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ドイツパン修行録~マイスター学校編~

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製パン経験の全く無かった元宮大工の男がパンの本場ドイツに渡り、国家資格である製パンマイスターを目指す物語のマイスター学校編。 田舎町に移り住み、通い始めたマイスター学校。真っ新な…
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#私小説

*4 ドイツのパン屋

 いよいよ着用するマスクの種類まで指定されてしまったミュンヘンは、そのロックダウン期間を二月まで延長するという発表が出され、またも予定を変更する必要が出てきてしまった事に私は意気の消沈を隠せずにいる。辛うじて二月末まで住まわせて欲しいという私の懇願を大家が呑んでくれたお陰で住処は確保出来たものの、果たして三月になれば新しい下宿先が空いて予定通りに居を移せるかどうかは神でさえ知る由もないだろう。  それでも私は今日も夜中の十一時に目を覚まし仕事へ向かう為の支度をする。この有為

*37 佳境

 気付けば彼岸も過ぎた。停留所の人混みの中でこそこそと知らぬ男を探す事も、その間に同じく停留所に佇む美しい女に気を惚られる事も無く過ぎた。そして忽ち十月である。  彼岸はおろか盂蘭盆でさえもう何年と実家に顔を見せていない私であるが、こうして彼岸を頭に浮かべた序でに幼少の頃の墓参りを思い出した。当時は墓を参る理由もそもそも盂蘭盆の実態さえ知らぬまま、只夏休みには御盆と呼ばれる頃に一度、祖父母や両親や姉兄妹について墓を参っては墓石を洗ったり線香を焚いたりするものだと言う認識ばか

*36 ジャグリング

 上を見ろ、上を見ろと人は云う。また、前を向け、前を向けとも人は云う。何かを成すには下を見る隙も後を振り返る暇も無いのだと云う。まるで山頂を目指し断崖絶壁を登りゆく登山家である。所が私の様な世間知らずの臆病者の進む道を比喩えるならば山間に掛かる吊り橋を渡るが如くである。それでも天を仰ぎ橋の向こうを見据える事は同様に重要であるが、時折谷底を覗き込み恐怖心を煽ってはそれから橋を渡り切る為の推進力を捻出したり、ぷらぷらと不安定な足元に怯えた時などは後を振り返り確かにそこまで進んでき

*35 夜に潜る

  先週は然も道端に転がる幸運を探すが如く鬱向いて歩いていた私であったが、その週末から日を追う毎に曲がった背筋を徐々に伸ばしていくようであった。矢張りやらなければならない用事が片付くと気持ちも晴れやかになるものである。先日、引越し先に荷物を運んで元の下宿に帰って来た時も、物が少なくなった部屋の中に何処かすっきりとした空気が流れているのを感じた。本を正せば下宿で小ぢんまりと勉強ばかりしている生活の中で、無闇に部屋の中を散らかす手間を割くのも億劫であった為に、三月に移って以来一度

*34 ピクチャー

 十人十色とは良く言ったものであるが、余りにも色彩が豊かであると今度はその扱いに手を焼く。高校に通っていた時分に惰性で蛇足たる危険物取扱者資格など取る代わりに大人しくカラーコーディネーターの資格を取ってさえいれば、どれだけ多彩な講師が画面向こうに座ってももう少し繊細にその色味を識別し、鍛えられた己の色彩感覚で以て上手く使い熟(こな)せていたかも知れなかった。私は手元にある十二色の色鉛筆を単色で見るばかりで、その中から最も類似した色を無理矢理に使って画面を塗っていた。  八月

*33 井の中の蛙大海を夢に見る

 誕生日を境に世界ががらりと変わる事などある筈も無いとは解っていながら、それでいて何かに期待している自分がいたのであるが、これは何も胡坐(あぐら)を掻いてただじっと待っていれば今に心地の良い風が吹くんだからそれまで退嬰(たいえい)を謳歌しようじゃないかという他力本願な態度を肯(うべな)いたいわけではなく、私が漕ぎ出した船の上に私が立てた帆を孕ませるような追い風が吹くのを期待しているのに他ならなかった。喩え長閑(のどか)な水面を撫でる風さえ吹かなかったとしても、だからと言って甲

*32 ギフト

 ドイツ電鉄のストライキが又あると言うから、月曜日は夜中の十二時に目を覚まして以降、一時間置きに目を覚ましては電車の運行状況を確認する為に立ち上がってパソコンの前へ行き、それで又ベッドに潜って眠るというのを三時まで繰り返した。スマートフォンがあれば立ち上がる手間も省けたのにとは思ったが、かと言ってスマートフォンの無い生活にもすっかり慣れ始めていた。電車はと言うとインターネットサイトに、随時確認して下さいと言う注意書きは表示されていたけれども、運休ですとは断言されていないまま遂

