麺の曲の話【NDLs.03】Pilgrim in The U.K.K(その①)

NDLs(ヌードルス)3曲目。タイトル「Pilgrim in The U.K.K」は「うどん県香川巡礼者」を表している。
 すなわち、讃岐うどんの食べ歩きをテーマにした曲である。

<僕と讃岐うどんのこと>
 僕が初めて香川県を訪れたのは、大学を卒業した次の年だったから、もう20年も前のことになる。
 当時、「麺通団」の「恐るべきさぬきうどん」シリーズが一世を風靡しており、讃岐うどんブームがピークに差し掛かったころであった。と記憶している。
 当然、学生時代の僕も讃岐うどんへの想いを募らせまくり、日々インターネット検索に勤しむ毎日だった。そして、卒業後塾講師として小銭を稼ぎ始めたところで、満を持して渡讃を果たしたのであった。
 
 原付で深夜の神戸港第3突堤へ(当時は曲中にあるスーパーカブではなく、ごく普通の50㏄スクーターに乗っていた)。加藤汽船「ジャンボフェリー」へ乗り込むと、興奮のままデッキへと歩みだし、漆黒の海を眺めた。明石海峡大橋の下をくぐりぬける。胸の高鳴りとともに下から見上げた、あの堅牢な橋桁の姿を、僕は恐らく一生忘れないだろう。
 
 早朝4時。高松東港フェリーターミナルに到着。
 僕はあえて、インターネットカフェに入店し、仮眠をとる。最初に訪ねる店は、必ずここ、と心に決めている店があった。
 綾歌郡綾川町にある「山越」である。
 釜玉うどん発祥の店として名高い山越は、当時から讃岐うどん巡りの象徴のような店であった。GWともなれば、1時間待ちは当たり前という。回転の速い製麺所・セルフ系の店では異例のことであった。
 高松市内から西へ西へとバイクを走らせる。当時はグーグルマップなど、もちろん無い。昭文社の地図を何度も確認しながら、店へとアプローチしていくのである。
 8:45に到着。9:00開店のはずであったが、すでに客の姿が見えた。今だからわかるが、讃岐うどん店には、よくある話だ。なんとなくアーリーオープンしているのである。
 慌てて入店し、念願の釜玉うどんを注文する。平日オープン直後で人も少なかったので、奥の広いスペースではなく、注文口の近くのテーブルに腰掛ける。かまたま専用のだしをかけ、よく混ぜて、すする。そして、麺の表面に僕の歯が侵入していく。
 
 イカ…?
 
 僕は、いつの間にか、恐ろしく上質な、イカを食べていたのであろうか?
 
 いや、違う。その表面は確かにイカのように滑らか、かつ強靭であるが、歯を入れれば実に適度な抵抗と粘りを残しつつも、サクッとかみ切れる。そして、後には小麦の芳しい風味を鼻腔、口腔に残すのである。

 夢中で、すすり上げた。脳髄が次の一筋を、次の一筋を、と求めるのである。
 本当に、一分とかからず、残った卵の黄身まで、完食していた。

 食べ終わった僕は、うっとりと……する間はなかった。
 僕の完食を見届けたお店のおばさんが、僕にこう声をかけたのである。

 「お兄ちゃん、おかわり、する?」

 おかわり……?
 うどん店でおかわりなど、聞いたこともない習慣である。どうするか。
 いや、いけない。この後もまだまだ店をめぐる予定である。この店でおかわりなんぞしようものなら、後の訪店に響くことは間違いない。そのために天ぷらも我慢したのである。ここは、グッとこらえて次の店へ向かうべきである。

 と、思う間もなく「あ、ください」と、おかわりしていた。
 
 かまたまうどんは熱いうどんだったので、冷たいうどんがどうしても食べてみたくなった。
 先ほどとは全く異なる食感が僕に襲い掛かる。実に筋肉質な麺の精鋭たちが、僕の口内を暴れまわったのである。

 
 2泊3日の旅であった。15件の店を訪れた僕が、胃袋に納めたうどん玉は、実に25玉にのぼった。

 最終日には、うどんを見るのもしんどい状態であった。しかし、家に戻って一週間も経つと、また香川に行きたくなっていたーーー。


 初の香川行で、僕はもちろん讃岐うどんに魅了された。
 その年だけでも、僕は4回香川県を訪れたし、キャリアで見れば20回は下るまい。訪問した県内のうどん店も、100店を優に上回るはずだ。
 歳を重ね、生活も変わり、さすがに以前のように気軽に香川県を訪れることはできなくなった。
 しかし、そんな今でも僕にとって香川県とは「1.5番目の故郷」と呼んではばからない心の楽園である。時として身を焦がすほどに讃岐うどんが恋しくなり、思いを馳せるのである。
 
 一体、なぜ僕はこれほどまでに讃岐うどんに惹きつけられるのだろうか。
 ここで言う讃岐うどんとは、香川県で食べるうどんのことを指している。讃岐うどんに魅了されてからというもの、近畿圏のうどん屋も食べ歩き、幾多の素晴らしいうどんに出会った。それこそ、香川県のうどん店で修業した店主が作るうどんに感服したこともあったのである。
 そのような感動は、しかし、香川県で食べるうどんから得られる衝撃的な幸福感とはどこか違うものであった。

