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ただひたすらに思う、「リーダー」とは何か。

こんばんは!
久々の夕方以降の更新ということで、完全に僕の頭の中をぼやーっと落とし込む回になります。研修やリーダーについて、とりあえず、今の段階を書いておきたいので、これからブラッシュアップされる途中と思ってくださると幸いです。

#絶賛成長中
#キャリア思考
#人材価値

さて、何から打てばよいのかと漠然としています。
僕自身、リーダーシップということについて、深く考えたことはありません。過去、事業所で結果至上主義の形でチーム崩壊させた経験から様々学習をしてきましたが、現在に至るまで、答えがないのです。

共感型リーダーシップやカリスマ型リーダーシップなど、それぞれの長短も勉強しつつ、トレンドは学んでいるつもりではあります。ただ、やはり、明確に「これ!」というものが僕の中にないのです。

周囲を見渡せば、共感型から同感型に陥ってしまい、事業が前に進まなかったり、カリスマが全事業に顔を出し管理するため、中間管理職が疲弊していったり、何が正解なのでしょうか。

そのような僕が、今、「リーダーシップ」を育む教育に携わろうとしています。とりあえず、こレまでの経験を踏まえるとこっちの方が打率は高いんじゃないかなぁーというのを少しまとめておきます。

一旦定義すると、リーダーとは「正解を決める」ことが仕事であると考えています。事業含めて、日々、正解が見当たらない案件が多くなるからこそ、行先を決める作業が必要であり、「こっちに行くよ!」というのがリーダーの仕事です。
そもそも、正解があるのであれば、リーダーはいなくても、チームは前に進みます。

仕事をして、「打率が高い仕事」に満足しているのであれば、それはまだ、リーダーとしての仕事をしていないといっても良いでしょう。

リーダーになれば、打率が低くなります。

それは、自分が「こっちに行くよ!」と決めた方向性を絶対に正解にしなければならないから。いわば、腕力が絶対的に必要なのです。この腕力を因数分解したときに、専門職カラーが強いと「専門的知識が高い人」が腕力が強いと捉えられがちですが、それは大きな誤解です。

僕自身、25歳からほぼ、技術系の勉強よりもマネジメント系の勉強に時間を割いているため、理学療法士としての知識・技術は圧倒的に若い子たちの方が高いです。
それも当たり前で、こういった専門的知識・技術のピークが来るのは30歳前後です。それ以降、専門家として生きる道は、経験に基づき理論立てて、継承する側に回ることです。

だから、現場にいれば、「僕よりも圧倒的に現場での能力が高い人材」に指示出しをしなければなりません。現場では色々と起こるわけで、リーダーが「こっち」と言ったのとはそれる方向性の力に対して、現場での技術があるメンバーが「こっち」と言いたくなります。

プラスの判断となる場合もあれば、確実に地雷である場合もあります。

そこで、「どうぞ」というのは一番気が楽ですが、それをやってしまうとチームの統制が取れなくなります。前例を作り、「わたしも」となっていくうちに軌道がどんどんとそれていくのです。

「気持ちよく仕事がしたい」という楽な道を選んだつけは後で必ず、大きく回ってきます。

では、何が要素として入ってくるのか。

リーダー=共感力×統率力×判断力

ここが最適解ではないかなぁーと考えています。

共感力というと、感情も含めて察知して同じ気持ちになることと捉えられますが、それは違います。同感に陥ってます。
同感するときは相互に気持ちがいいんです。相手と同じ気持ちになり、課題を同じ視点でみることが出来るから。

ただ、リーダーに必要なのはあくまで、「共感」です。
事象に対して、「あなたはそういう風に捉えたのね。そのことは理解した」という俯瞰が重要になるのです。

この共感力の積み重ねが、統率力に繋がりますが、そこに必要なのは先ほども言った腕力。
この腕力に影響をするのは、「時間」です。チームをまとめるために、その事業に費やした時間こそがモノを言います。技術のみの視点で費やしているだけでは決して見えず、手に入れることが出来ないものが腕力です。

そして、技術のみの視点で語られて一番問題なのが、判断力です。
確かに現場では一番「頑張っている」けれども、全体が見えていないから、判断できないし、間違うようねというところです。
現場から上がってきたリーダーが、まずぶつかる壁なのではないでしょうか。視野を広く、視座を高くと言われ続けるのはここに結語するのでしょう。

だってね、船にメンバーを乗せて、もし間違った方向に行ったら沈んじゃうんですよ??
殴ってでも、戻す覚悟があるのか。
そして、次期リーダーとして期待されているのであれば、その振る舞いができるか。

下の子たちに嫌われたくなくて、同感し、ただただ現状を変えられず、愚痴っていないか。
挑戦する理由をお金にして、「これ以上やらなくても良い」理由をつけて、圧倒的に費やす時間を削る言い訳にしていないか。

下から観たら寄り添っていると一次的には思われるけれども、どこかで歯止めが利かなくなるから、その時の姿を観て「くそダサい」って思われるのがオチです。

では、どうやって培っていくか。

結論は、「国語力」を鍛えることです。
日本人であれば、組織マネジメントは「日本語」で行っているということを前提に話をします。

人間って、字のごとく、ヒトの間と書くのです。
間を埋めるのは何でしょうか。

空気感や雰囲気、様々出るでしょうが、それを形容するためには、「言葉」が必要です。この「言葉」のバリエーションがどの程度あるかは、創造性を生む基盤となります。そして想像力が培われてこそ、論理的思考に繋がります。

よく「創造性がないために、主体性がない」と言われますが、自己を含めて言語化できない状態というのは、基盤がないからともいえるのでしょう。

つまり、最もやらなければならないのは、「国語力」を高めること。
その上で、マネジメントの手法を学ぶことでしょう。

僕も経験済みですが、大概の「理念共有」や「価値観のすり合わせ」などの研修の効果は、数日。長くて1週間程度でしょう。
1カ月後には何事もなかったかのように、また以前の日常が戻ります。

だからこそ、継続をした形での基盤づくりが必須となるのです。

僕のメンターとする人にも、リーダー研修について聞き、さらに開催方法などを検討しなければと考えています。

人について、諦めることは分断を生み、わかることは偏見を生むといいます。古くから言われているのにもかかわらず、事象を前にした時に、僕たちは分断か、偏見かに寄ります。
人間だから、「わかりやすい」ものに行きたいのです。脳が楽だからね。

でも、そこで耐える。
ネガティブケイパビリティとも言うそうですが、脳にとっては決して歓迎される状況ではないけれども、その状況を打開するために考え続ける。

そんなことも僕にはもっと必要だなぁと改めて思いました。


そんなことを考えていたここ数週間でした。

んー、まだまだ思考がまとまらない。
目的と計画なき実行は、ただの無謀です。
専門職の最大の弱みは、専門分野では目的や計画を練るのに、教育などの分野が変わり、課題観が変わった瞬間に、そこに費やす時間をサボることです。
正確にはサボるのではなく、見えなくなるのです。
「自分たちは考えている」と。

結果から思考に入れるか、プロセスの思考に陥るかの差であると何かが言っていました。

また、明日から頑張ろう。

それでは、良い日曜日の夜を♪

講内 源太

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