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帰るたびに実家が縮んでいく【旧友Part5(完結)】

家を出て、朝の空気がつんとする季節になったのだなと思った。実際には始発に乗る必要はなかったが、誰も外に出歩いていない時間を選びたかった。この時間、日曜の駅にはほとんど人がいなかった。少し早めに駅に着くと、変わっていく僕たちを何度も送り出した何も変わっていない駅を、何度もそうしたようにまた見回した。
そこで僕は、反対のホームに僕と同じ引き出物の袋を持っている男が立っているのに気づいた。明日は早くないと、昨日言っていたのに。
「お前、朝早いじゃねえかよ!」
僕と同じ嘘をついたマサハルのことを思うと笑ってしまう。僕の声に気付いて、マサハルが笑う。
「お前に言われたくねえよ!」
この歳になって線路越しに友達と会話することがあるとは思わなかった。そして、少し考えるようにしてからマサハルは言った。
「俺さ、来年から副操縦士なんだ、笑えよ、俺パイロットになるんだぜ」
マサハルは照れたように笑った。驚いた。そんな事、昨日まで一言も言わなかったじゃないか。
「はあ?!」
唖然とする僕にマサハルはさらに続けた。
「お前さ、かっこいいぜ。プロ野球選手になるって言って、なっちゃうんだからさ」
「なんだよそれ!お前だってパイロットになるとか、てか、それ、ほんとうか?」
聞きたいことがたくさんあるのに、マサハルは一方的に話を続けた。
「だからな、野球選手じゃなくたって、お前はずっとかっこいいぜ。安心しろ、やれるだけやれよ」
どうやらマサハルは本当にパイロットになるらしかった。僕と同じように、あの頃の夢の続きを歩いている男がいることがわかって、心強い気持ちになった。僕たちは僕たちの夢を追ってそれぞれに頑張っていたのだ。僕は初めから野球選手だったわけでも、ひとりで野球選手になったわけでもなかった事を、ようやく思った。
「今度大阪にも遊びに来いよ」
電車が近づいてくる音がする。なんだよ、こんなぎりぎりのタイミングでカミングアウトすんな、次はいつ会えるんだよ。
「さぞでかい家なんだろうな」
誰だと思ってんだ、こっちはプロ野球選手だぞ。
「お前ん家よりはな」
僕がそう言うとマサハルは本当に嬉しそうに笑った。
「うるせえ女子アナ紹介しろよな!」
電車が僕たちの間に入ってきて、ほとんど力いっぱい僕たちは叫んでいた。
「お前こそCA紹介しろ!」
僕のその言葉を最後に、僕たちはそれぞれの電車に乗る事になった。やっぱり明日も顔を合わせるみたいだった。
僕たちは電車が進む倍のスピードで離れていった。少しすると電車のなかから実家が見えた。近くで見ると過剰に大きいように思った家も、ここから見れば小さく見えた。もう少し、ゆっくりすればよかったな。今度帰ったらそうしよう。家は変わったけれど、たしかにそこは今も僕の帰る場所なのだから。

深く、息を吸った。何かの活動や誰かの呼吸によって変化しながらも失われず、継ぎ足されてできた今日の空気が、僕の肺にいっぱいに入った。夜の間に冷やされた新品の空気が、僕の中に入って暖かくなって白い呼気となった。誰もいないプールにゆっくり水面を立てるように、新品のノートの1ページ目を開いて折り目をつけるように慎重に、しかし好奇に満ちた感情が、西に向いている。急に早くボールを触りたくて堪らなくなった。バットを握りたくて堪らない。
世界は確かに昨日で終わったのかもしれない。
今日また、世界が始まっていくのを感じていた。


おわり

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これにて【旧友】は完結です!

毎日を世界の終わりのように大切に、世界のはじまりのように希望を持って過ごせたらいいなと思います!

次回は第三回書き出し文の発表です!

お楽しみに!


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