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【ベスト麺・インマイライフ①】味楽園の「冷麺」

はじめに

 そういう自覚は全く無いが、僕も44歳になって人生も折り返しを過ぎたものと思われる。

 その半生において、僕はいったい、何杯の麺を食してきたことだろうか。まったく見当もつかない。食べてはみたものの、忘却の彼方へと消え去った麺も無数にある。

 しかし、決して忘れ去ることのないであろう、僕の人生にはっきりと刻印された、印象深い麺も多々ある。

 そして、それらの麺は、人に紹介したくてたまらない、ハイクオリティな麺ばかりであることは、言うまでもない。

 人生折り返しのここいらで、そういった、僕の人生を彩る麺のことを書いてみたいと思った。

 「ベスト麺・インマイライフ」

 あれこれと、書いていきたい。

 お付き合いいただければ、幸いである。


西谷家と味楽園

 それで、第1回のテーマには尼崎市内でも屈指の名焼肉店、味楽園の「冷麺」のことを書くことにした。

 これまでの西谷の麺遍歴を知る方々からすれば、このチョイスにやや意外な印象を持たれるかもしれない。

 しかし、幼少のころからの記憶を紐解いて、最も上質に、なおかつ長い期間、僕に幸福な麺体験を与え続けてくれているのは、間違いなくこの麺である。

 尼崎市に「味楽園」という焼肉店は2件あるが、今回取り上げているのは阪神出屋敷駅から南に徒歩1分の位置にある店のほうである。市内では有名な老舗焼肉店で、看板メニューである「骨付きカルビ」をはじめとして、上質なお肉をお値打価格でいただける名店だ。

 僕の実家は、この店の真裏にあった。毎晩のように味楽園から焼肉の、力強くも香ばしい匂いが漂ってきた。「匂いでご飯食べられるわ。」というのは、近隣住民お馴染みのジョークである。

 お値打価格、と前述したが、そこは焼肉の名店。少なくとも庶民層の西谷家にとっては、普段の外食で使えるほど気軽に足が向くお店ではなかった。父がパチンコで大勝する、父が競馬で万馬券を取る、親戚がやってくる、息子が大学に合格する等、特別会計を計上できる日でなければ訪れることのできない、まさに「ハレの食事」であった。

 その「ハレの食事」において、焼肉を心ゆくまで楽しんだ後に登場するグランドフィナーレ。それが「冷麺」である。僕の人生で数十回を数えるであろう、味楽園への訪店機会において、最後に「冷麺」を注文しなかったことは、恐らくなかったかと思う。「アワビ粥」や「石焼全州ビビンバ」など、魅力的な食事メニューは他にもあるが、僕自身はそれらを食した記憶がほぼない。夏であろうが、冬であろうが、関係ない。必ず最後に注文する。それほどまでに、僕にとってのこの店の〆は「冷麺」しか考えられない。もし、この店のことをよく知らず、最後にクッパでも食べて満足して帰ろうとする客がいたら、僕はそのテーブルに駆け寄り、「冷麺(ミニ)」を追加で注文してやりたい。もちろんしないが。

 「ハレの食事」の大トリを飾る「冷麺」。僕にとってはまさに「ハレの麺」として、幼少期から魅了され続けてきたわけであるが、それは当然ながら、麺自体の魅力があってこそである。この「冷麺」は、それ自身が持つ麺料理としての完成度によって、味楽園の絶対的クローザーとして君臨し続けるのである。


麺について

味楽園の「冷麺(小)」
(2021年7月撮影)


 まず、麺がすごい。

 最近でこそ、やや食べやすくマイルドになったように思うが、僕が10~20代に食べていたころは、本当に凄まじいほどの麺の弾力であった。

 ゴムのような、という形容があるが、まさにそれであった。しかし、これは悪い評価を下しているのではない。麺をすすり、噛んでみると弾性を感じつつも、噛み切ることができない。その弾力に驚き、咀嚼の力を強めると、プツンプツンと心地よく麺が切れ、口内を暴れ回りながら喉へと流れ落ちていく。

 このような、味楽園の「冷麺」の食感というものは、類似のものを上げることができない。まさに、唯一無二の麺体験を味合わせてくれる一杯である。

 どうしたら、このような麺を作れるのか。 

 最近では、少なくなったように思うが(あるいは、僕がたまたま視ていないだけなのかもしれないが)、以前はこの店、よくテレビ等メディアに取材されていた。そういった取材の折、必ずと言っていいほど取り上げられていたのが、「トレーニングルーム」の存在であった。

 そば粉と小麦粉を練って生地が作られる韓国冷麺であるが、この店では、人の手によって、強い圧力をかけることで強靭な生地を練り上げる。そして、そのためには、屈強な肉体を持つ麺の打ち手が必要となる。味楽園のビル内にはトレーニングルームが設けられ、従業員が強靭な麺を打つために体を鍛錬している、というのである。

 実にマスコミ的な演出を感じるエピソードだが、これは実際のことであったらしく、僕が大学時代に所属していた劇団に味楽園でアルバイトをしている団員がいたのだが、彼はアルバイトを始めて間もなく細マッチョ体形になった。また、実家の文化住宅の隣室は味楽園の社員寮として従業員が住んでいたのだが、住人が変わるたびみるみる体がデカくなっていき、銭湯で会えば見事な肉体美を拝むことができた。

