*35 アーティザンシップ
故郷の味と郷土料理とでは同じ地点を指していたとしても思い当たる物に違いが出る。私の生まれた信州の郷土料理と言えば例として蕎麦などがあるが、これがそのまま私にとっての故郷の味かと問われれば稍否定したい様な気持ちになる。無論、昔から蕎麦は身近である。小学生の頃には教室から畑へ場所を移し皆で蕎麦を栽培した事もあるし、父に蕎麦の打ち方を教わった事もある。今年に入って遠方から尋ねて来てくれた友人を連れて、折角長野に来たからと信州蕎麦の美味い店にも行った。紛れもない郷土料理である。然し乍ら一度故郷の味と言う句にすり替えようとするとなかなか容易く結び付いてはくれなかった。
それでは私にとって故郷の味と呼べる物に何があるかと言えば一つは祖母の作る味噌入りの団子である。おやきというのが郷土料理として有名であるが、それと似て非なる、加之祖母が作るより他に見た事さえない食べ物で、それを私は好んで食べた記憶があるから故郷の味である。ところが今度はこの味噌の団子が郷土料理という語とは容易に馴染まない。偏にこの違いは、故郷や郷土にあたる地を見る者の視点が、個人的か大衆的かというところに生まれるんだろうと考えた。
ドイツの菓子と言えば何があるかと問われた時、多くの人はバウムクーヘンを思い浮かべるだろう。もう少し詳しい人はシュトレンやレープクーヘンと言ったクリスマス菓子を思い浮かべる筈である。然し私が同じ事を問われた時、シュトレンは思い浮かんでもバウムクーヘンは思い付かない。いや厳密に言えば、思い付いたとしても後へ後へと回してそれよりも身近な他の菓子を先に挙げようとするからである。ザルツヴェーデルというドイツの町が発祥だとされるバウムクーヘンは、その名前もドイツ語のまま残っている事からも、ドイツを代表する菓子、いわば郷土料理としての看板を優に張れるほどの代物である。然しドイツで生活してみると然して身近な物ではない事が分かる。即ち、ドイツを第三の故郷と考える私にとって、矢張りバウムクーヘンも故郷の味という句とは結び付かないのである。
日本で、或いは今私がカフェ営業をするにあたって、ドイツ菓子として売り出すのであればバウムクーヘンを並べるのが最も効率的である。作るのに専門的な設備が必要になる事は後で考えるとして、ドイツ菓子、もといドイツの郷土料理としての名声十分なバウムクーヘンは客の立場に立って考えても頗る解り易く手を伸ばしやすい。然し私が提供したいドイツの味は所謂故郷の味と呼べる、より実際的で家庭的で身近なドイツ菓子の方である。或いはドイツに溶け込んで生活していた私はより身近な味を提供しなければ意味がないとさえ思う。
そう考える中でどうしてもドイツの故郷の味を再現するにあたって使用したかったのがポピーシード、所謂芥子の実であった。日本のパン屋ではあんぱんの頭に付けられる程度の副材であるが、ドイツでは食事パンにも菓子にも頻く使われる、いわば極一般的な材料である。それを私は到頭取り寄せると念願のフィリングを作った。
ポピーシードは大変体に良い。パンが主食の中心にある文化圏では、ポピーシードをはじめ数多の種実雑穀がパンに用いられるわけであるが、そこに食事と健康の意識も垣間見える。無論、体に良いばかりでなく味も良い。カイザーゼンメルの表面に付けられただけでも焼かれたポピーシードの風味が心地良いし、甘くフィリングにすれば特有の味わいがさらに楽しめる。
この味についてであるが、渡独当初の私の口には合わなかった。特有の味わい、と表現したが餡子や生クリームの甘味に慣れていた舌と鼻には斬新過ぎたのだろう。それから何年と経ち、ドイツの生活に慣れるに従ってポピーシードのフィリングが美味しく感じられるようになった。その過程があってこそ、今の私にとって故郷の味とさえ言えるのだろうと思う。何時しかシュトレンもケーキもポピーシードのフィリングを使ったものを好んで選ぶ様になっていた。
