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*31 シュトレンは冬の匂い

 くしてクワルクシュトレンの焼き型を無事手元に受け取ったわけであるが、一連の騒動の責任者は誰であったかと問われれば、全く恥ずかしながら私でしたと冷汗三斗れいかんさんとに手を上げざるを得ない。それでいて今週も、実際に型を手にした木曜日までは連日頭を抱えたり事態の滞りに憤りを乗せたりしていたわけであるから滑稽の極みである。
 
 人生が旅ならそこで掻いた恥も掻き捨てである。道連れも無い私は余計な味付けも無しに情けない在りのままを文字に書きつけようと思うが、まず週を明けた月曜日に荷物の所在が判明した。比較的近くの受取ロッカーPackstationにあるらしかったが、一度もそれを使用した事の無かった私は使い方を事前に調べる手間があった。すると読み取り式のコードが必要だと分かり、それをメールで送って貰うには発送業者のインターネットサイトでの登録と、それから特定のアプリで身分証明登録が必要だと言うからこれも手間であった。しかし背に腹の私は指示通りに手続きを進めていき、最後に身分証明書の写真をアップロードして同一性が認証されればいよいよ完了というところで、幾ら写真をアップロードしてもことごとく問題があります、と受け付けて貰えなかった。私は証明書に光が反射してしまっていたかな、少し画質がぼやけていたかなと、幾度か根気よく挑戦し続けていたのだが、十回と問題発生が繰り返されては到頭腹の虫が騒ぎ出したからその日はそれきりにすると、翌日に近くの郵便局にでも話を聞きに行く事にした。
 
 ところが翌日は残業が出て仕事を終えた頃には郵便局が閉まっていた。この判然としきらない状況に靄々もやもやを依然引き摺りながらその日は家に帰った。
 
 水曜日はそれでもなんとか定時で上がれた私は、職場から真っ直ぐ郵便局へ向かうと、ちょっと質問がありまして、と説明を始めた。その郵便局が発送業者の管轄では無い事も重々承知の上で何かヒントを得られればと思って向かった私は、質疑と応答の末に発送業者の電話番号と「そこに電話して受取ロッカーから自宅へ再発送してもらうよう頼んでみると良いわ」という助言を貰って郵便局を後にした。
 
 「本来は不在届に受け取り用のコードが記載されている筈なんだけど」という局員の問いに「そうなんです、ところがそれがポストに見当たらなくって」という答えを返した末の先の助言であったのだが、帰りしなに思い返すと、つい週末の頃にポストに入っていた広告や新聞を指定のコンテナに投げ入れて捨てた事があった。あの時も重なる紙の間をちらちらと見た覚えはあったが、不在届が入っているかもしれないという頭で見ていなかった様な気が起こって、まさかと思い早足で帰路を急いだ。
 
 幸いコンテナはまだ空にされていなかった。紙類専用のコンテナだったから変に悪臭が漂う事も何だか分からない汁で手が汚れる事も無かったが、近隣の住人から見られては余り格好の良いものでは無い姿でコンテナを漁ってみた。斯くして不在届が捨てた新聞の下から顔を出した。いやはや安心した。それと同時に大変不甲斐無かった。そうして翌日の仕事終わりに受取ロッカーへ行くとあっさりと型を手に入れた。全く私の不注意が起こした滑稽たる感情の起伏と騒動であった。
 
 兎に角これでようやく注文しておいた新しい道具が全て揃ったわけである。シュトレンを作るのに必要な道具に加えて幾つか興味本位で買ってみた道具もあるし、発酵かごは持っていた物よりも長い物が欲しくて買った。時期も時期であるから自分へのクリスマスプレゼントだとかなんとか言えば綺麗であるが、そういった意識も無い内に好奇心が勝手にカーソルを動かし選択し注文していたと言うのが実際的である。出来る事が増えるのはこれまた楽しみが増えるのと同じの事である。

