麺の曲の話【NDLs.04】そうだ ラーメン巡りに、行こう。

この曲の着想を最初に得たのは、2018年2月25日のことである。

 前日の2月24日には、平昌五輪のカーリング女子3位決定戦が行われた。

 第10エンド。イギリスのスキッパー、ミュアヘッドが投じた最終ストーンはミスショットとなり、日本に1点が追加される。日本史上初のカーリングにおけるメダル獲得の瞬間であった。

 僕はその様子を、観音寺市の郊外にあるビジネスホテルの一室で、大興奮しながら見ていた。そのことは今でも明確に覚えている。

 今回の曲「そうだ ラーメン巡りに、行こう。」のフレーズが閃いたのは、その次の日のことである。日付に、まず間違いは無いことと思う。

 
 そう。僕はその日、香川県にいた。

 2015年の2月に縁あって結婚。翌年の5月には第一子を授かった。

 特に子どもが生まれて感じたことは、幸福の質の変化であった。

 もともと一人っ子で、何かと一人で物事を行うことを好むところがあったが、子供が生まれてからは、家族との生活の中に喜びを見出すようになった。

 まあ、小さい子どももいるのに、一人で麺巡りなんてしていたら妻に怒られるのは明白であるから、そのせいもあるかもしれないが、とにかく僕は一人で麺旅行に行く、なんてことをしなくなった。当然といえば当然かもしれない。

 香川県にも2013年以来足を踏み入れていなかった。2004年を皮切りに最低でも年1回以上渡讃していた僕としては、大きな変化であった。

 もちろん外食の機会には積極的に麺を摂取していた。しかし、独身時代に比べればその回数は減少する。麺に対する執着とも呼べる偏愛は、少しずつ薄れていった。

 家族との暮らしの中で、様々な個人的欲求がそぎ落とされていったようである。

 だが、そんな中で、5年ぶりに香川県を訪れるチャンスを得る。仕事の都合で四国へ行くことになったのだ。

 職場でその話を聞かされた時、脳から液体がにじみ出てくる感触を覚えた。そしてその液体は瞬く間に全身を侵食した。麺の食べ歩きをしたいという欲求は、僕の場合、液体であるらしい。結婚後、4年間蓋を閉じられていた偏愛は、その時にあっさりと開封された。

 前乗りである。絶対に前乗りしなくてはならぬ。脳細胞を総動員して、用件の前日から香川入りするための言い訳を考えた。そして、背水の陣を敷いて、妻と相対した。交渉である。

 結婚以来、いや、妻と交際しはじめて以来、見せたことのない顔を見せていたようである。妻はやや気圧されたふうに
 「じゃ、しょうがないな」
と、許可を出してくれた。どのような交渉を行ったか、覚えていない。無我夢中であった。必死の思いが、大岩を動かしたようである。

 それ以来、没頭である。

 どこの店を回るか。まず概要として、あまり行ったことのない三豊市や観音寺市などの西讃地域を攻めることに決め、それから訪問店の選定に移った。麺巡りに割ける時間は、前乗り日と、翌日の仕事までの時間。まる一日と早朝の数時間ほどである。どれだけ回れるかわからないが、行きたい店をピックアップし、優先順位をつけていく。位置関係の把握や営業時間・休業日の確認にも余念はない。

 旅は計画を立てている時が一番楽しい、とは世間でもよく言われることだが、まさにそうだ、と思った。寝ても覚めても、香川県のことを考えていた。本当に楽しみであった。

 渡讃当日。独身時代は深夜0時発のフェリーを用いていたが、家族もいる中、仕事の名目で行く以上、さすがにそれはやめておいた。あまり利用したことはなかったが、神戸三宮発の高速バスで移動した。

 昼前に香川県三豊市着。市役所の庁舎近くのまわりには、まばらな民家と田畑が広がる。よくある片田舎の街並みである。

 だが、僕にとっては、黄金風景であった。

 雑木林、農道、海岸線、点滅信号、片道1車線、掘っ立て小屋。皆どれもが、金に輝いていた。

 もちろん、かけうどんも、ぶっかけうどんも、ざるうどんも、天ぷらも、ことごとく金色であった。

 夜は冒頭に述べた通り、観音寺市郊外のビジネスホテルで平昌オリンピックを見ながら過ごした。スーパーで買った刺身をあてに、300ml瓶の日本酒をチビチビとなめる。その記憶さえ、黄金である。

 旅は計画中が一番楽しい、などとよく言われるが、嘘だ、と思った。だって、こんなにも輝いている。旅のすべてが、金に輝いているのである。

 一日目は、そうして夢心地の間に過ぎていった。

 二日目、朝5時半に起床。ホテルを抜け出し早朝から開いているうどんを狙い撃つ。チェックアウトまでに2軒、仕事への移動間に1軒。ラストスパートである。

 寒風吹きすさぶ観音寺市内を、日またぎで借りたレンタサイクルで疾走する。金色に輝くうどんを食べ、また次なる金色のうどんを目指す。ようやく白み始めた空の下、早朝の風に吹かれ、僕の頭脳はすっかり明晰であった。
 