*25 カササギをただ待つよりも

 七夕という風物を意識して過ごしたのは何年ぶりだっただろうか。思い返そうと記憶に飛び込んで連想を試みても、ジョバンニとカムパネルラが天の川を旅するばかり(※1)で七夕の記憶は保育園生だった頃まで遡る必要がありそうであった。かと言って今週の七夕も果たしてどういう因果で思い起こされたのかまるで分からない。短冊を書くでも吊るすでもない私は、試験の後からの雇用を乞うメールや事務的な堅いメールを二三書く必要があったので、それを七夕の日に、余り面倒な未来を引き起こしてくれるなと願を掛けイ

*24 ダイナモライト

 実技試験を終え帰宅した私は同居人のトーマスと試験についてあれこれと話している内にとてつもない解放感に襲われ、居ても立っても居られない心持ちになっていた。暫く話し込んだ後、彼は実家のあるオーストリアに帰ると言うので、良い週末をと言って見送ると愈々下宿に一人になり、溢れる解放感に身を委ねた。  この解放感の正体というのは大勝負を終えた安堵でもあるが、それ以上に三ヶ月間続けた奮励からの解放であると直ぐに分かった。寝食を二の次に一心不乱に机に向かい、週末には狂ったようにケーキやパ

*23.5 結果報告と六月の回想

 ドイツに渡って初めの六ヶ月間語学学校でドイツ語を習い、その最後に満を持して当時の私にはまだまだ敷居の高かったB1レベル(※1)のドイツ語試験を受けたのだが、その際に、やるからには満点を目指す積だ、端から赤点基準さえ越えられれば良いという考えは理解が出来ないという意気込みを何の気無しに会話の流れで他人に話してみたところ、君は完璧主義でナルシストだねと評された事がある。成程、これを人はナルシストと呼ぶのかと、その聞き馴染みの無い表現に感心をしては目から鱗を零していたが、それで言

*23 身の程知らず

 私が一心不乱に勉強を進めていた間に、窓の外の景色はすっかり変わっていた。猫の目の如く忙しなかった天気は過ぎ去り、今度は三十度を越える太陽の光線でもって徹底的に我々を焼き付ける。オーブンや発酵室が稼働する工房の中ともなれば、さらに質の悪い暑さで身を内外から痛めつけてくるのであるが、そう言えば比較的からりとした暑さの夏ばかり経験しているここ数年の私が湿度の高い日本の猛暑の炎天下に放り出されたら、忽ち団扇代わりに白旗でもって暑さを凌ぎそうなものだと考えるに至った所で少々恐ろしくな

*22 フォーエヴァー・ヤング

 私が工業高校を卒業して十八歳で宮大工の会社に入社した時、初めて配属された現場の指導者が二十八歳であったと記憶している。自分より十歳年上だったその人はその年齢差が指し示す通りの、大人として、また現場指導者としての風格や貫禄があった。あれから十年が経ち、今では私が二十八歳であると気が付いた時、果たして今の自分に当時の彼の様な貫禄や風格があるかと自らに問うと、私自身が出した答えは否であった。無論、主観と客観では感じ方が異なる事など重々承知の上である。  これと同じ様な事が二十歳

*21 四の五の言わず

 一を聞いて十を知るが如くある程度の事は察し良く熟せるという自負のある私であったが、事勉学となると、ましてや我が人生に直結した物ともなれば、ドイツ語で見聞きした物を察したのみで満足して進むわけにはいかず、学んだ事を慎重に頭の中に詰め込んで、それを今度は落とさないようにこれまた慎重に歩みを進めていると、かつて要領良く仕事をしていた私が嘘のように思われ、またいくら私の歩みが遅くなろうとも当時と等しい速度で過ぎていく時間に否応無く焦燥感を抱かされるのである。まったく一筋縄ではいかず

*20 拙を守る

 この身体に覚えた違和感だか不具合は、或いはとうに先週末から始まっていたのかもしれないと思ったのは、週も半ほどに差し掛かった頃であった。  この間の日曜日の朝の事である。目を覚ますと部屋の灯りが煌々と私の目を眩しがらせて、それで私は昨晩電気も消さずに眠りに落ちた事を悟った。ベッドの上でスマートフォンを手に持っていた所までは記憶しているのだが、さてそろそろ寝るかという意識の起こる前に眠りに落ちたと見られる。  こんな不養生は久しぶりだ、と己の行動を省みた矢先の事であった。日