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*20 拙を守る

 この身体に覚えた違和感だか不具合は、或いはとうに先週末から始まっていたのかもしれないと思ったのは、週も半ほどに差し掛かった頃であった。


 この間の日曜日の朝の事である。目を覚ますと部屋の灯りが煌々と私の目を眩しがらせて、それで私は昨晩電気も消さずに眠りに落ちた事を悟った。ベッドの上でスマートフォンを手に持っていた所までは記憶しているのだが、さてそろそろ寝るかという意識の起こる前に眠りに落ちたと見られる。

 こんな不養生は久しぶりだ、と己の行動を省みた矢先の事であった。日曜の晩にも全く同じ要領で部屋の電灯に眠らされ、また月曜の朝には全く同じ要領で電灯に起こされたのである。

 普段から眠る間際のルーティーンを持つでも無い私であるが、それでいてしかし睡魔を適当に放っておいて意識をそれに委ねたまま悠々自適に睡眠までの時間を過ごすような性質でもなく、便所に行き電気を消してから眠るくらいの支度は意識と無関係の所で成り立っていた。それだのに滅多にこの身に起こらない寝落ちという事象が二晩続けて起こったのでどうも妙な気配がしていた。


 その月曜日、授業を終え帰宅した私は、外が頗る良い天気でありながら不明瞭たる気怠さを覚えていた。本来であれば、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す生き物でありながら、光合成という言葉を用いらずにいられない程太陽光を愛している私であったが、この時ばかりは太陽光を吸っても浴びてもどうにも体が重たかった。

 それでもジョギングに出掛けたら気分は入れ替わるだろうと外へ飛び出して汗を流すなり帰ってきたのだが、常にも似ない体調は依然として体内にどんよりとした雲を蔓延らせているままであった。通常の私であればこんな状況など強行突破し、いつもの通りに勉強に取り掛かる所である。ドイツに来てからというもの、語学学校に通っていた頃も職業訓練に勤しんでいた時分も例によってそうして来た。これがしかし決して見上げられたものでは無いという事を未熟な私はまだ知らずにいたのである。

 とは言え今はこれまで以上に体が資本であり、代役のいない状況で丈夫な体無しには勉強も試験も無いのである。ついぞ大事に至り無気力状態になってしまったとしたら、計り知れない後悔に身を飲まれるという未来予想を眺め、いよいよ私は克己心や向学心をさて置いたなり、その日は必要以上に勉強せず早めにベッドに横たわる決心をした。眠る前に鏡を覗くと顔に見慣れない出来物を見付けた。また口の中では口内炎が暴れたりもしていた。気怠さを始めこれだけ一度に体に異変を感じた私は、真暗な部屋できちんと眠る支度をして眠る事が何より大事だと自らに言い聞かせたのである。

 翌朝の目覚めは確かに軽やかであった。それで復活したと思って学校に行き、一日中過ごした後の帰り道の足取りや頭は、結局前日にも増して重たかったのである。その日はいよいよジョギングにも出掛けなかった。そして迎えた水曜日であったが、果たして同じように優れぬ体調のまま一日を過ごした。帰宅後は心身の疲弊を誤魔化す事も無視する事も出来ずに、全く無気力な体を分厚い暗雲に預けると、寄り掛かった体はその雲をすり抜けすっかり奈落の底まで落ちて行ってしまった。幸いにも木曜日が祝日であった為に今週はそれぎり学校に行く事は無かった。



 この不調の引き金となった、或いは助長した出来事は実に明確であった。めそめそとした情けない文章を書き綴るのは少々憚られるが、これも偽りなき事実であるから仕様が無い。それはこうであった。

 今週の三日間、授業ではクリームやスポンジ生地などを取り扱って幾種類かのケーキを作ったのであるが、私にとってこの分野は殆ど触れ合う事の無かった分野であった為に人一倍先生の手本を凝視し、説明を傾聴していた。それでも説明が終わりいざ解き放たれると、手本で見た様にはスムーズにいかず胸の内でおろおろとしている私がいた。周囲のクラスメートは経験があるのかそれぞれ勝手に躊躇う事無く作業を行っていき、その脇でクリームの掻き混ぜ塩梅、味わいのアイデア、状況に対する瞬発力、ナッペ(※1)のぎこちなさ等々挙げれば切りが無い程の課題に四苦八苦している私がいた。

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 それでも何とか形にはなったのだが決して良い出来とは言えず(※2)、しかしこの初めての経験を冷静に分析し、初めてなんだから仕様が無いと割り切れたのならまだ良かったのであるが、生憎この時の私はそうも落ち着いて自身を励ませる程丈夫な心ではなくなっていた。

