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ドイツパン修行録~マイスター学校編~

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製パン経験の全く無かった元宮大工の男がパンの本場ドイツに渡り、国家資格である製パンマイスターを目指す物語のマイスター学校編。 田舎町に移り住み、通い始めたマイスター学校。真っ新な…
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#エッセイ

*8 夢を見るということ

 恋人が搭乗ゲートへ向かい、その背中を見送った瞬間から私達の九〇〇〇㎞に渡る遠距離恋愛が始まった。  フランクフルト(※1)は晴れていた。ミュンヘンの部屋からフランクフルトへ向かう道中で、スーツケースやボストンバックを携えた人をほとんど見掛けなかったので、このご時世、もはや後ろめたさを感じる様であったが、空港に近付くに連れそういった姿がぽつぽつと増えだすと少し安心した。それどころか、空港に入るとトルコ航空のチェックインカウンターには長蛇の列が出来ており、私の恋人同様祖国へ帰

*9 想い出を後にして

 フランクフルト空港から帰ってきた時は隙間だらけで私一人に対し空間を持て余していたアパートの部屋も、日に日にその規模を縮小していると見えて、相対的に自分を小さく見積もる事も少なくなってきた。  一人になると寂しいのは紛う事なき事実であるが、いつまでもおめおめとそんな事ばかり考えていても仕方がない。しかしここで言う寂しさとは、決して愛の欠損によるものに限った話ではなく、時間的余白の中で己に対する遣る瀬無さを感じている事をも指している。世間体を憚らずに言えば所謂ニートとなったの

*10 ニュー・スタート

 陽射しの割に肌寒い初春の候の下を行くにはやや軽過ぎた装いに、心持ち後悔の念を抱きつついた私は、重たい荷物を全身に絡げて乗り込んだ快速列車の中で、結局背中を汗で湿らせながら、六年暮らした街並を車窓から眺めていた。或いは、車窓から街を眺めていたと言うよりも、過ごした六年の記憶を窓に映して眺めていたと言った方が適当かも知れない。兎に角私は三月の一日にミュンヘン(※1)を去ったのである。  ミュンヘンで過ごす最後の日となったその日は朝から仕上げの片付けに追われていたにも拘らず、珍

*11 パンを求めて

 引っ越してからの日々は至極平坦な物である。しかし平単でありながら、一般という枠からはすっかりはみ出してしまっているように思われて、どことなく肩身が狭い様な気持ちがする。最新の流行を把握しているわけでもなければ、経済の動向を細かくチェックしているわけでもなく、いわば社会人であれば当然であるべき筈のルールを悉く疎かにしながら、それでも今日もこうして一丁前に営まれる生活という支川が、再度社会の激流とぶつかり合流する日を今か今かと待ち焦がれている者こそが私である。  そんな私が今

*12 不安な心は春風を待つ

 最も単簡な言葉で言い表すとすれば、先週末に焼いたパンは満足の出来であった。或いは、こんな可もなく不可もない無難な表現で言い表す外に、適当に装飾出来る言葉が見当たらない程至極平凡で、仮にも製パンに従事する者としては所詮最低点を上回った程度な当然の出来栄えであった。特別輝かしかったわけでもなければ、飛んでもなく酷かったわけでもないのである。  しかし私にとって大切だったのは結果よりも工程にあった。先だって自らを「製パンに従事する者」と謳った矢先であるが、肝心の製パン業から離れ

*23.5 結果報告と六月の回想

 ドイツに渡って初めの六ヶ月間語学学校でドイツ語を習い、その最後に満を持して当時の私にはまだまだ敷居の高かったB1レベル(※1)のドイツ語試験を受けたのだが、その際に、やるからには満点を目指す積だ、端から赤点基準さえ越えられれば良いという考えは理解が出来ないという意気込みを何の気無しに会話の流れで他人に話してみたところ、君は完璧主義でナルシストだねと評された事がある。成程、これを人はナルシストと呼ぶのかと、その聞き馴染みの無い表現に感心をしては目から鱗を零していたが、それで言

*23 身の程知らず

 私が一心不乱に勉強を進めていた間に、窓の外の景色はすっかり変わっていた。猫の目の如く忙しなかった天気は過ぎ去り、今度は三十度を越える太陽の光線でもって徹底的に我々を焼き付ける。オーブンや発酵室が稼働する工房の中ともなれば、さらに質の悪い暑さで身を内外から痛めつけてくるのであるが、そう言えば比較的からりとした暑さの夏ばかり経験しているここ数年の私が湿度の高い日本の猛暑の炎天下に放り出されたら、忽ち団扇代わりに白旗でもって暑さを凌ぎそうなものだと考えるに至った所で少々恐ろしくな

