*15 バースデイ
今でこそパン職人と名乗る事の出来ている私であるが、ドイツに渡るより以前は全く異なる職業に就き働いていた。また休日にパンや菓子を焼く事も無ければ語学の習得に励むでも無く、ましてや海の外に広がる世界など自分とは全くの無縁であると位置付けていたから間違っても海外旅行などという無謀をしたいと思い立った事さえ毫も渺も無かった。即ちそれはドイツパン職人としての私という人間が、言葉も無く知識も無く全くの丸腰で産み落とされた赤子の如く正真正銘ドイツの地で育ったパン職人だという理屈になるわけである。当事者の私はその都度目の前に目眩く突き付けられる物事と対峙するのに必死で、まさか客観的に己の境遇を嘆くも讃えるもする暇なく今日までを突き進んで来たわけであるが、漸く落ち着いた昨今になってこれまで駆け抜けた荒野を眺めてみると、まさしくサバイバルと形容するのに相応しいだけの足跡や残痕が生々しく認められた。
赤ん坊には家族といった手引きが身近にあるように、私も語学学校や職業学校の教員、職場の同僚といった先人に手を引かれ育った事は言わずもがなである。それから赤ん坊が不快を訴えるのに大声を張り上げて泣くように、ドイツに来てまだ日の浅かった頃の私も足りない言葉を力で補おうとするかのように仕事場で大男相手に癇癪を起こした事もあった。赤ん坊が動く物、触れられる物に興味を津々とさせるように、私も勉学や旅行といったまだ見知らぬ世界に好奇心を漲らせた。そうして赤ん坊が泣き叫ばずとも感情を言葉に換え、口に入れて良い物と悪い物の判別を覚えていくように、私も癇癪や感嘆詞を言語に換え、仕事のやり方や嘘と愛の実態を覚えてきた。
覚える方が幾ら真剣にサバイバルをしていたとしても、教える者の立場からすれば辛抱が必要である。そう考えた時、なんの血縁も因縁も無い言葉の不自由な外国人に仕事を指導するのも、出鱈目なドイツ語で起こされた癇癪を宥めるのも、会心の冗談を一々聞き返される事も、大変な辛抱で骨を折らなければ成し得ない作業であることは想像に難くない。そうした中で成長させて貰った私は、幾らその内に反りの合わない者があったとしても、謝恩の心をすっかり忘れ去ってしまえるほど恩知らずに育っていなかった。そしてまた辛抱で手を焼かせた私がその先に果たしてどれほどの成長を遂げたのか、その姿を見せる事がそれだけで恩返しに成り得るという世説の実際を、今週の私は少し垣間見た気がした。
見習い生の面倒を見る役割を与えられて四週間と経った。今週も先週同様マリオが製パン部門、クララが製菓部門で働いていたから、私は主にマリオへの指示説明に務めていたわけであるが、男子よりも女子の方が大人びていて聡明だという、私が子供の頃に抱いた印象そのままに、クララと比べてマリオは随分粗相っかしいところがあった。また不器用で集中力に乏しいところがあった。脳から全身に送られる信号があべこべになっているかのように動きは牙骨なかったし、週を通して原因不明の倦怠感に見舞われていた今週の私にとって、時折もういっそ放任主義の姿勢を取ってしまって我が身の安寧を優先してしまおうかという邪な気が脳裏を過ってしまう瞬間のあったほど世話の焼けるところがあった。その時に辛抱という二字が私の身勝手な無責任を制してくれたのである。
私は脳の前頭に辛抱の二字を掲げたまま、彼の身体能力と片付けるべき仕事とを見比べては成るべく冷静な態度で指示を出した。この時の私は少々気が荒んでいた。本来であれば積極的に仕事をやらせて覚えさせたい筈の私だのに、失敗の起こりにくく、私の安心を優先した選択を世話役という優位な立場を使って彼の上に振り翳してしまっていた。そうして私が主導権を握ったまま二人でクロワッサンの成形をしていた時、彼の方から、シーターで生地を伸す所から切断するところまでを自分でもやってみたいという希望を伝えて来た。そこで我に返った私は、幸い仕事時間にも余裕があった為に彼の要望を呑み、手順をまた一から丁寧に教えた。
