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*36 ジャグリング

 上を見ろ、上を見ろと人は云う。また、前を向け、前を向けとも人は云う。何かを成すには下を見る隙もうしろを振り返る暇も無いのだと云う。まるで山頂を目指し断崖絶壁を登りゆく登山家アルピニストである。所が私の様な世間知らずの臆病者の進む道を比喩たとえるならば山間に掛かる吊り橋を渡るが如くである。それでも天を仰ぎ橋の向こうを見据える事は同様に重要であるが、時折谷底を覗き込み恐怖心を煽ってはそれから橋を渡り切る為の推進力を捻出したり、ぷらぷらと不安定な足元に怯えた時などは後を振り返り確かにそこまで進んできた足跡そくせきを確認し、その中に橋を渡り切る為の勇気の存在を見出さなければならないのである。これは言い訳かも知れない。屁理屈であるかもしれない。しかしせわしく山頂を目指す登山家の彼らである。吊り橋の中腹で膝を震わす臆病者の姿を態々わざわざ目に映す者など誰一人としていないだろうから、私と同じ様に吊り橋を渡っている者は皆高らかに言い訳をし、堂々と弱音を吐くといい。その為に天を仰ぐのである。そしてまた慎重に板を踏み進んで行くといい。その為に前を向くのである。

 斯く言う私は相変わらず右手と左手に異なる重さの玉を乗せてはバランスを崩さぬように不安定な橋の上を蹌踉よろよろあゆみを進めていたので、前に後に上に下にそれから右に左にと目が回る程視線を彼方此方あちこちに散らす必要があった。そうなってくると折角垂れた能書きが返って自分の首を絞めかねないので今週ばかりは両の手のみに集中した。



 まず左手に持つは引越しの玉である。一口に引越しと言ってもただ荷物を移して済めば良いのだが、それ以外にも細々こまごまとした用事が授業を受ける私の視界をちらちらと舞っていた。思い返すと高校の時分、就職をしたら一人暮らしをしたいという夢を漠然と抱えていたぎりで、結局今の今までその夢を果たせずに来ていた。日本で働いていた頃は四人一部屋の寮生活であったし、ドイツに来てからは語学学校のゲストハウス、従業員用アパート、同棲ときて、そして今は学生用の下宿でクラスメートとの共同生活である。従業員用のアパートにいた頃は、専用のキッチンやバスルームがあったので一人暮らしみたようであったのだが、如何せん壁の向こうや廊下の反対には同僚が住んでいたので何処か心がそわそわとして落ち着かなかった。

 それから家具付きの借室ばかりに住んできたものだからそういった家財をまるで持っていない私は、それらを工面くめんする必要もあったので隙間時間にはインターネットサイトを眺めたりもしていた。しかし相変わらず無骨ぶこつで質素な生活であるし、そもそも物欲に乏しい男であるから折角借りた立派な部屋の大部分をすかすかに持て余しそうな程しか買い揃えない積である。また土曜日の朝から大型スーパーへ出向いてある程度の生活備品を買い集めてその足で次の借室へそれらを運んだ。部屋の中へそれらを並べると、来週から始まる一人暮らしへの期待がみるみる高まる様であった。


 幾ら大きい家財道具を持ってないとは言え知らない内に私の想像よりもずっと多く増えていた私物の残りは、退居の日に同居人の協力のもと運び出す事にした。金曜日の授業後に彼とその段取りを決めて、ついでに授業や試験についても彼是かれこれ一時間余り喋っていた。生活観の違いに淹悶うんざりとした事はこれまで幾度もあったが引越しに限らず彼に助けられた事も幾度となくあったわけであるから、これで互いに離れてもその内に彼自慢のピザ窯で色々なピザを試作しようなどと言う提案が出された時なども大いに賛成をした。

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 それからメールを書いたり書類にサインをしたり各所に住所変更を通知したりというのを授業の後などに片付けていった。こうして文字にすると何でもないような作業もいざ取り掛かると何となく頭も気も擦り減る様で、片付く度にそれまで息を止めていたのかと思い違う程深い息を吐き出し肩を緩めた。