*21 四の五の言わず

 一を聞いて十を知るが如くある程度の事は察し良く熟せるという自負のある私であったが、事勉学となると、ましてや我が人生に直結した物ともなれば、ドイツ語で見聞きした物を察したのみで満足して進むわけにはいかず、学んだ事を慎重に頭の中に詰め込んで、それを今度は落とさないようにこれまた慎重に歩みを進めていると、かつて要領良く仕事をしていた私が嘘のように思われ、またいくら私の歩みが遅くなろうとも当時と等しい速度で過ぎていく時間に否応無く焦燥感を抱かされるのである。まったく一筋縄ではいかず

*20 拙を守る

 この身体に覚えた違和感だか不具合は、或いはとうに先週末から始まっていたのかもしれないと思ったのは、週も半ほどに差し掛かった頃であった。  この間の日曜日の朝の事である。目を覚ますと部屋の灯りが煌々と私の目を眩しがらせて、それで私は昨晩電気も消さずに眠りに落ちた事を悟った。ベッドの上でスマートフォンを手に持っていた所までは記憶しているのだが、さてそろそろ寝るかという意識の起こる前に眠りに落ちたと見られる。  こんな不養生は久しぶりだ、と己の行動を省みた矢先の事であった。日

*19 生命の源たる

 私が今住むこの街は、寂れた田舎町と形容するのが最も相応しい平凡な街である。華やぐ繁華街も無ければ自然が豊かなわけでもない。教会も別段大きく聳え立つわけでもなければ、特筆すべき名物があるわけでもない。事に私は外国人と言えどミュンヘンという大都市から越して来た身であるから、両者のコントラストが否応無しに目に付くわけであるが、それでいて不自由を全く感じない程に今の私の暮らしは慎ましいものである。  世の中ではアウト・ドアが流行しているようであるが、私はイン・ドアを通り越してフロ

*18 ドイツパンの心臓に触れて

 虫の角と書いて触ると読んでみたり、日と月を並べて明るいと形容してみたり大昔の人の好奇心や感性には目を見張るものがある。尚且つそれが人々に共感を齎したんだか何だか今まで受け継がれてきている事実も、疑いの念が湧く程想像の追いつかないスケールの物語である。  また紀元前四千年のエジプトで穀物を石で擂り潰してそれを水と混ぜて粥状にし、それを熱した石で焼いたのがパンの始まりと言われているのだが、それで余っていた粥が自然と発酵してそれも焼いて食ってみたら酸っぱくて美味かったのがドイツ

*17 隣の芝生に立つ鏡

 フィット・ヴィー・アイン・ターンシューと徐にフーバー先生が私に言ってきたのは月曜日の授業中だった。ちょうどその直前に調子はどうだと尋ねられていたので大凡そういった類の話だとは思ったのだが、この言葉を投げられた時の私はその意味どころか、殆ど何と言っているのかさえ掴めずに何度も聞き返していたので、何の事だかさっぱり理解出来ずにいる読者の方々もまあ安心して読み進めて戴きたい。それでクラスメートの一人が「ターンシューが何か分からないんだ」と言った事で教室中に笑いが起こってその一件は

*14 パン職人への第一歩

 下宿先に新しい同居人が入った。名をトーマスと言った。月曜日の事である。  私は簡単に挨拶を済まし、共用のキッチンやトイレなどを説明して回ると、リビングに戻って来た時に彼が急に何か飲む物を要るかと聞いて来たので、要ると言うと自分の部屋に戻り瓶のジュースを持って戻ってくるなり、私をソファーに座るように促しそれから二人で三十分程、自己紹介がてら会話をした。これが彼との出会いである。感じの良い男であった。翌日に控えた学校を前に、彼も私と同じように心を強張らせていたらしく、君と知り合

*13 学びて時にこれを習う、悦ばしからずや

 占星術と言う学問に置いて春分の日と言うのは、どうも宇宙元旦などと呼ばれる一つ特別な節目であるらしかったのだが、そんな日の翌日に、私は六年前に知り合ってぎりで殆んど疎遠であった友人とビデオ通話で久しぶりに再会し話をした。これが私にとって途轍もなく励みになり、また春分が元旦だとするならば実に幸先良く新年を歩き出す運びとなったのである。  五年ぶりに言葉を交わすきっかけになったのはインスタグラムであった。今月に入り、居も改め、いよいよ腰を据えたが時間ばかりあった為に、私は仕事も