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*1 年末年始とパン職人

 どうして日本人はクリスマスにケンタッキーを食べるんだ、という質問がシモンから投げ掛けられてくると、これがクリスマスシーズンを迎えた合図である。五十手前の彼は仕事以外の時間を全て雑誌やらテレビやらに費やしているんだか、スマートフォンが苦手なわりに物知りな男である。日本人がケンタッキーをクリスマスに食うという話も雑誌だかテレビだかで特集されていたようで、5年前にその真偽を問われて以来、毎年恒例にその疑問が彼の中で込み上げてくるのだろう。5年も続けばもはや飽きを越えて冬の風物詩である。

 例によって今年もその質問が飛んできた。私も心に幼稚な部分がある故、そう解ったように問われると咄嗟に否定したくなるという癖が、これもまた5年続いている。要するに、ブラジル人は皆サッカーが上手い、という先入観が生む雑な認識と同じく、国の名のもとに十把一絡げにされているように感じて、そこに我の反発が生まれるのである。

 しかしそこで冷静に過去のクリスマスを思い返してみると、私も漏れなくケンタッキーを食べているのである。あるいは少なくとも、ケンタッキーを食べたがっているのである。そうして反論の余地を自ら見失った私の返答は「テレビの広告で宣伝されているから」という説明に落ち着くのである。彼はその期に及んでまだ納得のいかない表情で持論を呟きながら自分の仕事に戻る。


 ドイツと日本のクリスマスは全くの別物と言っても決して過言ではない。どうしてもキリスト教がクリスマスの歴史的土台を作っている以上、ドイツのクリスマスが本物で日本のクリスマスが模倣と言われても止む無しではあるが、全くの別物だと言ってしまえば、勝敗も優劣も不要である。仮に江戸幕府がペリーさえも門前払いし鎖国を続けて今日に至るとしたら、さらにシモンの知的好奇心が刺激され、それでいて理解に苦しんでいたと思うと、今更急に開国を惜しみたくなるところである。

 第一ドイツではクリスマスが祝日になる。二十四日の午後からはだいたいの店が店仕舞いをし出して、皆クリスマス・イヴを祝う準備に取り掛かり、それから二十五日と二十六日の祝日で家族と過ごすのが一般である。言わば、ドイツのクリスマスは日本における正月のようなものであり、ドイツの正月は、日本のクリスマスのようなものである。

 クリスマスから正月にかけてドイツではバゲットの需要が高まる。私の職場でもこの時期は連日のように一三〇〇本近いバゲットが作りだされている。各ライ麦のパン(※1)などもクリスマス前や大晦日に多少生産量は増えるが、やはりこの時期の主役はバゲットである。

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話によると、多くのドイツ人はこの年末にチーズフォンデュやラクレット(※2)を好むらしく、それで大量のバゲットを要するらしい。すなわち、ドイツ人にとってのバゲットは我々のケンタッキーであり、蕎麦なのである。

 変化を好む様子をまるで見受けられないドイツ人の国民性であるから、きっとそのバゲットの消費もずっと昔から変わらないのだろうと思う。それと同時にドイツにおけるパン屋の需要とエッセンシャルな一面をも歴史的土台の上に見るのである。華々しさではなく、ましてやフォトジェニックさなどではなく、あくまで食べ物としての存在意義、生活を支えるという役割を愚直に果たさんとする飾らない素直さと強さを、私はドイツのパンに見る。


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 二〇二〇年の十二月三十一日の仕事納め、そして二〇二一年一月二日の仕事初め共に、私は大型のデッキオーブン(※3)を担当し、ブロート(※4)の類を焼いていた。

 今の職場は分業制で、生地を仕込む担当やブロートやゼンメル(※5)を成形する担当、ラックオーブン(※6)の担当など大きく六つの役割に分かれている。私が担当しているデッキオーブンの仕事であれば、基本的には発酵室に入れられている整形されたブロート生地の発酵具合を確認しオーブンに入れ、焼き上がったらオーブンから出すところまでの、要するに焼きの工程である。当然、隙間時間には他のポジションを手伝いに回るが、そうしている間も責任を背負いつつ意識を発酵室の前やらオーブンの中まで飛ばし、発酵具合や焼け加減を監視し続けなければいけないので、例え歌を歌ったり口笛をぴゅーぴゅー鳴らしていてもそこには油断も怠惰も混在していない事を断わっておかねばなるまい。

 仕事納めの日の仕事は非常に満足のいく出来であった。朝一に三〇〇本ほどのバゲットがあったがそれをスムーズに焼き上げることが出来、その調子のまま最後まで去年において最も美しいブロートを焼き上げられたように思えた。オーブン仕事において、生地の温度や硬さによる日ごとの発酵の差異を見極め、オーブンに入れてからの温度調節やスチームの量など、自分の経験と感覚に頼りながら失敗と反省を繰り返し試行錯誤の末に、この日の仕事が出来たと思うと、我ながら著しき成長に感慨深さを覚える。

 そして新年を迎えたかと思えば間髪入れずに仕事初めを迎えた二日の仕事でも、幸先の良いスタートと評すには十分な出来であった。ただひとつ、ゾネンブルーメンケアンブロート(※7)を釜入れする際は九死に一生であった。
 本来であれば、釜入れ前に余裕を持って発酵かごから釜入れ用のバンドの上に生地を揺すり落とし表面にブラシで水を塗るのであるが、この時は発酵室を覗き込んだ時点ですでに過発酵気味に膨らんでおり、大急ぎでそれらの作業に取り掛かる必要があった。過発酵は当然自分の失態であったが、その後のさながら救急隊の様な一刻を争う取り組みが功を奏し、なんとか一命を取り止めた。詰まる所、衝撃に過敏になる過発酵状態の生地が釜入れの工程でその衝撃によりボリュームを損なってしまうという瀕死の重症状態を凌いだのである。さながら大手術を終えた名医のそれであった。


 ドイツのクリスマスから年末年始にかけて私が好きな文化が、簡単に、しかしどこか大事に交わされる挨拶である。クリスマスの前であればメリークリスマス、年末年始であればよいお年を、と明けましておめでとう、というごく一般的な挨拶を交わしあい、互いの幸運を祈り合うのである。時にそれは仲の善し悪しとは無縁の至って純な心が司っていたりするのが、寮の朝礼で半ば強制的に挨拶を叩きこまれてきた私の目には実に神々しく、またそれこそ挨拶の真の姿であるように映った。
 ドイツの一般的な年始の挨拶にGesundes neues Jahr(ゲズンデス・ノイエス・ヤー/健康な一年を)という言葉がある。今年にいやにぴったりな台詞である。



(※1)ライ麦のパン:ドイツパンの多くはライ麦を含んでおり、日本で一般的な小麦のパンと違い酸味がありしっとり重たいパンになる。

(※2)ラクレット:チーズを溶かし、パンやジャガイモなどに付けて食べるスイスやフランスの料理。

(※3)デッキオーブン:上下のヒーターで蓄熱して焼くオーブン。私の職場では大型の5段積まれたデッキオーブンが3台使用されている。

(※4)ブロート(das Brot):大型のパン。原則250g以上のパンを言う。

(※5)ゼンメル(der Semmel):小型のパン。原則250g未満のパンを言う。

(※6)ラックオーブン:ラックごと焼けるオーブン。ラックが中で回転しながら焼くのでムラなく焼ける。

(※7)ゾネンブルーメンケアンブロート/Sonnenblumenkernbrot:ひまわりの種が練り込まれたライ麦パン。


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