「伝えること」を前提としてインプットし考えること。
2005年にブログを初めてから、15年以上日常的に文章を書くようになりました。
その15年という過程を経る中で、1番大きく変わったことは、テレビを見たり、映画を見たり、漫画を読んだり、本を読んだり、音楽を聴いたり、旅をしたり、誰かに出会ったりってことをして、何かを感じ、何かに気づいた時に、
「それを誰かに伝えることを前提にインプットするようになった」
ってことですね。
「面白い・興味深い・楽しい・悲しい・深い・辛い・考えさせる」っていうようなものが少しでもあった時に、人が聞いたり読んだりした時に、面白い内容になるような構成を考えるようになったと言いますか。
「へ?面倒臭えな。素直に楽しめよ。」って思う人も多いでしょうが、慣れてしまうとね、より深く楽しめるようになります。
だってね、私がジブリ映画の「紅の豚」を見たとして、「面白かった~♪」っていう感想だけ言って、その話に興味を沸かせて楽しく聞いてくれる人がどれだけいます?
いないよね?
・何が面白かったのか?
・何が美しかったのか?
・どこに感動したのか?
・どこに問題があったのか?
・何を考えさせられたのか?
っていうようなことを、常に考えながらインプットするわけです。映画を見ている最中でも。より集中して。より貪欲に。
もちろん、意識的にしているところもあれば、無意識的にしているところもあり、1番深く考えるのは、その映画を見終わった後の「帰り道・電車の中・家で酒を飲んでいる時」だったりしますが、常に、
「アウトプットを前提にインプットして考える」
ってことを意識しているのとしていないのでは、アウトプット自体の質が全く変わってきます。
私は、若いころ、ヨーロッパへの長い旅に行った時に、カメラを持って行きませんでした。
「カメラで写真なんか撮るんだったら、心の目に焼き付けるのだ!」っていう謎の思想を持っていたためですw
なので、1枚も写真が残っていないわけですが、その事実に加えてね、「美しい写真を撮る」っていう強い意識を持っている人の方が、旅先の美しい場面をより貪欲に探し、見つけられる可能性が高いってことを後から知りましたね。
それも「アウトプットを前提にインプットするか?」ってお話です。
「素直な感動」を素直に受け取ることも素敵なことですが、「アウトプットを前提にしたインプット」をすることで、より目の前の対象を深く見て、感じて、知ろうとして、それを心に焼き付けようとするはずです。
そして、写真やメモなんかに残すこともあるでしょうが、それによって、アウトプットは強力になるし、思い出もちゃんと残るw
本でもいいし、テレビでもいいし、映画でもいいし、ゲームでもいいですが、それらをインプットしたあとに、誰かにその対象についての話をしたとして、「へ~、面白そうだね~。私も見てみたい♪」って言われるくらいのアウトプットを意識して取り組んでみると、インプットの質は大幅に変わってくると思います。
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