*24 運ばれている
八年前、ドイツのパン屋で働き始めた時、職場には既に一人日本人の先輩がいた。名も性別も伏せ単にXと呼び話を進めるが、そのXは私よりも二年先にドイツへ来ていたからドイツ語も同僚とのコミュニケーションも当然私よりずっと優れていた。おまけに日本で既に製パン業に携わっていたという年上のXであったから、ドイツ語も製パン知識もからっきしの私からすれば大変立派な先輩であり、またXから見た私もまるで世話の焼き甲斐のある後輩であったに違いなかった。
そこに俄かに亀裂が見え隠れし始めたのはそれから案外早かった。職場に加入したばかりの頃の私の拙いドイツ語をそれでも褒めてくれていたXは、何時しか殆ど私と関わるのを仕事中であっても避ける様になっていった。その態度の変貌ぶりは大変露骨であった。
原因は他でもなく私の方にあった、と言うのは現在の私が持つ見解である。ドイツで働き始めた私は数カ月と経つ内に当時の人間関係や己の生活について、渡独当初の目的と照らし合わせて見直す必要を感じていた。何をする為にドイツに来たのか。どういった覚悟を鞄に詰めて来たのか。ドイツ人の同僚に対する態度と、日本人の先輩に対する態度を態々切り替えて、その上で心労を覚えていては何とも本末転倒の様に感じていた。Xに限らず、退路を断って挑んだ異国での職業訓練に際して、母国語同士の人間関係に時間と体力を捧げている場合では無いと到頭決断した私は、或る日を境に仕事中Xに対してもドイツ語で話し掛ける様に切り替えた。
当時の我武者羅な私は成りも振りも構っている暇無く、先輩であろうと年上であろうと「私はドイツに修行に来たのだ」という信念を頑と持ち、腹を括ってそうした態度を取っていたのであるが、Xからすればただの生意気な若僧である。鼻に付いて然るべき邪魔な存在である。当時の私はまるでそれに気付けず、或いは気付かぬふりをしていたのかも知れないが、Xに強い口調で文句を言われようが、離れた所で私の悪口が言われていようが、除け者にされようが、懲りずにドイツ語で、またドイツ人の同僚と接するのと同じ様にXに対していたわけであるが、大人になるにつれて当時の私の生意気も、Xの心境も想像し理解する事が出来た。
***
月曜日から水曜日まで例の日本人女性が約束通り職業体験に来た。同郷と言うだけで妙にそわそわとした。電車の都合で誰より遅い六時に工房に現れた彼女は、若チーフのマリアに連れられて既に働いている同僚にそれぞれ挨拶しながら工房をぐるっと回った。
着替えを済まして再度工房に入って来た彼女は、プレッツェルを作っている私達の所へ加わった。何を言われずとも見様見真似で成形をし始めるあたり日本人らしい積極性だなと感心しつつ、プレッツェルを成形する時の注意点を幾つか説明した。初めにドイツ語で、そうしていまいち理解していなさそうな所は日本語で補足した。
プレッツェルを終え、私は担当するペストリーの成形に移った時、彼女と二人になる時間が発生したから「ドイツ語で説明したりすると思いますんでちょっと心積もりしておいてもらえると助かります」と一言断りを入れた。その上で「もし同僚の説明で解らない事なんかがあれば何時でも聞いて下さい」とも言っておいた。これは過去Xに対して怠った一言、という反省を活かした形である。
彼女は日本で製パン業に長く携わっていたと話した。それだけで察しても私より先輩である。それでも仕事中、再三私に対して「優しい」という言葉を使った。それが何とも妙に感ぜられた。それこそ「解らない事があれば何時でも聞いて下さい」と言った時も、それから昼頃に腹も減るだろうからと、休憩用にプレッツェルを確保しておきましたと伝えた時も矢ッ張り優しいらしかった。私からしたら全く普通の事を、社交辞令である可能性を加味しても、こうして褒められると、逆説的にこの人は一体どれほど優しくない世界を生きて来たんだろうかと妙な憂いが生まれた。
