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*27 道

 一年の内で最も好きな時期は年末年始、詳しくは年越の瞬間である。精神の浄化、とはややいぶかしく、そもそも可視化のされぬ現象であるからそれの有無さえ人に伝えるは難儀であるが、二〇一七年を迎える時、一人、睡眠にも催眠にも掛かっていない私の眼前、真白の壁に忽然こつぜんと浮かび上がった情景は、二〇一六年の懊悩煩悶おうのうはんもんの日々がまさに浄化された様な、或いは濁らず言えば昇華させられた様な印象で、私は実際目にしたわけでもないその光景を未だに鮮明に記憶している。数多の懊悩で埋め立てられた大地の上に私が立っている以外何もない、殺伐と、また寂寞としたその景色を人生の真理の如く理解してからと言うもの、年の変わり目に、期待とも不安とも一線を画すリセットの感覚が沸き起こり妙な特別を感じる様になった。
 
 
 月が変わる時もまた、度合いの差異こそあれ例外では無かった。早七月である。
 
 オーストリアのリンツにてリンツァートルテだパンの歴史博物館だとはしゃいでいたのが一ヶ月と昔の事である。心なしか六月の進行速度は速かった。何をしていたんだっけな、と頬杖を付いて考えてみると、それでも何かをやっていた。大きい所で言えば各種契約の解約作業も済ませた。これは一つ大きな肩の荷であった。喉元を過ぎたから熱さを忘れてしまっていたのか、こうして思い出そうとしてみてようやく、ああそうだったと再確認した。
 
 本もしきりに読んだ。頻りにと言っても他にやる事もあるから読書家の足元にも及ばず恐縮であるが、例のパンの歴史書を少しずつ読み進めた。私の持っていたパンの歴史の概要が、如何に概要に過ぎなかったのかを思い知ると共に、更なる詳細とまたそれに付随する神話や民族の話にも触れすこぶ刺戟しげき的であった。古代エジプトで発酵パンが生まれ、それが古代ギリシアで革命的に拡大し種類も増えパン職人という職業も誕生したと聞いていたが、古代エジプト章と古代ギリシア章の間にイスラエルの章があり、そうして近頃ようやくギリシアに話が移ったかと思えば、パンの革命はおろか、農耕に適さない土地であったとかでまだ文章の上でパンを作り始めそうな気配すら無い。これには私も興奮である。
 
 この当時の感覚を汲めば、パン作りではなく食物作りと言うが相応しいのだろうと思うと同時に、それは畑に作物を育て収穫するにあらず、また野山で狩猟し獲るに非ず、そうかと言って料理を作ると呼ぶにも違和感のある大変特殊な工程かつ存在であったと考えると、ますます現代におけるパンの存在にも思いを馳せずにいられなくなる。古代と比べれば多様化したパンの捉え方であるが、最早古代とは無縁な現代人にとって歴史などあっても無くても、目の前のパンの装飾や味にこだわるが重要である。実際たかだか一〇〇年と生きられたら十分な人生の限りある時間をつかって、態々わざわざ六〇〇〇年も昔の事を知りたがる私の方が奇であるは百も六千も承知であるから他人ひとに歴史的考察を強いるつもりも無い。一人ひっそたのしんでいれば十分なこれを私はあえて趣味とは呼ばずどうと呼びたい。パンに限らず道に生きる人間は、今日も一人、陽の差さぬ自室にこもってなまめかしく北叟笑ほくそえんでいる事だろう。そういう人を私は好きである。

 社会に出て己の道への理解を求めるは傲慢である。世間的に道は「どう」ではなく「みち」と読むんだから、「みち」は一般ただ歩いていく敷物に他ならない。「道」という漢字が単独であった場合、それをどう読み、どういった印象を持つかによってその人物を裁く一つのふるいに成りろう。どう読もうと善悪に通じないから安心して戴きたい。
 
 
 先週の体調不良を引きったトミーは、結局この一週間は病欠であった。アンドレは猩紅熱しょうこうねつだと言って、小児の病気だのに子供のいないトミーは何処から発症したんだろうかと不思議がっていた。聞けば大人になってからかかると危険な病気だと言う。何でもトミーは十キロと痩せたという噂で、にわかに信じ難くも、想像の内で壮絶な病床が思い起こされた。
 
 そんな彼から週半に連絡があった。七月の中旬に控えた私の有給休暇を一週間分後には出来まいか、という相談であった。私はず無意識に彼の思惑に考えを巡らせた。猩紅熱の影響であろうか。或いはどうしても休暇の必要な急用が彼の方に在ったんだろうか。そう考えるには考えたが、私の方でもうに予定が埋まっていた。各種予約も済ませてあったが、何より友人との予定も控えていたから、私一人御人好しに譲るわけにもいかず、悪いが有給休暇は動かせないと断った。
 
 
 七月の有給休暇で、帰国前最後のウィーンへ行く予定も立てている。ウィーンに対しても私は道の意識が働く。これは然し特定の道、例えばウィーン道や珈琲道なるものでは無く、強いて言うなれば自己実現的な道であった。己を知る為に、また己を作る為に不可欠な要素がウィーンには眠っている様に思われた。私が勝手にウィーンを我が心の故郷と称するのも、言語化すればそういう事にあるのだろうと今し方気が付いた。
 
 
 そんな私の元に今週、青天の霹靂たる一報が舞い込んだ。ウィーンにもまつわるアナログゲームを実際に遊び、感想を戴けないかと言う依頼が制作者の方から届いた。何かの間違いでは無いだろうかとも思いつつ、無論喜んで快諾した私は、その制作者を数年前から既に認知していたという事も引き受けた理由の一つであった。と言うのも、実際私が通称「芸術家の村」と呼ばれる北ドイツの小さな町に人生で初めての一人旅を敢行した二〇一六年、数少ない旅行情報の内にその制作者の書かれた記事を偶然見付け、それを参考にさせて貰っていたという過去があったのである。
 
 世の巡りは大変複雑で、かつ奇想天外であるのを改めて思い知った。然しこれも歩いて来た道の先と思えば、その歩く体の方は単純で至極凡庸である。身に降り掛かる好悪は操れぬが、その身をどう動かしどう維持するかは如何様にでも致せる。全く私が数年前、年越を前に白壁に見た情景の表すが如くである。
 
 
 仕事が順調に進んだというのも六月を振り返って見た時の印象である。見習い生のマリオの積極性が突如開花したのも嬉しい誤算であった。一方で製菓部門にとってはそう軽やかな日々でも無かっただろう。製菓職人のアンナとシルビアがほとんど同時に姿を見せなくなって、見習い生のララと加入したばかりのエヴァを中心にシェフや若チーフも出動を余儀なくされた。無断で突如姿をくらませた二人の言動の、善悪云々よりも社会的不可解さに釈然としなかった私は、木曜日の帰り道、買い物の為に寄ったスーパーの駐車場でアンナとばったり出くわした。
 
 「ハイ!」と向こうが私に気付いていなければ私は屹度きっと通り過ぎていたかも知れなかったのは、作業着姿と私服姿での見え方の違いに帰着した。自転車を止めてしばらく彼女と話した。どうしても彼女の取った行動に釈然としていなかった私であったが、真意や経緯を尋ねようにも慎重にならざるを得なかった。それでも今、隣町で製菓職人として働いているという事と、ベッカライ・クラインに対する不満とを沢山物語った彼女は、私が帰国する前にはまた会いましょうよという挨拶をして、それで別れた。シルビアの動向については、彼女も心当たりのない様子であった。我の道と社会との混同による弊害に思えなくもなかった。
 
 


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。 


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