 町がいよいよ本格的に白くなった。クリスマスに向けたパン屋の繁忙期も大詰めである。月曜日にはモーンシュトケシの実レンやヌスシュトナッツレンをシェフが、私とアンドレでまたクリストシュトレンを作った。手放しに美しいと褒められない焼き上がりを見て私とアンドレで「生地がどうも柔らか過ぎる」「発酵をさせ過ぎてるんじゃあないか」「前回もそうだったね」などと議論したが、実際に生地を仕込んで窯に入れたシェフは果たしてどう思ってるんだか何とも聞かなかった。個人的な話をすれば、この時の私の成形はこれ迄で最も上手くいった手応えがあった。前回前々回と見付けた改善点をことごとく潰した末に、ついぞ自分自身納得のいく成形が出来た。それだけに一人焼き上がったシュトレンに一つずつ砂糖を付けている時などは物悲しかったが、これも例によって私の成形が水の泡になった事よりも歪に焼き上がったシュトレンに対する感情移入エンパシーであった。
 
 またクワルクシュトレンも今週は大変満足に焼き上げられた。物質的な目安で計れない発酵や生地の状態について、感覚を研ぎ澄ませて声を聞き生地の内部を透視せねばならないから頭の中にしか書き留めておけない目安点を日々微調整し、それが今週は連日鋭く大変満足であった。

 金曜日には突如シェフから「シュトレン用にモーンケシの実ヌスナッツのフィリングを作っておいてくれ」と言われた私は、無論それ以外にもしなければならない仕事があったから休憩もトイレも腹を満たすのも返上で猛烈な速さで一人工房内を駆け回った。生地を仕込んでいたかと思えばあっちの角を掃除して、追加で焼いてくれと頼まれたパンの発酵を見て窯に入れたかと思えばこっちの機械を掃除して、一通り元来の作業を終わらせてようやくフィリング作りに取り掛かった私を見かねて、製菓のシルビアが「私の方はもう仕事が無いから」と積極的に掃除を手伝ってくれた。「ありがとう、大変助かったよ」と言ってシルビアをはじめ製菓の三人の帰りを見送ると、そこでやっとクロワッサンを一つ齧って腹を満たした。
 

 
 怒涛の一日を終えてついに週末を迎えた私は一度思いっ切り羽根を伸ばすと、シュトレン作りに精を出した。レシピは先立ってノートに書き起こしてあった。材料も週の半ばに買い集めておいた。発酵や生地の塩梅の目安は仕事中に養っておいたし、何より型や麺棒といった道具も手元に揃った。御膳立て済みの自室で土曜にはまずクワルクシュトレンを作った。

 美しく焼き上がった。美味しく焼き上がった。これは良い。職場で焼くのとはまた感覚も違ったから、発酵を見極めるのにより一層慎重になり、表面に切れ目を入れる時の深さにも慎重になった。この何方どちらか一方でもまずければたちまち項垂れていたであろう職場で再三目撃した失敗の起因であっただけに、オーブンを開いた私は手を叩いて安堵した。
 
 
  翌日曜日は朝からクリストシュトレンを作り始めた。生地を捏ねた時、その生地が余りに固い気がして念の為にもう一度レシピを見ると全卵も卵黄もそう言えば入らなかった。これは職場のレシピを暗記して持って帰って来たレシピなのであるが、果たして私の記憶違いなんだかそもそも卵の入らないレシピなんだか愈々いよいよ分かりかねたから、まあ生地も実際固い事だしと卵黄を十六グラム加えた。一先ず手元のノートに記しておいて月曜日にでも職場で確認する事にして生地を捏ね上げた。それから生地も妙に茶色かったのも気になったが、シュトレン用スパイス以外に茶色い物も見当たらないし、レシピを計算し直しても間違っていなかったからまあ様子を見る事にした。

 こなす数も少なければ時間の圧迫も無い中での成形は美しかった。室温で発酵させてもふくよかに膨れた。いざオーブンに入れ、今まさに焼き上がるのを待っている所である。部屋の中に冬の匂いが立ち込めている。
 




※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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