j「なんで? 麺の歌にしましょうよ」 西「えっ? でも…。」 j「あなたはこれから、麺の歌を歌っていくのよ」 西「えー……?」    コミック・シンガー。  そんな言葉が僕の脳裏をよぎった。  麺の歌ばっかり歌うとか、何なんだ、それ。全く想像できない。  しかし、こと芸事に関しては先生の言うとおりにしておけば間違いない。そのことを僕は経験でイヤというほど思い知らされている。  腹を決めることにした。    これが、僕のヌードル・シンガー・ソングライターとしての記念すべき第一歩であった。  もちろん、先生のこの提案は僕の芸術を打ち立てるうえで、非常に重要な助言で、大きな転回点となったわけである。  ずいぶん長文になった。とにもかくにも、これから投稿する一連のヌードルソング、NDLsが僕の後半生を形作るものとなるはずである。  その幕開け、「拉麺紳士」    改めてお聞きいただければ幸いです。  ラボレムス ー さあ、仕事を続けよう。

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