やってみせ、言って聞かせてさせてみて、彼の動きには隈なく注意した。彼もまた一つ一つを確認し、先ず慎重に手順を覚えた。彼の理解が粗方になってきた頃、私はクロワッサン生地の作業は素早く行われなければならない旨を伝え、目安の速度感としてまた手本をみせた。そうして彼がやるのを機械の反対側で見ながら、手順の確認作業をしつつ、もっと速くもう少し速くと囃し立てた。彼は彼でにやにやとしながら、もっと速くもう少し速くと私の出す課題を熟そうと前向きなのが分かった。そうして何度か繰り返した後、手応えを感じたであろう彼の方から「今の速さはどうだった」と自信ありげに私の様子を窺ってきたのを見て、思わず私は胸の内で彼の成長に喜びを感じた。なんの血縁も因縁も無い彼であるが、新しい事を覚え、それを少しずつ我が物にしようと積極的なその姿が私には嬉しかった。そうして同時に私は、私の成長を促してくれた幾人もの人達が漏れなく抱えていたであろう辛抱を知り、それを越えた所にあった己の達成感や自信といった不純な物よりも透明度の高い喜びを知った。私は仕事に手応えを感じ誇らしげな彼を「Spitze」だの「Bravo」だのといった言葉で讃えた。
そんな遣取を重ねる内に彼の方でもすっかり私を懇意に感じているんだか、金曜日の仕事終わりにはアイスを食べに行こうと言い出した。そうしてクララを含めた三人でマルクト広場のアイス屋でアイスを買って食べた。主観で繰り広げられる会話を眺めると然程年の差を感じない彼らであるが、傍から見たら随分異様な光景だったに違いない。若いドイツの少年少女に年の離れたアジア人である。なんだかおもしろかった。
そうして迎えた週末、卒然と私は心の故郷であるウィーンへと向かった。火曜日になって今週は土曜日が休みだと伝えられた私は、ウィーンで誕生日を迎えられる機会になると気付くなり、出発まで日も無い中でホテルと電車を急いで予約していた。余りに突然の決断であったから、予約した直後、心の速度に頭は置いてけぼりを食らった様子であったが、それでも翌日になると、自分への誕生日プレゼントを買う機会にも出来そうだと頭が働いた。滞在は短く、またこれと言って観光をする積も無くウィーンへ向かった。実際ウィーンに着くなり、R.Horns Wienというウィーンを由来とする鞄屋へ直行し、そこで革製の財布と筆容を自分の為に買うと、そのままCafé Ritterという老舗のカフェへ入り、アインシュペナーとカイザーシュマーレンを嗜んだ後、スーパーに寄ってからホテルに缶詰めになって執筆に取り掛かった。何を隠そう今こうして文を綴っているのがホテルの内である。
鞄屋の店内はクラシックという言葉が似合うと共にモダンであった。少し奥まった処に店を構え、彩溢れる革製品が壁や棚を賑わせる中に人間の姿だけが無かったから、私は入店のベルが鳴るよりも先に挨拶をして奥から夫人を呼び出した。大変穏和な夫人であった。私が財布を見せて欲しいと言うと、規格の違いから色の違いまで多種多様な財布を目の前に広げてくれた。私は片端から吟味しその内から一つ選んだ。それから店内を物色させて貰いながら何だ彼だと話す中で、ウィーンが私にとって特別な街であり明日が私の誕生日だからそれでわざわざ来たんだと物語ると、彼女はさっきまでの大人しさを少し跳ねさせた調子でおめでとうと祝ってくれた。それで彼是物色した後、私は予定していなかった筆容まで自分に贈る事にした。
明日の昼前には疾うにウィーンを出る予定の私は実際一日と滞在しない事になるが、それでも予てよりウィーンに特別の想いを持っていた私が今こうしてウィーンで誕生日を迎えられる機会を手にした幸運は、千載一遇どころか万載一隅であったわけであるから記念すべき誕生日に違いなかった。その上、何としても私の人生に因縁付けたい鞄屋に出会えた事は、一つ私がこれまで繰り広げたサバイバルによって広がった世界の象徴とも言え、海の外を危険で溢れる異世界だと言っていた頃の私では到底辿り着く事の出来なかった財布であるとすると、そこに刻印されたWienの刻字は、この先に私を待ち受ける如何なる関門さえ突破する為の呪文のようでもあった。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。