見出し画像

*17 隣の芝生に立つ鏡

 フィット・ヴィー・アイン・ターンシューと徐にフーバー先生が私に言ってきたのは月曜日の授業中だった。ちょうどその直前に調子はどうだと尋ねられていたので大凡そういった類の話だとは思ったのだが、この言葉を投げられた時の私はその意味どころか、殆ど何と言っているのかさえ掴めずに何度も聞き返していたので、何の事だかさっぱり理解出来ずにいる読者の方々もまあ安心して読み進めて戴きたい。それでクラスメートの一人が「ターンシューが何か分からないんだ」と言った事で教室中に笑いが起こってその一件は過ぎたのだが、内容を理解しきれていない私の頭の内には、その後休み時間になるまでその言葉がこびりついて残っていたので休憩に入るなりインターネットで調べると、健康的且つ活動的に快活であると言った意味の慣用句である事が判明した。

 こういった場面は無論何度となく繰り返して来たわけであるが、その度に機の利いた返答をぽんと返せない悔しさを味わって来た。私がその言葉を知っているか知らないかという問題以前に、芸無く聞き返す言葉しか口を突かなかったという事が面白くないのである。これは笑い者になって然るべき失態であり、いつか上手い返事を返して笑われるのではなく笑わせるという結末を虎視眈々と狙いながら、そうしてそんな抱負さえ無論これまで幾度となく繰り返してきたわけである。最早その為だけのこれまでのドイツ語学習と言っても強ち言い過ぎではない。

 そうして悔しがっていた矢先の水曜日の午前の授業で、またフーバー先生に調子はどうだと尋ねられた。これは借りを返すには絶好の機会であった。にも拘らず何だかはっきりしない返事をした私は、直後にその不注意に気付き、果たして私の頭は虎視眈々という言葉の意味さえも理解していないのかと不安になった。こんな事まで再三繰り返しているわけであるから、余程根気強い性分と見える。



 月曜日の半日で穀物、砂糖、蜂蜜、塩、卵について怒涛の進行速度で授業が行われたかと思えば、火曜の午後には穀物の品質試験の工程についてまで、ファリノグラフだのエクステンソグラフだのといった大凡研究室で飛び交うであろう言葉でもって立て続けに習ったので、夜な夜な行われる復習作業も先週同様か或いはそれ以上に渋滞した。一見すると製パン技術を習う我々に不要とも思われかねない内容であったが、粉の品質試験の工程まで心得てこそのマイスターかと、私の中では寧ろマイスターという資格の価値を上げる要因となった。



 二十四節気における穀雨の日というのは、その時期に降る春の雨が穀物の成長を助けるとされている所からその名前がついた様であるが、穀物について頭に詰め込まんと躍起になっていた二十日の火曜日が奇しくもその穀雨の日であった。またこの穀雨を境に陽射しが強まる傾向にあるとも言われている様で、私が勉学に励むべく約一ヶ月掛けて整えて来た生活や姿勢を畑と比喩するならば、十分に耕された土壌に春雨が潤いを与え、そこにさんさんと降り注ぐ太陽光の如き出来事が翌水曜日に起こった。


 この日マイスター試験の審査委員会の三名が、先生に引き連れられて授業中の私達を訪れた。そして先生が彼らを一通り紹介し、また彼らは試験を受けるうえでのアドバイスの様な話をして、それでまた皆出て行った。

 こうして顔見世が簡潔に済まされた後、一人ずつ会議室に呼ばれてはそこで各々が考えた試験用の飾りパンの説明をするという段取りになっていたのだが、事前に聞かされていたお陰で私にはこれが暫くの間気掛かりであった。


 授業が進んで行く一方で、名簿順の早い者から一人ずつ教室を出ていく。十二番目に順番を控える私は手元でアルファベットを書きながら、一人ずつまた帰ってくる者の表情を伺いつつ多少の憂いを心に宿していた。

 私の一つ前の順番の者が教室を出て行き、二つ前に行った者が教室に帰ってきた所で、私はこの日の為に各々準備するよう指示されていた飾りパンの完成図を描いた画用紙(※1)を手に立ち上がり教室を出た。内に宿していた憂いの炎がちらちらと揺れているのが分かった。


 何故これ程までに不安がっているのかと言えば、ドイツ語での質疑応答に対しても多少はあったのだが、一番は私の飾りパンに対する反応が怖かったのである。私の感性による独断で革鞄を模したデザインにしたので当然私の目には美しく映るのだが、ドイツに来てからの六年間で見て来た様々な飾りパンのスタンダードなスタイルとは明らかに違っているのである。その多くは、基盤となる生地の周りを額縁の如く編みパンで囲み、その中央にモチーフと文字を施した生地を並べるといった風で、全体を何かに見立てるというデザインが果たして受け入れられるのかという所に対する心配が大きかった。あらゆる場面で不変でクラシックなやり方を良しとするドイツの風潮もその不安を助長した。


