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*10 ジャーニー

 地区の子供会だの社会に出てからの同窓会だのといった集会において、既に集合時間よりも随分早くから集まって一盛り上がりしている所へ少し後になって顔を出すのは皆の眼差しが一身に集中しそうで大変気が引けた。いっその事誰よりも早く会場に入って皆を待ち受ける立場にあった方が気は楽に持てるだろうとは考えたが、そうすると今度は誰も居ぬ所へ自分一人で入る事の心細さや果たして日や所を間違ってはいまいかという心配に襲われて結局落ち着かない。出来る事なら部屋に入り込む隙間風が室内の空気と混じって判別の出来なくなるが如く、誰彼の気付かぬ間に会場に忍び込み何食わぬ顔で歓談の一部に溶け込んでいたかったものである。兎角私は覚悟をしていない注目が我が身に降るのを昔から苦手としていた。
 
 
 三週間も職場を離れ、祖国で休暇を謳歌していた男には注目を浴びる資格が与えられるものと考えていた私は、そういう理由で職場へ出向くのが少し億劫に感ぜられた。その上さらに労働環境や人間関係に問題を抱えていたとするならば、屹度きっと私は東京の感染拡大を持ち出して濃厚接触者の疑いを言訳に一週間くらい家に籠りたがっていたかもしれないが、幸い私にそうした類の苦悩が無い事を、右手に提げた袋の中の幾つかの日本土産が代弁していた。
 
 三週間ぶりに職場の敷居を跨ぐと、ドイツパン特有の、或いはこのパン屋特有の香りが鼻から入って来て、実家に帰省した時の様な懐かしさがたちまち湧き上がると、さっき迄抱いていた筈の、我が身へ注がれるであろう注視への緊張は間も無く鎮静していった。
 
 
 
 工房に入るとシェフこそ作業しながらも笑顔で出迎えてくれたが、後のアンドレとルーカスは平生へいぜい通りであったから私は安堵して、三週間前と何も変わる事なく作業に取り掛かった。そうして隙間風の如く入り込むと、工房内に相変わらず充満した熱気に混じり合うどころか跳ね返されそうであった。再三苛まれていた工房の暑さであったが、この日不図、然程暑く感じていない自分に気が付いた。原因はすこぶる白明で、つい最近まで日本の記録的な猛暑の中に身を置いていたからに過ぎなかった。同僚に休暇中の話をした際、日本の暑さはまるで蒸気を入れたオーブンの中の様だったと冗談らしく伝えて彼らは笑っていたが、湿度も室温も高いパン工房の中に身を置きながらにして思い返した日本の暑さは、オーブンと言う表現は強ち大袈裟でも無かった様に思われて思わず身を震わせた。それだから工房の中で唯一私だけが暑さに平気な顔で仕事をしていた。
 
 そして次の日もまた次の日も飄々としていた私に、木曜日になるといよいよ暑さに辟易としたアンドレが「君、ちっとも汗を掻いていないがどうなっているんだ」と、仕事に手を抜いていやしまいかという嫌味すら含まずに言ってきた。私が「ここは涼しいから汗なんか出ないんだ」と冗句ジョークめいて答えると「なるほどそうか」と狐につままれた様に静かに返事をして、また手元のプレッツェル生地を長く伸ばしてくるりと空中で捻った。
 
 
 体の熱耐性の変化こそ見られたが、それ以外はまるで以前のままであった。私は一時帰国で日本に居る間、全くもってドイツ語に触れていなかった生皮者なまけものであったから、三週間ぶりの同僚とのコミュニケーションに一抹の不安を握っていたのであるが、それも口を開いたら存外すらすらと言葉が出て来たのには自分でも驚いた。暫く日本語ばかりを聞いていた筈の耳も難無く訛りのあるドイツ語を飲み込んでくれた。まあ八年もドイツに暮らしているんだから高々三週間の帰省でドイツ語を忘れてしまっていたんでは面目丸潰れである。時折ドイツ語が理解出来るという点について褒められる事があるが、例えば関東から関西に居を移して八年も住んだ人間が、関西弁を喋りお好み焼きで白飯を食って虎色の縦縞に歓声を上げる様に変わっていくのは極自然な事でありわざわざ取り立てて褒められる事もあるまい。それとおんなし事である。反対に言えばドイツ語が理解出来ると言ってもその程度だと思って頂いて差し支えない。