水曜日、製菓も体験してみたいという彼女の希望は通され一日製菓の方で働いていた。その傍らで製パンの方ではゼンメルを成形する機械が故障してしまい、ばつ悪く入っていた千個のカイザーゼンメルの特別注文の大凡半分を手押しの成形で片付けた。私とマリオで只管型を押していく脇で、機械故障の直接的な被害者であったトミーは「まるで一九八〇年代だ、わはは」と随分余裕のある笑い声を響かせていたが、その時点でとっくに彼は随分な残業になっていた。機械の故障に大変弱い私では彼の様に余裕のある振る舞いは出来ないだろうから立派だなと感心しながら「いやもはや石器時代だ」と冗談に上乗せをした。
水曜日の仕事を終えると、職業体験に来た彼女を折角だからとベッカライ・クラインの本店へ連れて行った。店に入ると販売婦のマリーとマヌエルが店頭に並んで立っていて、店に入るや否や私の名前を呼び、「カプチーノでしょう」と本店の工房で働いていた頃の休憩の時の様な遣取を交わした。そうして「新しい同僚だ」と日本人の彼女を紹介した。
店内の席に着いて各々ケーキと珈琲を食べながら色々と話をした。それこそ私が今住む部屋を空け渡すとした場合に、家具はどうだ、電気はどうだという話も進めた。殆ど何も持たずにドイツへ来て、語学学校のゲストハウスに住んでいるという彼女の境遇はまさしく私がドイツに来たばかりの頃と同じであったから気持ちも良く解った。彼是私と知り合って七年となる在独の日本人女性と、SNSで繋がっていて渡独前から相談をしていた、というのには大変驚いた。そんな友人夫婦と私は来週末に会う予定も入れていたから尚驚いた。
本帰国に向け、引越準備、各種解約を今年の頭から常々考えて今日迄来ている。今日迄考えているが、それらを全て順調に片付けられているかと言えば、想定よりも遅い。想定よりも遅いから、元来の心配症が尚煽られる。煽られながらも、冷静に時期を見計らっている自分も混在している。急がねば、と漠然と気を焦らせる一方で、早過ぎやしないだろうかと冷静に見定める自分もいるわけである。
部屋を解約して、持っている家具や生活備品をインターネットで売り払わねばと考えていた所にこの度日本人が現れて、上手くいけば家具の解体や食器の処分と言った作業をせずに済みそうだという、全く私にとって運の良い先週からの流れであったが、そんな今週の月曜日、仕事を終えてアパートへ帰ってくると珍しく大家と鉢合わせたのは全く引き続いている幸運の流れであった。
私の住む建物の一階に大家は住んでいる。そうかと言って頻繁に顔を合わせるかと言えばそうでも無かった。そんな距離感にある中で、さて解約願を出そうと思う場合、部屋の扉をノックして直接渡した方が良いだろうか。然しそれでは突然過ぎるから前以て言伝した後に渡すべきか。或いは郵便受けにぽんと出しておく程度で良いだろうか。然しそれでは少々他人行儀過ぎるだろうか、などと相変わらず心配症を発症させてやきもきしていた所で偶然鉢合わせた。
地下の階段を登って来た大家に「ハロー」と言うと「あら、御元気です」と返って来た。そうして少し遣取をした後に、単刀直入「実は解約をしたい積でいるんです」と近々書面を持ってきますという事を併せて話した。彼女は怪訝な表情を浮かべて「どうしてまた」と聞いて来たから「日本に帰国するんです」と言うとぱっと表情が明るんだ。何とも情緒が掴めず妙な気分になりながら、実はここに住みたいと言っている人がいるんですが、という事も伝えると、またその人も含めて話す機会を設けましょう、という事で話は済んだ。まさかこうした形で大家に直接話が出来ると予測もしていなかった私にとって、矢張りこれも幸運に思われた。
一月から常々頭で想像して心配していた事柄が、こうして私の意図や行動と無関係に進んで行く。まだ起こってもいない先の事を考えるのは無駄だ、という話も時折耳にするが、こうしていざ我が身に起こると頷かざるを得ない。あらゆる事柄は起こるべき時機で自然と起こる、というのを前提として暮らすのは心配症の私にとって大変恐ろしい心掛けであるが、いざと言う時に縋れる命綱の積で心に留めておく事も大事である様に思った。これから先、必要とする場面は増えていきそうである。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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