 会議室からフーバー先生が顔を出し私を招き入れた。中に入ると薄暗い部屋の壁にプロジェクターで大きく私の飾りパンの写真が映し出されている。私は挨拶をして手に持っていた画用紙を手渡した。委員会の三人が集まってそのスケッチを見ている。するとその内の一人が「自分で描いたのか」と尋ねて来たので、そうだと答えるとまずその完成図に称賛が浴びせられた。自分に出来る事をやったまでだのに、それにしては身に余る称賛であった。

画像1

 それから続けてプロジェクターを眺めながら、説明や質疑応答に移った。散々憂いが心に宿っているだの炎が揺れているだのと言っておきながら、いざ人前に立って喋るとなると案外落ち着いてすらすらと話せてしまうものである。そうして和やかに受け答えをしていると、前述した通りの飾りパンのデザインに対する懸念が、委員会の彼らの手によってすっかり払い除けられた。ここでもまた称賛を戴いたのである。私の表情には素直に喜びと安堵の感情が浮かんでいたに違いない。その後、ドイツにはどれくらいいるのかといった素性に纏わる質問も幾らか受けた後で、退出許可の指示に従って軽快に会議室を後にした。


 これまで、この類の不安は何度もあった。自分の内側で温めている時は溢れる自信がありながら、いざ他人へ披露するとなった時になって自信の欠如が生じるのである。しかしこの出来事で、私は自分のアイデアに対して自信を持とうと決めた。自信を持つというよりも、他人の評価を恐れないと言った方が幾らか正確であるかもしれないが、兎に角可能性に対して自らの手で蓋をしてしまうのは愚行であると悟った私は、今度の誓いを過去に自ら葬って来たアイデアに対する弔いとする事にした。

 まさしく陽の光の如き彼らの言葉は、私の心の中に小さな芽を萌えさせた。


 それから今週は実習の授業が二回あった。週の前半には小型パン(※2)を作り、それから芽が萌した直後にあたる木曜日は一日を費やして六種類の菓子(※3)を作った。小型パンは触れるに値しない程無難に熟したのだが、問題は先週に引き続き菓子の方にあった。

 菓子作りとはそもそも慣れていない仕事であったのだが、宣言通り事前に予習をしてそれから臨んだので先生の説明も前に比べると幾らか滑らかに届いた。ところがいざ作業に移るとどうも思い通りにいかない。失敗という失敗をしているわけではなく、工程や準備がとても思惑通りにまともに進んでいないのである。そうすると尚更慌ててしまって、筋肉はいい加減に指先を動かし、脳味噌は司令塔でありながら邪念に支配される有様であった。

 作業に慣れていないからという理由で簡潔に言葉の上でのみ片付けて仕舞えばそれまでなのだが、どうも他に原因が潜む事を私はその晩に分析し解明した。それによると、作業中の私と言えば周囲の作業ペースであったり周囲の工程手順であったりに気を取られてばかりで、私の目はまるで我が指先を見ている様で見ていなかったのである。頭も同様に邪念雑念に占領され迫害を被った集中力の悲鳴が耳を劈くばかりで今考えるべき事柄が二の次三の次にされている始末であった。そうしていると、どんどんと流れていく時間の中で最早立ち往生しているのと同じ事であった。


 この分析を受けてそれまで落ち込んでいた私は、それでいて本番じゃなくて良かったと少々能天気ではあるが意識的に視線を前へ向ける事にした。元来気持ちの切り替えが下手糞な私は、経験上一度気持ちが沈むとそのまま暫く帰って来ない場合が殆どであったのだが、今はそうして従来の通りに沈んだ先の海底で綺麗な貝殻を見付けるまで水面に上がって来ないなどと悠長に言っていられる程の暇が無いのである。それなら半ば強制的でも楽観的過ぎても、視線を変える訓練をした方が有意義だ、と私は今まで苦手としてきた事をいとも容易に済ましてまた例の如く机に向かったのである。

 昨日土から顔を出したばかりの芽が、双葉を開いた様であった。




(※1)

画像2


(※2)

画像3


(※3)作った6種類の

画像4




始めから読みたくなった方はこちら
↓↓↓


画像5

⇧⇧⇧
挿絵ギャラリー(Instagram)
noteの挿絵の他、過去の練習作など掲載中



マイスター養成学校が始まり勉強に全身全霊を注ぎ込む積でいまして、それに伴い勝手ではありますが記事投稿の日曜日以外はなかなかnoteの方にも顔を出せなくなります。どうかご了承ください。

この度も「ドイツパン修行録」ならびに「頬杖ラヂオ」への訪問、ありがとうございました。もしよろしければサポートもよろしくお願い致します。 引き続きドイツパンに真摯に向き合って修行の道を精進して参りますので、何卒応援の程よろしくお願い申し上げます。また来てください!