斯くして久しぶりに味わったフィリングは私の胸の内にドイツの風を呼び起こした。カイザーシュマーレンやクグロフでは甦らなかった、より解像度の高い日常的な記憶が湧き上がった。日本に来てから生クリームやチョコレートのケーキも食べた。漉し餡の桜餅も道明寺も食べた。黄粉と黒蜜の団子も食べた。栗の産地の栗金団もモンブランも食べた。幾種類もの甘味を食べ、懐かしい美味しさを味わって来たが、そのどれとも異なるポピーシードの独特な甘味は、読んで独特の字の如く、独逸特有の大自然的な甘さがあった。極日常的な懐かしさがあった。
それからマジパンのフィリングも試作した。マジパンも私の場合ドイツに渡ってから知った味であるから懐かしい。その上ドイツで初めて働いたパン屋ではマジパンフィリングを使ったシュネッケを休憩時に好んで食べていた。それを思い出して、食べたくなった。
ポピーシードとマジパン、二種類のフィリングを作った私は、何れもクロワッサン生地と合わせてシュネッケにした。一旦は試作であるから、日本で売る場合に適した大きさなどを確かめるを目的においていたが、言わずもがな味の確認、もといあの日食べていた懐かしの味が再現出来ているかどうかの確認も当然目的であった。
焼き上がったモーンシュネッケを一口齧る。まさに故郷の味たる懐かしさが全身を駆け巡った。それと同時にポピーシードのフィリングを使ったその他のドイツ菓子が次々と頭に浮かんだ。中でも最も手に取りやすかろうという見立てでモーンシュネッケの試作をしたわけであるが、追ってケーキやシュトゥルーデルやシュトレンにも着手していきたくなった。問題があるとすれば価格である。ドイツでいた時に入手出来たポピーシードの三倍は優にした。
そうして迎えた土曜日。カフェ営業にあたって二種類のシュネッケも用意した。先週の内に試作したキャロットケーキも上手く焼けてそれも携えた。何れの菓子も我ながら上等な出来栄えであった。実際パン職人としては納得のいく物が焼けたらそれで仕事は御仕舞である。そこからは給仕と販売と広報の私の仕事である。
折角新しいドイツの味を用意したこの日の客入りは比較的少なかった。そういう点でのみ言えば残念な結果であるが、かと言ってたかだか六度目の営業日である。これまでに大変賑わった営業日もあったし、この日は里の小学校で運動会も行われていたのを見掛けていたから、総体的に見ればまあ然して焦るほどの事でもなかった。
そればかりか訪れてくれた御客の中には、キャロットケーキを大変気に入ってくれた人もいたし、手土産にと沢山パンを買って行ってくれた人もいた。「良い所を見付けたわ。土曜日に来れば御兄ちゃんがいてパンがあるのね」「これはいっぱい宣伝しなくちゃ」という風に言って下さる人もあった。実際、現状の私にとってはその日毎の売上よりもこうした反応や知って貰う事の方が重要である。況してや客入りを増やし売上を出す為にコンセプトを根こそぎ無下にする様な小手先の梃入れは言語道断で、時に効果的であるを前提にしても現状打つ手では全くない。人にはどう映るんだか知らぬが、私はまだ落ち着いて静観し冷静に情報を集めている最中である。
それからこの日、ローカル放送局の職員が私の元を訪れて来た。事前に連絡を戴いていた通り、今後の情報番組出演の単簡な説明と依頼であった。私は一通り説明を聞いた上で、面白そうですと依頼を引き受けた。職員も勘違いしていたがここで言う「面白そう」とは番組内容や放送局を選り好んだという事ではなく、私の生きてきた先で、私個人に注目した出演依頼が訪れた事が面白そうなのである。名前が売れる、アピールが出来ると言った下らない思惑ではなく、単純に新しい経験が出来ればそれで十分面白いと言うのに、世は全く無責任で薄ッ平い能書ばかりが充満していて息苦しい。近頃はすっかり呼吸困難である。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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