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*9 マイスター

 ファッシ※1ング休暇で学校が休みになった今週、二人の見習い生が揃って有給休暇に入った代わりに彼らと同世代の少年が一人職場体験インターンシップをしにベッカライ・クラインに来た。今通う学校を卒業した後に就く職業訓練先としての下見のつもりらしかったが、聞けば彼の家もパン屋を構えていると言った。初めてプレッツェルを作ったのは三歳の時だと答えるくらい家業を手伝いパンに触れて来たという彼であったが、親の元ではなく余所よそのパン屋で職業訓練をするんだと考えるあたりパン職人という職柄に対する興味関心の強さが伺えた。何でも昨年にはミュンヘンの私も良く知る大きいパン屋にも職場体験をしに行ったと言ったが、若干十五歳で地元から離れた大きい街へ出て、その上一週間の職場体験の間の寝泊まりする部屋を自ら電話で直談判して住まわして貰っていたと言うんだから大した者である。二人で休憩を取っていた時などは彼が二年前にパリに行ったと言う話をしてくれたのであるが、てっきり家族旅行の話かと思って聞いていれば当時十四歳の彼と十八歳の兄の二人だけで行ったと言うから驚いた。自信家の様でありながら決して傲慢というわけでも無く、外国人の覚束ない説明にも真摯に耳を傾け、また大変慇懃いんぎんであった。そして何よりパンそのものや仕事や工房に対して積極的で素直な知的好奇心が実に気持ち良かった。
 
 パンの国ドイツでパン職人にならんとこうも嬉々として意気込む十六歳を目の当たりにして、そう言えば近頃寿司の国日本では寿司屋でなんだかよくわからない行動に一生懸命な若者が幾つも在ったなと思い出した。どちらも同世代であろう。事の一側面のみを見て物事を捌く権限も、飲食店の対抗策を練る資格も外野に住む私に有る筈も無いから偉そうな事を言う積も無いが、ただ、外野から母国で起こったそれを眺めた時に私がどうしても無視する事が出来なかったのは、パン工房で真剣な彼も寿司屋で一生懸命な彼らもどちらも心の底から楽しそうな表情を浮かべていた、という悲しい共通点であった。
 
 一週間の職場体験の最終日、仕事を終え着替えを済ませた彼は私に「僕がここで職業訓練を始めるにしても、その頃には君はもう日本に帰っていて会えないと思うから、日本へ帰ってからの幸運を祈っているよ」と爽やかな笑顔で挨拶してくれた。こうした場合、伝えたい気持ちが先走ってしまって言葉が思う様に出て来ないという私が、それでも酷く下手糞なドイツ語で「君が充実した職業訓練を過ごせるように祈っているよ」という旨の事を伝えると、彼は私の間誤付まごつく言葉の最後の一句まで真面目に笑顔で聞いていて、それで私は彼を見送った。只々立派な青年であった。
 
 
 
 ここ数日只管ひたすらに揚げていたクラップフ※2ェンは、月曜と火曜のファッシングに際して山ほど揚げたのを最後に一先ずきりとなった。そう言えばクラップフェンを揚げて食べるより他にしてファッシングらしい事もしなかった。また思い返してみても町の中にファッシングらしい雰囲気があったようにも思われなかった。幾ら殆ど職場とアパートの往復ばかりの生活であるにしたって、職場が町の中心にあるんだからもう少しファッシングらしい賑やかりがあっても良さそうなものであったが、と今になって思う。唯一見掛けたファッシングの足跡と言えば、金曜日になって発見された、職場の外壁になされたカラースプレーによる落書きであった。幸いインクの様なスプレーで無かったからトミーと共に箒で掃ってそれなりに粗い汚れを落としたが、若チーフのマリアは大変肩を落とし憤った様子であった。
 
 
 二月に加わったこの製パンマイスターのトミーの存在感が工房の中で随分大きくなってきた。先に挙げた職場体験生の面倒も、矢張りトミーが主となって見ていた。工房での製造仕事もするが、それが粗方になると事務所にも入る。新商品の開発にも大変積極的に関わっている。これぞマイスター、という姿が彼の仕事ぶりに伺えた時、もう一人の製パンマイスターである私の微力さが浮き彫りになっている様な気が、不図した。ベッカライ・クラインに入る時に、マイスターとしてでは無くゲゼレ一職人として雇って下さいと自ら申し出たのは私であったから良いのであるが、突如としてマイスターを名乗るのも烏滸おこがましいような気持になった。とは言え何も彼への嫉妬心があるわけでも無ければ卑屈になっているというわけでも無いから安心して頂きたいのであるが、兎に角私の思うマイスター像と言うのを見事なまでに体現しているトミーが実際の二メートルの身長よりももっと大きく見えた。