 それでもこの経験は学校に通い始めてから一度すぐに味わっている。今更改めて新鮮に苦しむ必要も無い筈の私であったが、その教訓を胸に自分の手元にのみ集中しているつもりでいながら、脳内では周囲から、また自分で自らに掛ける圧力と、冷静に自我を保とうと試みる集中力とが鬩ぎ合い、そうしてその狭間で生まれた衝突のエネルギーが旋毛を突き抜けて、その熱に汗を蒸気機関車の如く噴き出していたのである。その衝撃波が今度は体の内側心臓までも震わせ、ただでさえ不安定な心をこれでもかと揺さぶるのであった。

 そればかりかこの時我が身に降り掛かった自信の喪失はあらゆる方面に心配事を飛び火させていった。実際に試験でケーキを作る事への不安に始まり、その実技試験の為のあらゆる準備に取り掛かるのが遅いのではないかという焦燥感や、筆記試験の為に頭に詰め込むべき情報の進行状況に対する漠然とした懸念、はたまた試験よりずっと先の数カ月後に住居や仕事を探さなければならない事への憂慮までが一時に私の脳内で騒ぎ始めたのである。思い付く限りの不安材料が無秩序に降り注ぎ、忽ち私の気を弱らせていったのである。

 改めて私は自らの精神的脆弱さと正対した。心がこうして暗闇に漬け込まれるのもこれまでの人生で何もこれが初めてではないのだが、それでいて未だに予防策というものを施せずにいたのである。また対策すらも曖昧模糊たるままであった。しかし電気を消し忘れて眠り込んでしまう不摂生を二晩も続けた週の始めから、すでに奇々怪々たる違和感を覚えるに至っていた私は、これも何かの因果である筈と信じ、今週は気の済むまで体を休めるという決心をした。机から一度離れるという決断に、私は甚大たる覚悟を必要とした。

 それで私は水曜の夜にどうにかこうにかしてその暗雲を払拭しようと、苦手である箆棒に辛い食べ物を我武者羅に頬張ったり、いつもと反対向きにベッドの上に横たわって眠ったりしてみた。そして木曜日に目覚めると、一先ず今頭の中に渦巻く要素を一つ一つ紙に書き出し、兎に角頭を軽くする事に努めた。昼過ぎからは遮光性の優れたブラインドを降ろして国交断絶の姿勢を指し示し世界から自分を隔離すると、既に聴き飽きる程聴いていながら未だに私の心に寄り添うただうるさい歌を部屋に満たし、その中に溶けるようにどろどろと過ごした。

 夕方六時を迎えると空腹を感じたので、暗闇に寝そべっていた体を起こして部屋の戸を開くと自然光が漆黒と音楽で充満した部屋の中に入り込みそれらを飲み込んだ。夕飯を作りにキッチンへ向かう体は昨日までの重たさを有していない。更に飯を食べ終えると、すっかり復調したように快活さを覚えた。


 斯くして私はその晩には机に向かい計算問題の復習に取り掛かった。慣れない作業による自信の喪失の根底に、知らず知らずのうちに蓄積された約一ヶ月分の疲労の黒い影を見た私は、無理はしないようにという忠告を受けておきながら、また自分自身では決して無理をしている積の無いままに蓄えた疲労の正体を知り、またそれにより我が身に引き起る大災害を目の当たりにし、無理をしている自覚が無いという事こそ問題ではあるが、とは言え経験から意識の上で注意をしながら生活するのとそうでないのとでは違うだろうと思った。



 雨が降る予報の出ていた金曜日の空はまるで私の改革を祝うが如く晴れ渡っていた。その陽の下をホームセンターに向かいずんずん歩く私の足取りと、週の前半の下校時の足取りとは雲泥の差ほど違った。そして週末にはパンを試作しようという前向きな活力さえ起こっていた。

 陽が沈めば夜が訪れ、夜が明ければ陽が昇る。陽が沈めば人は休み、陽が昇れば歩き出す。畢竟それと言うのは天体の動きのみならず、人の胸の内に広がる空模様にも同様であり、抗う事の出来ない自然の摂理であるのかもしれないと思った私は、薄っすらと東の空を明るませる日に照らされながら寝間着を脱ぎ捨てた。




(※1)ナッペ:ケーキなどにクリームを塗っていく作業。
(※2)形にはなったのだが決して良い出来とは言えず:

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マイスター養成学校が始まり勉強に全身全霊を注ぎ込む積でいまして、それに伴い勝手ではありますが記事投稿の日曜日以外はなかなかnoteの方にも顔を出せなくなります。どうかご了承ください。

また今回のタイトル「拙を守る」ですが、日々心の支えとしています敬愛する文豪の言葉を烏滸がましくも満を持して引用させて戴いた所存です。


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