 もう片一方の右の手に持つ玉は無論、試験勉強の玉である。オンラインがどうだ講師がどうだとこれまで散々嘆いていたが、だからと言ってそれらを盾にして万が一試験結果が悪かった時に我が身を守ろうなどと言う卑劣な魂胆こんたんはもとより持ち合わせていない私は、それでも苦戦を強いられている事に違いは無かった。授業を聞いているだけでは当然頭に内容を繋ぎ止めておく事は難しいのであるが、そう言えば七月に受けた教育者資格に向けた授業の内で、人間は脳の仕組み上説明を聞くだけでは二〇%、目で見ながら聞くと五〇%、そして実際に自分でやってみてようやく九〇%教わった事を覚えられるんだという話があった。成程なるほど確かに今のオンライン授業では聞いてばかりであるし、時として滅茶苦茶な板書と早口の説明に歯痒さを覚えねばならぬ状況であるから、それでは二〇%さえいぶかしい所である。


 それならばもう判りやすい。只管ひたすら経営学と膝を突き合わせ、歯形が付くほどとことん机に齧りつくだけの事である。無論これまでもその姿勢は続けてきた積であるが、今週になって自分の意識の中でギアをまた一段上げた。

 朝七時半頃に目を覚ましたらコーヒーを淹れてヨーグルトで朝食を済ます所から一日は始まる。授業は八時半から十六時迄である。昼の休憩にはパンにバターを塗ってハムやらチーズを乗せて簡素に済まし、授業が終われば運動をしてシャワーを浴びてパスタを食べてベッドに潜る。食事は常に同じである。何を食べようかと頭を捻るのが面倒なので同じ物ばかり食べているのだから栄養の偏りなどを指摘されればぐうの音も出ないのであるが、これでも体を思いやるようになった方で、それこそ三年前に注意を受けるまでは約二年間カルボナーラしか食べなかった位である。体には悪そうであるがそれでも健康でいるんだから問題あるまい。毎日食べて飽きないのかと言う問いに至っては問われるまでその感覚すら持ち得なかった。

 それで二時間程眠ったら起き上がり、机を齧って朝四時頃まで勉強である。最早もはやパーセンテージ云々うんぬん、効率云々ではない。ただただ手当たり次第、あらゆる方向から経営学に手を付けていくのである。時に教科書を訳し訳し読み進め、時に練習問題を見直し、また時にユーチューブに上げられたドイツ語のビデオで復習を図る。オンライン授業と違いアニメーションを駆使した短いビデオが多いので案外役に立つのである。寧ろ試験の範囲さえ把握出来ればオンライン授業を画面に流すかたわらでユーチューブのビデオを観ていた方がよっぽど勉強になるんじゃないか知らんという考えさえ脳をよぎるが、なかなかそう思い切れないのが私のさがであった。そしてもう一度ベッドに入りまた七時半頃に起きる。これの繰り返しの日々である。しかし幾らやっても足りないようで仕方が無い。



 その昔大学入試に向けて猛勉強をしていた友人達に嫉妬している自分がいた。当時の私はそういった経験の無さにコンプレックスさえ感じていたのであるが、今の自分を当時の私が見ても到底嫉妬するに至らないだろう。周囲の誰がどう云おうと、当時の私自身に嫉妬されるようでなければ私は満足に戦ったと言い得ないのであるが、時間の有限さの前にはどんな能書きも思想も無力である。私はただ遮二無二やるしかないのである。本当は髭を剃る手間さえ省いてやりたいくらいであるが、これが武将の様に立派であるならまだしも無精たる髭では余りに身窄みすぼらしいんだから仕様が無い。髭は剃れども愈々いよいよ谷底を覗き込む手間は省かなければなるまい。成程、遥か上を行く登山家の言わんとする事が少し掴めた様な気がした所で十月からまた働くパン屋の同僚から応援の連絡が来た。今が正念場である。


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マイスター養成学校が始まり勉強に全身全霊を注ぎ込む積でいまして、それに伴い勝手ではありますが記事投稿の日曜日以外はなかなかnoteの方にも顔を出せなくなります。どうかご了承ください。

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