 讃岐うどんの魅力が語られるとき、しばしばうどんの外的要因について言及される。ロケーション、店舗のたたずまい、注文方式、店のおじさんの素朴さ…等々。僕は、その意見について一部分では同意する。
 フェリーに乗り、バイクを山間部へと走らせ、プレハブ小屋でうどん玉をもらい、のどかな田園風景を前に、麺をすする。旅情もあいまって、まさに非日常を享受できる瞬間である。その非日常の空気が、讃岐うどんを特別なものにしている一要素であるのは間違いない。
 しかし、讃岐うどんの魅力の核心は、やはり讃岐うどんそのものにある。
 優劣をつけていると誤解されるかもしれない。決してそうではない。そのように誤解されることは僕が最も不本意とすることだ。
 だが、そのような誤解を恐れがながらも、僕はあえて言わねばならぬ。
 
 讃岐うどんは、他のうどんとは本質的に異なるのである。
 
 そして、その差異は、多少のものではなく、決定的なものなのである。

 その差異について、言葉で説明するのは大変難しいことのように思う。一口に讃岐うどんといっても、それがまた個々で様々な特質を備えている。
 嚙んだ時にゴチッと固さを感じるもの、細くて表面は柔らかいが嚙み切れないほどの粘りを感じるもの、温めてすするとグイーンと伸びるもの…讃岐うどんのバリエには計り知れないものがある。
 だが、あえてそれらの共通点を言葉にするとすれば、「密度」ではないかと思う。
 
 讃岐うどんは「密度」を感じさせるうどんである。噛んだ時の香り、歯ざわり、そこには小麦のエッセンスがぐっと押し固められたようなニュアンスを感じる。しかし、決して不快な固さを持つわけではない。絶妙な歯ざわり、喉越しが、僕を幸福にするのである。そのような絶対的均衡を保つ「密度」が讃岐うどんの本質と、僕は感じている。
 
 それならば、その「密度」を成立させているものはなんであろうか。
 僕は、それを「文化」と考えている。

 讃岐うどんの質を高めているものが何かを考えれば、粉、水、塩分濃度、技術、温度……と、様々な要素が考えられる。こうした要素が総合的複合的に絡まり、讃岐うどんを讃岐うどんたらしめている。
 そして、そういった複合的要素は、歴史や、人々の生活習慣が築き上げてきたものであろうと考えている。
 
 讃岐うどんの歴史は深く、元禄時代の屏風絵に金刀比羅宮の参詣道にうどん屋が描かれているものがあり、その時代にはすでに市民の間で一般的に食されていたことがわかる。
 また、香川県ではうどんが離乳食としても一般的に用いられている他、一部の地域では新築に引っ越した際に風呂場でうどんを食べる風習があるという。
 あるいは、7月2日が「うどんの日」と制定され、香川各地でうどん関係のイベントが行なわれるのであるが、これは7月2日ごろが例年雑節の「半夏生」にあたり、讃岐地方の農家でこの頃までに田植えや麦刈りを終え、半夏生には労をねぎらうため、うどんを打って食べる習慣があったことに由来しているという。
 うどんという食物が、いかに生活に根差しているかが見て取れる。
 それほどまでに、香川県という地域に長い時間連綿と受け継がれてきたうどんという麺は、ゆっくりと、着実に、ブラッシュアップされ、質を高めてきたのである。
 それは、技術の発展であったろう。材料の向上でもあっただろう。そして、何よりも、それを作り上げ、享受し続けてきた人間自身の発達でもあったに違いない。
 長い時間をかけ、うどんという麺を高め、食してきた香川人。そうして培われてきた彼らのうどんに対する感性は、我々他地域人の計り知れるものではないのかもしれない。彼らが追求し、認識しているうどんの食感、風味、喉ごし。そういったものは我々の想像の及ぶレベルよりも、遥かに高い上空にあり、それが香川全土に降りそそいでいる。
 こういった、総合的な要素、ひいては、香川人の中に脈打つうどんへの認識・解釈が、讃岐うどんを至高の麺類へと押し上げている、と僕は考えるのである。
 そして、このような考えをあえて一つの言葉にまとめ表現したときに、僕は「文化」という言葉を選び出すのである。

 それは、その場所にだけ存在するものである。
 それは、長い時間をかけてゆっくりと醸成されてきたものである。
 それは、他の人間たちには、真髄まで理解できないものである。
 それが、「文化」というものでないだろうか。
 そして、僕たちは、時として「異文化」というものに強烈に惹きつけられる。
 僕にとっての讃岐うどんは、まさに、この「異文化」であった。それも、距離的には身近にある、それでいて驚異的な「異文化」であった。
 
 僕はこの文章を書いている今も、僕の人生における最も強大な「異文化」に、恋焦がれている。


 4000字近くなった。なぜだ。今回こそは歌詞のことと曲のことを主として書こうと思っていたのに。
 むしろ、今までの3曲で最も長い麺エッセイになってしまっているではないか。
 ひとまず、この項はここまでにして、続きは次回にしよう。ここから歌詞と曲のことを書いても、なんかもう、おなか一杯であろう。読者も僕も。
 
 今日のところは、これで。いや、歌詞も曲も、書きたいことはいろいろあるんですよ。また、読んでくださいね。本当に。早いうちに書くんで、いやマジで。


 ラボレムス - さあ、仕事を続けよう。

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