 さて、その強靭な体に鍛え上げられた従業員が麺を打つのであるが、その様子を紹介するメディアもあった。この麺打ちの様子がまた凄まじいのである。大きな洗面器のような銀の容器に粉と湯を入れ、そこに両の掌を押し当て、ものすごいスピードでこすり上げるように練り上げていくのである。腕力はもとより、下半身のバネも動員し、激しい全身運動によって生地の塊が生み出されていく。練り上がったころには、作り手の息も激しく弾みあがる。

 「渾身」。

 その二文字が、初めて麺打ちの映像をみた僕の脳裏によぎった。これは、「渾身」が込められた麺だ。すごいはずである。あの衝撃的な弾力を持つ麺は、屈強な男たちが、全身の力を総動員して練り上げることで、創り上げられていたのである。

 今でも、同じように「トレーニングルーム」での鍛錬は行われているのであろうか。メディアでその話題を見ることはなくなったし、実家の文化住宅は取り壊され、味楽園従業員の肉体を見る機会はなくなった。麺の食感は、昔に比べれば、若干噛み切りやすくなったように思う。

 もちろん、それはそれで、素晴らしい麺であることには間違いない。バランスを取ろうと改良されたものであるのかもしれない。昔の「冷麺」も、今の「冷麺」も恐ろしく上質な麺として僕を魅了し続けている。

 いずれにせよ、味楽園の「冷麺」の麺は、味楽園従業員の、あるいは、店そのものの「渾身」が込められた麺である。僕は、それを味わっている。


スープについて

 だが、最近僕は思うのである。

 この「冷麺」の、本当の凄みというのは、実は麺ではないのではないか。

 前述の凄まじい麺が沈む、冷たいスープ。この冷たいスープが、ものすごく、旨いのである。

 韓国冷麺におけるスープというのは、「甘」「酸」を中心に作り上げられていることが多い。焼肉を食べ、脂っこくなった口内をスッキリとさせるために、甘酸っぱくさっぱりした味わいに組み立てることが多いのであろう。

 ところが、味楽園の「冷麺」のスープでは、そういった「甘」「酸」といった要素は、前面に押し出されていない。ほんのりと舌に感じられる程度だ。

 かわりに中心に添えられているのは、恐らく牛骨由来とおぼしき圧倒的ともいえる「旨味」である。

 あの強靭な麺をすすった時にも、このスープが実に豊富な旨味をまとわせ、麺をしっかりと下支えし、口腔内を駆け巡る。主張の激しい麺に、一歩も引くことなく張り合える懐の深さを持った旨味である。

 しかし、それでいて、しつこさや全く感じさせない。冷製スープであるだけに、油分も実に丁寧に取り除かれ、ごくさっぱりとした味わいとともに麺の嚥下を捗らせていくのである。

 これは、すごいスープだ。

 40台になって、気づかされた。

 前述のとおり、僕自身は、この「冷麺」の麺が、若干穏やかに改新されているように感じている。それは、以前より、麺がスープとのバランスをとるような作りになったということなのだろうか。それで、このスープのすごさに気づかされたのだろうか。

 あるいは、僕自身の変化によるものだろうか。縁あって結婚し、子を設け、家族を守る身になったことで、人生をより多角的にとらえられるようになり、それで、このスープの素晴らしさに考えが及んだのだろうか。

 記憶をよくよくひも解いてみれば、僕は過去、この「冷麺」を食するたびに、ほぼ毎回、スープまで完飲していた気がする。焼肉を鱈腹味わった上で、全汁してしまうなんて、これはただ事ではないだろう。

 若き日の僕も、知らず知らずのうちに、このスープの素晴らしさに魅了されていたのである。その素晴らしさを、今になって自覚できたということなのかもしれない。

 僕の成長、変化が、その一杯の味わい方をも変える。こんなことに気づかせてくれるのも、この「冷麺」が、僕の人生の節目節目を彩り続けてくれたからであろう。

 僕の人生の「ハレの日」に、いつもともにあった一杯。

 これからの人生においても、味わい続けたい、特別な一杯である。


味楽園の外観について

 蛇足になるかもしれないが、現在の味楽園の店舗外観について記しておきたい。

 味楽園は僕の知る限り、創業から同じ区画で営業し続けている。

 最初は出屋敷線沿いの間口も小さい小規模店舗だったが、僕がまだ小学生の頃に、2件ほど北に移転した。東角の大きな4階建て(あるいはそれ以上だったか)のビル店舗へと変貌した。僕はその店舗の時代に、店から出てきた桂文枝(当時は三枝)師匠を目撃したことがある。

 それからかなり経って、2006年のことである。今度は改装工事が行われることになった。足場が組まれ、シートがかけられ、その状態が1か月ほど続いたように記憶している。

 そして、11月のある日、僕が実家の自室(2階)の窓を開けると、そこに突如として韓国宮廷が建っていたのである。

味楽園外観
(2023年6月撮影)

 その時の驚きは今でも忘れられない。頭の中で当時一世を風靡した「チャングムの誓い」のテーマ曲が鳴り響いた。

 それから17年の歳月が過ぎた今も、味楽園は韓国宮廷の体を備え、威風堂々とそびえ立っている。

 阪神出屋敷駅南口を出れば、一目瞭然である。

 ご興味ある方は、心ゆくまで焼肉を楽しんだ後に、是非とも、この「冷麺」を味わっていただきたい。

 あなたの「ハレの日」を締めくくる、大団円の味となることを願って。


ラボレムス - さあ、仕事を続けよう。

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