 私が持って来た煎餅とチョコレート菓子と人形焼きの中で最も好評であったのは塩味の煎餅であった。シルビアは土産をやった翌日に「どれも美味しかったわ。なかでも煎餅がとりわけ。」と話してくれた。彼女は人形焼きの餡子も美味しかったと言っていて、餡子がドイツ人の口に合うのかという点に関心があった私はその一言を聞いて一つ安堵した。アンドレは私が土産を持ち込んだ日の休憩時間に早速それらを食べた後、「この煎餅は塩気が美味い。映画を見ながら食べるのにちょうど良さそうだ。」と言ったので、日本だと多くの場合緑茶と合わせて食べられるんだと説明すると「コーラとは合うのか?」と聞いて来たので、やってみたらいいと投げやった。映画だのコーラだのポテトチップスに近い感覚で食ってるらしかったが、言われてみれば煎餅というカテゴリーの無い国で塩味の軽めの食感の煎餅を分別カテゴライズしようとするとスナック菓子という項目が妥当なのかと思うと興味深かった。今度機会があれば醤油味の堅めの煎餅も与えてみたいところである。
 
 
 そんな土産と一緒に私は日本から何冊も本を買い込んで持って来た。電子書籍が随分主流になりつつある現代でわざわざ荷物を重たくしてまで持って来る物好きもそうそうあるまい。幾ら電子媒体が流行しようとも紙媒体がやはり私には魅力的に映るだのという弁明はこの際どうでもいいのであるが、こうして本を買い漁る事が今回の一時帰国の影の目的であった。
 
 昨年マイスター学校に通い試験を受け、なんとか合格し晴れてマイスターを名乗れるようになった私であるが、全部で四つあった試験教科の内で最も手を焼いた、いやもっと正直に申せば四つの試験の内で唯一追試を経て合格となった経営学について不完全燃焼の念が、試験を終えた昨年末から頭の片隅に息いており、それから今年になってもずっと呼吸の度に酸素を吸って二酸化炭素に加えて一酸化炭素を吐く始末であったから、経営学に関する本を買い集めて自主的に補習をしようと予々かねがね考えていたのである。通信販売が随分主流になった現代でわざわざ日本に帰る機会を待っていたら打つべき鉄も冷めてしまうだろうと馬鹿にされてしまうかもしれないが、幾星霜いくせいそうじっと窯に火をくべ続けて時を待つ事さえ出来ない意志薄弱な私であれば、今頃とっくに平凡で幸福で孝行者である。そうして書物を絡げてドイツに戻って来た私は、山籠もりを敢行する者の如く、熱し続けておいた鉄をいよいよ打ち始めた。
 
 
 
 今年に入ってから私の性質と社会の常識との食い違いに気を狂わした事もあったが、いざ大気圏を突破してしまえば随分と頭も心も軽くなった。機体が揺れる時期を過ぎた今、期待溢れる道を踏み出したのである。御陰で書物を捲る手が震える事も無かった。日本で顔を合わせた友人達の中には今まさに大気圏の中に身を置いているであろう者も見受けられた。皆己の人生に真剣である。私も私に真剣である。物質的欲求が一般を大いに下回っていながら自己実現に固執する私は、仮令たとえズロ※1ーに笑われる事があっても自分が納得出来ていればそれで十分なのである。
 
 
 仕事から帰宅後直ぐにプランクだの縄跳びだの運動をするようにした。日本で肥やした体を軽くするという目的もあるが、机に向かう為の気合を生成する鞭の様な役割の方が主である。そうして力をみなぎらせた所で夜まで鉄を打つ。体に寄生している生獣なまけものに食われてはならない。
 
 


(※1)マズロー:アメリカの心理学者、A・マズロー。ここでは彼の提唱した欲求五段階説を引用している。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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