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*19 生命の源たる

 私が今住むこの街は、寂れた田舎町と形容するのが最も相応しい平凡な街である。華やぐ繁華街も無ければ自然が豊かなわけでもない。教会も別段大きく聳え立つわけでもなければ、特筆すべき名物があるわけでもない。事に私は外国人と言えどミュンヘンという大都市から越して来た身であるから、両者のコントラストが否応無しに目に付くわけであるが、それでいて不自由を全く感じない程に今の私の暮らしは慎ましいものである。

 世の中ではアウト・ドアが流行しているようであるが、私はイン・ドアを通り越してフロント・オブ・ザ・デスクの生活である。先程この街に不自由していないなどと書いたが、私の行動範囲を考察すれば最早その評論の資格すら持てない程に街を駆使しているとは言い難く、学校と下宿と最寄りのスーパーマーケットをぐるぐると走って巡回するだけの単調な日々では、そもそも街が不便か否かを判断する必要さえ無いのである。

 しかし傍から見れば退屈極まりないであろうこの日々も、何も運任せで偶然この地に流れ着いて已む無しに質素な生活をしているわけではない。そもそも予めこういった侘しい環境に身を置く積でいたのである。ミュンヘンの様な大都市の方が賑やかで娯楽も多いが、私にとってはそれが返って邪魔なのである。仮に私がミュンヘンを舞台に勉学に励む事を選んでいたとして数多の誘惑に唆されるほど信念の弱い男では無いが、追い込まれた人間は膿んだ傷口から入った黴菌によって衰弱した心身を容易に蝕まれるようなものであるから、それなら端から無菌室にいた方が私にとって好都合だったのである。私の本質はエピキュリアンに在らず、宛らエピクロスなのである。


 そんな無菌室に籠りながら先週末にレーズン酵母液作りに取り掛かると、数日後に今度はその酵母液を用いてサワー種(※1)を起こし始めるなどと、熱心に菌を育てている支離滅裂たる私である。幸い共同の浴室が常時一定の温かさを保っているのでそこを温室に見立ててサワー種を育てている。酵母液が完成しサワー種を起こし始めた翌日、台所で粉と水を継ぎ足そうとしている所に同居人が来て様子を伺って来たので、まあ二日目で何とも言い難いが順調だと答えると、酸っぱい匂いがするかと聞いて来たので、まだアルコールの様な鼻を突く匂いだと言うと、変だ、おかしいなどと言って来た。知識の有無はさて置き、こっちは今まさに試行中なのであるから出鼻を挫くが如きに他人の結果を急ぐ頭では寂しかろうと、そんな話は右耳から抜いて代わりにサワー種の声に耳を傾けていた。斯くして順調に成長してきているサワー種であるから、まあ次の週末にはパンを焼いてみようかしらんと思っている。


 水曜日は生憎の雨であったが、校舎の外に設置された薪窯でパンを焼くという予定は果たして無事遂行された。普段なかなか触れ合わない特殊な焼成法もとい窯であるというだけで私の好奇心は頗る活性化させられた。丸いバヌトン(※2)に放り込まれて充分に膨らんだ生地や必要な道具を持って皆が外の薪窯の前に集まる。雨を凌ぐ為のテントが張られていたせいで少々世相に見合わない距離間で並んだ生徒の見詰める先で、シュテファン先生が十分に熱された窯から墨を掻き出す。更に濡らしたタオルを棒の先に引っ掛けて窯の中を一通り拭くと、発酵の済んだ生地をピールを使って窯の中に順番に器用に敷き詰めていった。それから一時間後くらいにまた皆で窯の前に集まり、窯出しをする際に開かれた扉の奥の光景は何とも絵になるほど美しかった(※3)。

 この一連の作業を我々生徒は、先生の説明を聞きながらただ眺めるだけであったが実に興味深く、また手間のかかる製法だけあって持ち帰って食べた際にも味わい以外にどこか贅沢な心持がした。

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 その日はそれ以外にも六種類のパンを紹介された。一人一人が其々に六種類のパンを焼いたわけではないが、どれも目に新しい形やレシピで面白かった。その殆どがライ麦粉と小麦粉の割合の違いくらいである筈なのに、いざ食べてみるとどれもちゃんと個性のある味を持っているので不思議であるが、これ即ちドイツが一五〇〇種類以上ものパンが存在する世界きってのパン大国と言われる由縁である。