 そんな事を考えている内に私は自分がドイツで働き始めたばかりの頃を思い出した。ドイツ語はおろか専門用語も分からない御荷物なアジア人を、執拗しつこいほどに構ってくれたぶっきらぼうな男がいた。その翌年の私の誕生日などには仕事終わり秘密裏ひみつりにビールを乾杯して祝ってくれたりもした。愛想こそ無く、また大変強引で執拗しつこく力任せで下品な冗談ばかり言うから一般的に厄介者に数えられる様な性質で、それでも私に良くしてくれていたその男も思えば事務所に入らない現場主義のマイスターであった。
 
 その後その職場に加わった、仕事熱心でパン作りへの情熱もありながら周囲からはことごとくはじかれていた陽気な男も、矢張りパソコンの前に座らないマイスターであった。私は、彼の放つ高難易度のバイエルン訛りも、彼に向けられる周囲の悪評すらも何処吹く風、この男を心から慕っていた。その職場ではその二人の他にもう二人のマイスターが居たが、彼らは殆ど事務仕事に比重の掛かったようなマイスターであった。どちらもマイスターには違いないのであるが、その二組の間には互いに敬遠し合う様な溝が深々とあった。
 
 
 金曜日の仕事を終え、最後に工房の床を掃除したモップを片づける為に二階の事務所へ入ると、奥の方からパソコンをカチカチとする音が聞こえたから、私は道具を片付けるついでにその音のする部屋の方を、わざとらしくノックをしてから覗いた。パソコンの前、椅子にパンパンに納まったトミーが一人黙々と作業をしていた。私が近付いて画面を覗き込むと、各製品のデータや価格計算を最新の情報に書き直しているんだと説明してくれた。そして少しの雑談をした後、良い週末をと声を掛けあって私は帰ったのであるが、何でもないその私とトミーの遣取やりとりと情景にかつての職場のマイスターの姿が重なり、その上で我々の間には溝の存在が認められなかった事もあり、なんとも感慨深い感じがした。不思議にも却って、作業の明確な違いが面前に突き出されたこの時の方が、私は私もマイスターであると言う自覚がふっと浮かんだ。
 
 
 
 然し気付けばファッシングが過ぎ去り、間も無く二月が終わる。一月はあれほど時間の進みが重たいと思っていた筈だのに、二月は瞬く間であったように思う。そんな事をアンドレに話すと、二月は一月よりも三日少ないからじゃないかと至極単純な答えが返って来たが、そういう事でもないんだと私は返事をしつつ、それでいて明確な理由には行き着けなかった。算盤そろばんやインターネットでは弾き出せない、それでいて確固たる実感が私にはあった。二月が終わり三月が始まると、間も無くして聖地巡礼の旅がある。あれほど先の話の様であった旅がもう目の前かと思うと、これと同様の速度で本帰国が迫って来ているのだと感覚云々ではなく認めねばならないと思った。然しまあ取り敢えずは一週間後に控えた旅、もとい冒険の準備も佳境である。飛行機や空港では何かしらのアクシデントが起こると言うイメージが植わり切ってしまっている頭で考えると、ドイツからアテネには行けたとしても、アテネからカイロ、何よりカイロから無事ドイツへ帰って来れるかどうかが心配でならない。そんな小心者である癖に大人しくしていられず自分で自分の不安を煽る様な行動を取りたくなるんだから厄介である。思えば旅に限らず割と今までの人生もそうだったのかも知れないが、兎に角そんな小心者であるから準備と言っても荷物や言語や計画プランではなく心の準備が何より大事であり、これが最も手を焼く準備なのである。
 
 



※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
※パン作りの様子などはYouTubeでご覧になれます。


(※1)ファッシング:カーニバル、謝肉祭のこと。コチラでも解説しています。
(※2)クラップフェン:ドイツのジャム入り揚げドーナツ。ベルリナーともいう。


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