マガジンのカバー画像

ドイツパン修行録~マイスター学校編~

42
製パン経験の全く無かった元宮大工の男がパンの本場ドイツに渡り、国家資格である製パンマイスターを目指す物語のマイスター学校編。 田舎町に移り住み、通い始めたマイスター学校。真っ新な…
運営しているクリエイター

#絵

*1 年末年始とパン職人

 どうして日本人はクリスマスにケンタッキーを食べるんだ、という質問がシモンから投げ掛けられてくると、これがクリスマスシーズンを迎えた合図である。五十手前の彼は仕事以外の時間を全て雑誌やらテレビやらに費やしているんだか、スマートフォンが苦手なわりに物知りな男である。日本人がケンタッキーをクリスマスに食うという話も雑誌だかテレビだかで特集されていたようで、5年前にその真偽を問われて以来、毎年恒例にその疑問が彼の中で込み上げてくるのだろう。5年も続けばもはや飽きを越えて冬の風物詩で

*2 パン工房の外で

 コロナウイルスの勢いが留まるところを知らない。週中にいよいよ緊急事態宣言が出されるというニュースが流れたかと思えば、その前日には過去最多の六〇〇〇人もの新規感染者が日本全国で見られたというニュースも入ってきた。  水際対策の強化や二月に予定されているワクチン接種などの尽力を伺える朗報も見られるが、自粛要請に応じない飲食店は店名を公表するというイジメ紛いの手段を恥ずかしげもなく発表してみたり、未だにオリンピック開催へ目を爛々とさせている官僚がいたりと、どうしても拭えない不安と

*3 酸いも甘いも

 すっかり雪に覆われたミュンヘンになおこれでもかと吹き荒れる細かい吹雪の中を、人通りの少なそうな真っさらな道に足跡をつけながら私は保険会社を目指して突き進んでいた。雪を踏んだ時のくっくっと鳴る音に地元の雪国を駆けた幼少期を思い出し、まるで真逆の状況に生きる現在と照らし合わせ何故か親のような心持ちになった。  予約をしていなければ入れない保険会社の入り口には鍵が掛けられていた。ガラス扉にベタベタと貼られた注意書きに一通り目を通した後、呼び鈴のボタンを押した。ドイツに来たばかり

*4 ドイツのパン屋

 いよいよ着用するマスクの種類まで指定されてしまったミュンヘンは、そのロックダウン期間を二月まで延長するという発表が出され、またも予定を変更する必要が出てきてしまった事に私は意気の消沈を隠せずにいる。辛うじて二月末まで住まわせて欲しいという私の懇願を大家が呑んでくれたお陰で住処は確保出来たものの、果たして三月になれば新しい下宿先が空いて予定通りに居を移せるかどうかは神でさえ知る由もないだろう。  それでも私は今日も夜中の十一時に目を覚まし仕事へ向かう為の支度をする。この有為

*6 天使の拍手が鳴るかのように

 始業の定時である深夜一時よりも十分程早く工房に入り、すでに仕事に掛かっている数人の同僚に挨拶をしながら自分の持ち場である巨大なデッキオーブンの前まで足を運び、オーブンに窯入れや窯出し用に備え付けられた機械を操作する為のコンピューターの電源を入れ、冷蔵室で丸一日時間をかけてゆっくりと発酵を進められたバゲット生地が並べられている天板でいっぱいのキャスター付きラックを引っ張り出し、ナイフでクープを入れ窯入れする。それを皮切りに、その日中に出荷されるべき五種類のブロート(※1)を順

*8 夢を見るということ

 恋人が搭乗ゲートへ向かい、その背中を見送った瞬間から私達の九〇〇〇㎞に渡る遠距離恋愛が始まった。  フランクフルト(※1)は晴れていた。ミュンヘンの部屋からフランクフルトへ向かう道中で、スーツケースやボストンバックを携えた人をほとんど見掛けなかったので、このご時世、もはや後ろめたさを感じる様であったが、空港に近付くに連れそういった姿がぽつぽつと増えだすと少し安心した。それどころか、空港に入るとトルコ航空のチェックインカウンターには長蛇の列が出来ており、私の恋人同様祖国へ帰

*9 想い出を後にして

 フランクフルト空港から帰ってきた時は隙間だらけで私一人に対し空間を持て余していたアパートの部屋も、日に日にその規模を縮小していると見えて、相対的に自分を小さく見積もる事も少なくなってきた。  一人になると寂しいのは紛う事なき事実であるが、いつまでもおめおめとそんな事ばかり考えていても仕方がない。しかしここで言う寂しさとは、決して愛の欠損によるものに限った話ではなく、時間的余白の中で己に対する遣る瀬無さを感じている事をも指している。世間体を憚らずに言えば所謂ニートとなったの