 この時のシュテファン先生をはじめ、そんなドイツで製パンマイスターとしてパン屋、或いはマイスター学校の先生として働いているドイツ人の口から屡々「Ohne Brot kein Leben(パン無しでは生きられない)」というパンチラインたる言葉を聞く事がある。ドイツという国に置いて生活もとい命に直結したかのようなパンの歴史的位置付けを表すようなこの言葉を聞くと、私の心の中にいるオーディエンスがこぞってその手を突き上げ、我が琴線を打ち鳴らしてくるのである。二十歳にも満たない程度の私が「音楽が無いと生きられない」などと言っていたのとは重みがまるで雲泥の差ほど違う。これがドイツパンの本質であり、私はそういうパンに魅せられた。


 その翌日の授業では、各々が考案したオリジナルレシピを試験用に試作する機会が設けられた。私は一五〇〇種類の壁に赤い丸石を積み上げんとするが如く、満を持して炊いた白米を練り込んだ。ライ麦粉を基盤とし、蕎麦粉と炊いた白米、そしてチアシードと亜麻仁を加えたパンを作った。先週末下宿先での試作段階では、案外良い結果になったと安心していた。

 各々のパンが出揃った所で、先生が我々生徒を集めてデモンストレーション的に一つのパンの品評に掛かった。そして続けて、誰か他に品評の希望があるかという質問があったので間髪入れずに、私のパンをと応えた。言葉も覚束ない外国人のその積極性に思わず吹き出すクラスメートもいたが、ドイツ人の口に私の試作が果たしてどう受け取られるかが気になってしょうがなかった私にとってその笑い声は何処吹く風であった。

 先生がパンを切りながら、何が入っているんだっけと聞いて来たので、炊いた米が入っていると伝え、そうしている内に一口大にパンを切り終えた先生は一度匂いを嗅いでそれからマスクを摺り下げパンを口に放り込んだ。

 すぐに先生は顔を歪めた。その険しく顰められた顔にまたクラスメートが笑う。パンの咀嚼を終えやっと飲み込んだ先生の評論は、酸味が少なくマイルド過ぎて少々味気ない、という物だった。なるほど、味わいがマイルド過ぎるとドイツ人は顔を顰めるのか、というのがその時私の頭に一番に浮かんだ感想であった。先日の試作時に酸味が少ない事は確認済みであったが、まさか酸味の少なさにドイツ人の顔が顰められるとは予想だにしなかった私は、その日の晩に改めてその試作を食べてみると、先生と同じ反応は取らないまでも言わんとしている事は分かった。酸味を待ち望む口の中にそれよりも弱い味が入って来た事によって物足りなさ、引いては味気なさを感じたのである。その味わいは確かに米の甘味なのだが酸味の中に紛れた途端に妙な虚無を生んでいたのである。

 これは早々に良い結果を得られたという物である。幸い試験までもう少し時間がある。少々味わいにパンチを聞かせられる工夫を凝らして、びっくりさせてやりたいところである。



 片や座学ではオーブンのシステムであったり、パンにカビを齎す細菌などの要因の話であったり、糖尿病の話であったりと、薪窯でパンを焼く事に負けるとも劣らない程興味深い授業が繰り広げられてきていたのだが、中でも特にパンの失敗例についての授業が愉しかった。外観、クラスト、クラム(※4)、香り、味に至るまでの失敗例が原因と対策と共に紹介され、案の定クラスメート達は退屈そうであったが、私は写真付きで説明されている資料を見ながら、過去に大型オーブンを担当していた頃の自らの失敗を思い出し、照らし合わせながら夢中になっていた。

 風味の欄にはしっかりと「fade(味気ない)」という項目があったので、今回のパンは歴とした失敗であると確認し、さて次の手を考えるので頭をまた忙しがらせた。試行錯誤は御家芸である。




(※1)サワー種:ライ麦粉や小麦粉を水と混ぜ合わせ乳酸菌などを培養させた伝統的なパン種。※経過はTwitterにて更新中。
(※2)バヌトン:パンの発酵に使われる籐の枝を編んだ籠。
(※3)窯出しをする際に開かれた扉の奥の光景は何とも絵になるほど美しかった:

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(※4)クラム、クラスト:パンの内側(クラム)と外側(クラスト)。

※写真や挿絵の使用、生地の引用等につきましてはご自由にどうぞ。


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