 そして、実感する。

 生きている。

 こんなにも、生きている。

 僕は、やはり、こういうことをしていないと、だめだ。だめなんだ。生きていけない。

 家庭がもたらす温かな幸福も、すばらしい。もう、そういう幸福なしの生活は、考えられない。

 だが、その一方で、麺を求めて駆け回るという、ある意味で、孤独な、切迫した、それでいて僕を解き放つような、そういったものを、僕は欠かすことができない。

 僕は、そうやって、生きている。生きていく。

 そうだ。そうなんだ。僕は、そうなんだ。


  そ・う・だ

  ラ~メン

  巡りに

  ゆ・こ・う~



 ……。

 突然、僕の頭の中でメロディーが流れた。歌詞付きで。

 これは……。

 数度、そのメロディーを口元で反復させる。

 これは、なかなかいい歌じゃないか。

 いや、これはいい曲になるぞ。好きだな、この歌。

 そうだ。録っておかないと忘れてしまう。僕は慌ててiPhoneにその歌を吹き込んだ。

 それにしても、唐突なことで驚いた。曲のことなんか、まったく考えていなかったのに。

 もしかして、これって「降りてくる」ってやつじゃないのか。

 歌手がたまにインタビューとかで言っているやつじゃないのか。

 だとしたら、めちゃくちゃアーティストっぽいではないか。僕はなんだか誇らしくなった。

 まあ、それはそれとして、今の僕は、これ以上はないというほど生命が躍動している。この躍動する生命から湧きあがった創造物が、先ほどのメロディーと歌詞なのかもしれない。

 だが、なぜ、ラーメンなのであろうか。

 昨日からこれだけうどんを啜っておいて、なぜ「ラーメン」という言葉が湧きあがってくるのだろうか。

 あと、なんで明らかに「そうだ 京都、行こう。」のパロディと思われる文章が出てきたのであろうか。

 もちろん、このコピーが日本で広く知られた名コピーであることに、疑念をはさむ余地はない。

 しかし、僕が今いるのは香川なのである。昨日からうどん県香川を絶賛満喫中なのである。

 それがなんだって、京都っぽい歌詞になっちゃうんだろう。わからない。

 まあ、でも、人間のことなんて、わかっているようで、わからないものだ。そういうものじゃないか。出てきた歌詞が、ラーメンだからラーメンなのだ、理由など求めても、仕方のないことだ。

 なんでそんな歌詞になったのかは、まるでわからないが、この歌が良いものであることは、よくわかった。少なくとも、僕は好きだ。そのことが重要である。


 突如湧きあがった歌を頭の中で味わっていると、僕にはもう一つの考えが浮かび上がってきた。

 もしかしたら、人はみな、こういうものを持っているのではないだろうか。

 こういうものとは、つまり、僕にとっての麺、のようなものである。

 自身の生命を湧きたたせるようなもの。自身の心の活力となるような事柄。自身にとって欠かせない要因。

 いや、それでは説明が不足している気がする。もっと、自身の生命を根底から突き動かすようなもの。自身の存在そのものを象徴する事物。自分自身と直結している事象…。

 そういうものを、誰もが持っているのではないだろうか。

 恋愛、仕事、音楽、学問、地位、思想、旅、車、鉄道、物語、アイドル、文房具、ソフトクリーム……。

 皆、自身の生命に直結する何かを持っている。そして、それは人それぞれ多種多様なのである。

 そこで、さらに思いが巡る。

 ひょっとしたら、表現者は、こういうものを表現しようとしているのかもしれない。

 自分自身と切り離すことのできないものをモチーフにして、自身そのものを表現しているのかもしれない。

 そう考えれば、世間にこれだけ愛のことを歌っている歌があるのも、うなずける気がした。人間各自の生命に直結する事物として、最も共通項として認識されるものが愛ということなのだろう。

 そして、僕には、麺。

 この考えからすると、僕も麺のことを歌っているようで、実は、その先にあるもっと大きなものを歌っていることになる。

 村上春樹っぽく言えば、メタファーとしての麺について歌っている、というところだろうか。

 僕に「あなたはこれから麺の歌を歌っていくのよ」とおっしゃったjesse先生。先生も、実はこういう考えのもと、僕に道を示したのではないのだろうか。


 自転車から降りた僕は、立ち尽くしていた。

 香川の朝日が、僕を照らす。光が、僕の中に染みわたっていくようであった。

 
 僕は、歌う。

 麺のことを歌う。

 僕の存在そのものを歌う。

 なんて、素晴らしいことなんだ。

 ライフ・ワークとは、こういうものじゃないのか。

 
 僕は、再び自転車をこぎだした。先ほど降ってきたフレーズを口ずさむ。いい曲だ。確信する。早く曲を作りたい。早く帰らなくては。

 でも、その前に、うどんを食べよう。
 
 金色に輝く讃岐路を、僕は、疾走した。

 心からとめどもなく溢れる、希望とともに――。



ラボレムス ― さあ、仕事を続けよう。

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