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【非麺エッセイ】さかなクンと僕

 さかなクンに似ているかもしれない――

 僕の顔のことである。

 そんなことを思ったのは、30代後半に差し掛かる頃であっただろうか。

 僕は眼鏡を常用しているのだが、洗面台で眼鏡をはずした折、鏡に映る自分の顔をまじまじと見ているうちに、ちょっと似てるんじゃないかな、と思えてきたのである。

 えらの張った輪郭、やや分厚い唇など、顔のパーツや要素がどことなくさかなクンと共通している気がした。

 それで、友人、知人の何人かに

 「ねえ、僕ってさかなクンに似てない?」

 と眼鏡をはずして聞いてみたら、

 「ああ…なるほど、たしかに…」

 といった具合であった。

 まあ、言われれば、そうかな。ぐらいの程度である。

 実際、僕も、顔の方向性ぐらいは似ているかな、といった感じの印象であった。

 そんな程度の認識であったのだが、さらにふと思ったのは、さかなクンが眼鏡をかけたらどんな顔になるんだろう、ということであった。

 現在では眼鏡をかけている姿をよくテレビで見かけるが、当時のさかなクンが眼鏡をかけてメディア出演をすることはほとんどなかったように思う。

 早速、インターネットで「さかなクン メガネ」と検索をかける。

 それで出てきたのが、次の画像である。


さかなクン


 驚愕した。

 ものすんごく似ているのである。

 さかなクンが、故・水木しげる氏の葬儀に参加した時の画像ということだが、下がった眉といい、骨ばった輪郭といい、受け口気味の下あごといい、自分でもそうだとわかるほど、そっくりであった。


当時の僕①
当時の僕②

 同時期の僕の写真で、前掲のさかなクンに極力似ていると思われる画像を探してみたが、うーん、どうであろうか。伝わることを祈るばかりである。

 いずれにしろ、実物の僕を見たことがある人ならば、それはもう似ていることがわかるはずだ。

 事実、それからしばらくの間は、友人・知人に会うたびに、このさかなクン葬儀参列の図を見せては、「似てる!」「そっくり!」と盛り上がったものである。

 ちなみに、眼鏡をかけたさかなクンであれば、必ず似ている、というわけではない。最近のさかなクンはしばしば眼鏡をかけてメディアに登場しているが、僕自身それを見たところで「似ている!」という印象を受けることはない。

 この一枚だけが、奇跡的に似ているのである。

 常時さかなクンに似ているわけではないのである。当時の僕としてもそういう認識であった。これは、力説しておきたい。いや、別に僕の顔がさかなクンに似ているということを全否定したいわけではない。ただ、まあ一応、念のため、そのことだけは確認しておく。

 ともかく、その時期は件の画像を十分にネタとして…いや、コミュニケーションツールとして活用させてもらった。見せた人ほぼ全員が「似ている!」と目を丸くした。この画像におけるさかなクンと、僕の顔が酷似していることについては、誰の目にも疑いようがなかった。


 だが、一人だけ、この事実に異を唱える者がいたのである。

 他ならぬ、僕の母であった。


 当時、すでに結婚し別所帯をかまえていた僕であるが、所用があり実家を訪ねた際に、例のさかなクン葬儀参列図を披露した。

 前述のように、友人・知人からも大変似ている、と賛辞に近い同意を浴び続けたさかなクンと僕である。もはや得意満面であった。必ずや驚嘆の反応を得られるであろうと、自分で生み出した作品でもないのに、最高のエンターテイメントの幕を開けるような心持ちで、母にその画像を提示したのである。

 「これ見てや。さかなクンと僕。そっくりやろ!?」

 「そうかぁ…? そんなに、似てへんで。」


 母は眉間にしわを寄せ、そう言ったのであった。

 意外であった。他の友人・知人とはまるで違う反応に、驚きを隠せなかった。満を持して披露した僕にとっては、落胆に近いものを含んだ驚きであった。

 そして、その落胆を含んだ驚きの後には、母の無理解に対する怒りが徐々に湧き上がってきた。

 いや、そんなことないやろ。みんな似てるって言ってるで。どこ見とんねんな――

 そんな、批難めいた言葉が、喉仏の先っちょまで出かかって、しかし僕は、その言葉を慌てて飲み込んだ。ある一つの単語が、僕の脳裏を閃光のように走ったからである。


 親心――。

 そうだ。これが、親心というものではないのか。

 さかなクンには、大変に失礼な発言になるが、あえて述べたい。

 自分のかわいい息子が、さかなクンに似ていると聞いて、喜ぶ親がいるだろうか。

 恐らく、いないであろう。自分の子どもを魚博士にしたい親以外には。

 いや、あくまで比較としての話である。それは、やはり、俳優であるとか、ジャニーズの誰々であるとか、そんな男前に似ているといわれたほうが、嬉しいに違いないのである。

 加えて、僕は一人息子である。母の僕に対する愛情もひとしおであろう。大切に育てたかわいい一人息子が、さかなクンに似ているという事実を、容易に受け入れられないことも理解できる。

