【非麺エッセイ】歩車分離式
前回、四文字の駅名に対してのこだわりを記した僕だが、最近になってまたしてもあるワードが気になって仕方なくなっている。
「歩車分離式」という言葉がそれである。
皆さんも信号の下にこの言葉が書かれた看板がぶら下がっているのを、一度ならず見たことがあるだろう。
この信号機は文字通り歩行者用の信号と自動車用の信号を分離していて、歩行者が通行中は自動車用の信号は全て赤になり、実に安全である。
その一方、どうしても時間がかかってしまうというデメリットもある。
普段から自転車で通勤しているのだが、その途上このタイプの信号によく出会う。これまで何気なく通過していたのだが、ある日「そういえばあれは何と読むんだろう?」と考えた。
歩車分離式…。
全部音読みだと…ほしゃぶんりしき…。
ほしゃぶんりしき…?
ほしゃぶんりしき…!
調べてみたらやはりあれは「ほしゃぶんりしき」と読むのだという。
やられた。
なんとファニーな語感だろう。
いや、ファニーなだけではなく、平仮名にしてみたら一体何のことを指してるんだか見当もつかないミステリアスさも併せ持っている。
かわいさの裏に、不気味さを含んでいる。複雑だ。実に複雑な魅力だ。
前後半に分けると「ほしゃ」と「ぶんりしき」である。
「ほしゃ」
踏ん張りどころが全くない。軽い。というか、つかみ所がない。子どもが遊んでいるような、なんとも罪のない感じではないか。
それに対しての「ぶんりしき」。
うーむ重い。重厚だ。小難しい感じがする。科学のにおいがする。何だかよく分からない研究所で、頻繁に使われそうな雰囲気がある。絶対に子どもが口にすることのない、世間ずれした語感である。
しかし、何を「ぶんりしき」にしているかといえば「ほしゃ」を「ぶんりしき」にしちゃっているのである。
このギャップはどうだ。まさに緊張と緩和じゃないか。
心に残る創作物に、違和感が含まれているということは多く見られてきたことだが、この言葉がそういう違和感を狙って、あえてつくられたものであるとするならば、僕はその創作者を激賞したい。
「ほしゃぶんりしき」
後世に残したい言葉である。
うーむ、やはりなんともどうでもいい文章になってしまった。
しかも、これを書いてる途中にPCがフリーズしたから、ここまで書くのに1時間20分もかかってしまったじゃないか。その分早く寝たほうが絶対よかったじゃないか。
みんなもこんな文章読んでないで、早く寝るんだ。
でも、読んでくれてありがとう。
おやすみなさい。
ラボレムス - さあ、仕事を続けよう。
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