*10 ニュー・スタート

 陽射しの割に肌寒い初春の候の下を行くにはやや軽過ぎた装いに、心持ち後悔の念を抱きつついた私は、重たい荷物を全身に絡げて乗り込んだ快速列車の中で、結局背中を汗で湿らせながら、六年暮らした街並を車窓から眺めていた。或いは、車窓から街を眺めていたと言うよりも、過ごした六年の記憶を窓に映して眺めていたと言った方が適当かも知れない。兎に角私は三月の一日にミュンヘン(※1)を去ったのである。  ミュンヘンで過ごす最後の日となったその日は朝から仕上げの片付けに追われていたにも拘らず、珍

*11 パンを求めて

 引っ越してからの日々は至極平坦な物である。しかし平単でありながら、一般という枠からはすっかりはみ出してしまっているように思われて、どことなく肩身が狭い様な気持ちがする。最新の流行を把握しているわけでもなければ、経済の動向を細かくチェックしているわけでもなく、いわば社会人であれば当然であるべき筈のルールを悉く疎かにしながら、それでも今日もこうして一丁前に営まれる生活という支川が、再度社会の激流とぶつかり合流する日を今か今かと待ち焦がれている者こそが私である。  そんな私が今

*12 不安な心は春風を待つ

 最も単簡な言葉で言い表すとすれば、先週末に焼いたパンは満足の出来であった。或いは、こんな可もなく不可もない無難な表現で言い表す外に、適当に装飾出来る言葉が見当たらない程至極平凡で、仮にも製パンに従事する者としては所詮最低点を上回った程度な当然の出来栄えであった。特別輝かしかったわけでもなければ、飛んでもなく酷かったわけでもないのである。  しかし私にとって大切だったのは結果よりも工程にあった。先だって自らを「製パンに従事する者」と謳った矢先であるが、肝心の製パン業から離れ

*25 カササギをただ待つよりも

 七夕という風物を意識して過ごしたのは何年ぶりだっただろうか。思い返そうと記憶に飛び込んで連想を試みても、ジョバンニとカムパネルラが天の川を旅するばかり(※1)で七夕の記憶は保育園生だった頃まで遡る必要がありそうであった。かと言って今週の七夕も果たしてどういう因果で思い起こされたのかまるで分からない。短冊を書くでも吊るすでもない私は、試験の後からの雇用を乞うメールや事務的な堅いメールを二三書く必要があったので、それを七夕の日に、余り面倒な未来を引き起こしてくれるなと願を掛けイ

*18 ドイツパンの心臓に触れて

 虫の角と書いて触ると読んでみたり、日と月を並べて明るいと形容してみたり大昔の人の好奇心や感性には目を見張るものがある。尚且つそれが人々に共感を齎したんだか何だか今まで受け継がれてきている事実も、疑いの念が湧く程想像の追いつかないスケールの物語である。  また紀元前四千年のエジプトで穀物を石で擂り潰してそれを水と混ぜて粥状にし、それを熱した石で焼いたのがパンの始まりと言われているのだが、それで余っていた粥が自然と発酵してそれも焼いて食ってみたら酸っぱくて美味かったのがドイツ

*16 オーブンが無いとパンに成らない

 このシュトラウビングと言う街に越して来てからというもの、矢鱈と忙しない天気が目立つ。それも日毎に空の表情が変わるというのとはわけが違って、十分前に吹雪いていた景色が今はもうさっぱり晴れていたりするという様なのを一日中繰り返して、三寒四温を二十四時間の内に凝縮したが如くに晴れたり雨たり雪たりするのである。毎日では無いにしても既に頻繁である。それだから学校からの帰路で晴れていたと思っても、トレーニングを済まし、いざジョギングへと外に出ると、私を小馬鹿にする様に雨やら雪やらが舞っ

*15 馬に乗るまでは牛に乗る

 四月に入ると冬の影もすっかり無くなり、外を走る際の身支度にも衣替えを施し、また走っていると其処彼処で車のタイヤが交換されているのを見掛ける様にぽかぽかとした日が続き、この街もすっかり春の訪れを両の手に迎え入れたと思ったところに雪が降った。朝起きてキッチンにミルクを取りに行くと、窓の外の景色がすっかり薄らと白んでいたので、普段は天気に殆ど無関心な私もこれには驚いた。それで学校に行き更衣室で二人きりになったクラスメートにまた冬に戻ったねと話し掛けると、それを最後に先生からも生徒