 いや、待て。

 あるいは、本当にそうは見えていない●●●●●●●●●●●●のかもしれない。

 親心という、母性愛のフィルターがかかった母の眼から見れば、かわいい一人息子である僕の顔が、実物よりも数段整った顔に見えている可能性、いわば、親心補正がかかっている可能性も否定できない。

 ひょっとしたら、彼女の眼には、僕のことが向井理ほどのハンサム・ガイとして映っているのかもしれないのである。

 そう考えれば、母の反応も納得できた。だって向井理なのである。うちの息子は向井理なのに、さかなクンの写真を見せられて「似てるでしょう?」と言われても、「ハァ?」なのである。しかめっ面になって否定したくなるのも無理はない。


 思えば、母はいつでも僕の味方であった。

 若いころから芸事を志した僕を、いつか芽が出ると信じ、常に応援していてくれた。

 せっかく入学した公立大学を単位が全く取れず2年で中退し、学費が3倍の某私立芸術大に入学しなおした時など、父は口もきいてくれなくなったが、母は苦心して入学費を工面してくれた。

 自宅で泥酔し、和室の畳を酒浸しにした時などは、翌日に飛び蹴りを含む大叱責を喰らったが、それとて僕への慈愛ゆえのことに違いない。

 そんな母が、愛の、親心のフィルター越しに見比べて「似てない」と言うのだから、それはもう、似ていないのである。子として、尊重せねばならぬ。もし、声高に否定するとしたら、それは親不孝であり、無粋とも言えるものであろう。

 それ以前の僕であれば、このような、親心などというものには思い至らなかったかもしれない。当時、僕の妻は第一子を身に宿しており、数か月後には僕も晴れて人の親となるところであった。

 あるいは、そのような状況が、僕に親の立場を忖度させる心持にさせたのかもしれない。


 そうだね。似ていないかもしれないね—— 

 僕は、すでに身も心も向井理になっていた。そして、向井理の端正な口を開き、向井理の痺れるような低温ヴォイスで、母の意見に同意するセリフを述べようとしたのである。

 だが、その機先を制して母から発せられた言葉は、僕の心温まる推察を跡形もなく吹き飛ばすものであった。


 「それにしてもアンタ……なんで、こんなもんかぶってんの?」


 ……。

 ……えっ?

 違うよ? 

 母さん、違うよ?


 「いや、これ僕と違うで。さかなクンやで。」

 「……。」

 母は、最初僕の言ったことが理解できないようであったが、やがて、


 「……ええぇっ!? これ、アンタと違うの!?」

 「……。」

 「そっくりやん…。ビックリした…。めっちゃ似てる…。」

 「……。」


 母の驚きようは、相当なものであった。

 図らずも、僕を産んだ、僕に一番近しい人であるはずの母が、僕とさかなクンとの近似性を最も明確に証明することとなった。


 僕が、さかなクン葬儀参列図を初めて目の当たりにしてから、数年の時が流れた。

 あの母の驚きを見てから、僕はなんとなく、例の画像を人に見せることをしなくなった。さかなクンに似ている、ということを公言することもなくなった。

 序盤でも書いた通り、最近のさかなクンは、しばしば眼鏡着用でテレビなどに出演しているが、それを見ても特に何も感じないようになった。

 お互い歳を重ね、顔に刻み込まれるものも違うのだから、実際にお互いの顔の距離が離れていったのかもしれない。さかなクンは、前にも増して魚顔になった気がする。


 あの時期、妻の胎内にいた我が娘は、もう6歳になる。来年からは小学生である。

 この子が、魚好きである。

 水族館も大好きである。

 さかなクンが出演する、Eテレの番組など、好んで観るのである。


 彼女が、「さかなクンって、パパの顔に似てるなぁ~」と、思っているかどうかは、定かでない。

 少なくとも、そういった趣旨の発言を耳にしたことはない。

 だから、彼女の魚好きと、僕とさかなクンが似ていたという事実に因果関係があるかどうか、わからない。

 しかし、なんとなくだが、さかなクンは、僕の人生に、家族に、ささやかな影響を及ぼし続けている。

 そんな気がしてならない。

 現在の僕にとっての、さかなクンという人は、そのような存在である。



 ラボレムス ― さあ、仕事を続けよう。



追記

 あらためて読み返してみると、なんてさかなクンに失礼な文章になってしまったんだろう。

 無名の一個人である僕の文章を、さかなクンに読んでいただける確率など、万に一つもないだろうが、念のため、言っておく。


 さかなクン、ごめんなさい。

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