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*35 夜に潜る

  先週はも道端に転がる幸運を探すが如く鬱向うつむいて歩いていた私であったが、その週末から日を追う毎に曲がった背筋を徐々に伸ばしていくようであった。矢張やはりやらなければならない用事が片付くと気持ちも晴れやかになるものである。先日、引越し先に荷物を運んで元の下宿に帰って来た時も、物が少なくなった部屋の中に何処かすっきりとした空気が流れているのを感じた。もとを正せば下宿で小ぢんまりと勉強ばかりしている生活の中で、無闇むやみに部屋の中を散らかす手間を割くのも億劫であった為に、三月に移って以来一度も手を付けられずにいた段ボール箱や袋がそのまま運ばれた位なものであったから、生活動線はごうも影響を受けず依然として殺風景であった。片や机の上だけは散らかっているのが常であった。時折思い立って片付けてみても数十分後には物が重なり合う始末である。整然と使っているつもりで、それでいて愚茶々々ぐちゃぐちゃにしているんだから仕方無い。


 そんな賑やかな机の上に据えられたパソコンの中で、八月に世話になったパン屋から正式な労働契約書を受け取ったり、来月から移る部屋に通す電気や電話線の契約を申し込んだり、それから十月に受ける試験の受験料を振り込んだりと、大凡おおよそ今週中には済まそうと考えていた用事を順調に片付けた。それからある時ジョギングから帰ってくると大家が孫と外に出て遊んでいたので、ついでに私が九月末で出て行く事も伝えておいた。一般的には部屋を出ていく三ケ月前までに大家に伝えるのが鉄則ではあるのだが、今の下宿はそもそもが学生に期限付きで貸されている部屋であったから、大家も私が皆迄云う前に、今月末までよねと云ってきた。その折、実際授業が終わるのは十月の上旬だがと伝えると、寝耳に水の入るが如き形相でやや心配そうな色を見せたが、私が彼女にその事実を伝えるのは実に四回目であった。賃貸契約書に授業が終わるまでなどと曖昧な記載をしたが故の勘違いとこれまでも再三対峙して来た私はその都度、授業は十月迄あるんですと説明して来たのだが何時でも彼女はいぶかしげであった。それでいざ九月の末になってからまた無邪気に突然追い出されても困ってしまうと見込んだ私は、もう私の方から九月末に部屋を出られるようにと、それで段取りをして来たのであるが案の定それが功を奏した。

 そうこうしている間にも机上の無秩序を掻き分けるかの様に授業はぐんぐん進んでいった。そのスピードに振り落とされないよう動体視力を駆使し、画面の中を流れゆく景色に目を凝らした。

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 イヤホンから聞こえる早口のバイエルン訛りの中に身を投げ泳ぐ。皮膚の上を滑る音の中に単語を見付けては、それを掴んでスカリ(※1)に入れ水面に顔を上げる事も出来ないまま水中でそれらを繋いでいく。何一つとして海底にも水草にも引っかからずすいすいと流れていくので大層難儀たいそうなんぎである。

 海の無い信州は山の麓のような所で生まれ育った私であるから、水中での息は決して長くは続かずに何度も何度も息を継ぐ為に水面に顔を出した。そうしている間にも左右の足の脇を単語が過ぎていくのを感じるのだがまだ呼吸が整っていなかったり、或いは呼吸の整わない内にもう一度潜ってみても、前よりも息が持たずにまた直ぐ上がって来たりするので苦戦した。その上授業によって波の流れも水の温度も異なるので気が休まらなかった。鯨になりたいものである。

 そうしてスカリに集めたビジネス用語を捌いていく。捌くというよりも解剖と言うべきその作業は想像以上に手間を食うが、一度捌いてしまえばその後見掛ける毎に知識としての確実性が増していっている様に感ぜられた。そうした反復学習の為にも授業期間が約七週間と十分に設けられていて助かった。七月に受講した教育者適性講義などは、僅か二週間の内で見知らぬ単語を山程詰め込む必要があったので苦労したが、あの時は反対に内容が比較的易しかった分助かっていた。



 ここ数年で急激にビジネスと云う言葉を至る所で見掛ける様になったように思うが、これが時代の流れなのか単に私がそういった言葉と触れ合う年齢に到達したのかは定かではなかった。いずれにしても動画や文章でもってビジネス知識を振り回す知識人がプロアマ問わず良く目に付くようになった事は確かである。斯く言う私でさえ一年前に独自でそれらしい分野をなぞった事があったが、奇しくもここへ来てどぷりとビジネスについて学ぶ事になるとは、マイスター学校へ行けば経営学を習うという事を見聞きしていたにもかかわらず私はその二点が頭の内で繋がっていなかった為に、想像もしていなかった。

 マーケティングとはよく聞く言葉の一つである。今や朝起きてからひねもすこれと云って特別な用事もなく夜を迎えて眠るようであっても、その中で一度くらいは見掛けていそうな程マーケティングという言葉はポピュラーであるように思う。なので人に問われれば漠然であれ大まかな説明は出来そうなものと私は考えていたが、今こうして学んでいくとそれは説明が出来るのではなく言葉の意味を知っている程度であったと思い知らされた。市場調査だ、宣伝戦略だと聞けばまだそれほど難しさを感ぜられないが、SWOT分析だのSMARTの法則だのと言われると一気に異邦人みたような心持になる。それはこれらがまさしく専門用語らしい形態をしているからに違いないが、理解にかたくないと思われた市場調査にしろ宣伝戦略にしろ、実際の所はドイツ語といううろこまとっているので私からすればSMARTだとかSWOTだとかあからさまな姿をしていて貰えた方が記憶に引っ掛かり易いので助かるのである。

 ビジネスと言えば言わずもがな御金の話にも触れるわけであるが、御金とは果たして価値を換算、保管できる道具であるだとか、銀行で融資を受けるには何が必要であるとか、流動性がなんだ所得税がかんだと遣っている訳であるが、就中なかんずく帳簿付けというのが一際稚児ややこしい。難しいと言うより稚児しいのである。借方、貸方をドイツ語ではSollゾルHabenハーベンで表すので言葉だけで見ればドイツ語の方が単簡に思われるのだがこれが罠である。日常会話に置ける基本中の基本と云っても過言ではないSollとHabenが当てられているものだから、どうしても知り馴染んだ日常的な意味合いが先に思い起こされて邪魔なのである。反対に日本語では一歩踏み込まなければ見掛けない様な言葉で表しているのでその辺りに否応無く混乱が生じてしまうのであるが、この辺りはもう繰り返して覚えなければ仕様が無いといった所である。


 それから一見ビジネスに関係無さそうであるがコミュニケーションについても教わっている。教わらずとも自然と覚えてきたような事を学問としてまた態々わざわざ言葉に直していく作業なので少々厄介である。シュルツ・フォン・トゥーン(※2)が提唱したというコミュニケーションの四面性モデルも説明をされれば成程々々なるほどなるほどと難しい事を言っているわけではない事が解るのであるが、意味を理解しているだけでは足りないのだから学問と言うものも手間暇が掛かるものである。しかし試験の事など忘れて、只彼の理論を聞くだけに心を徹してみると実に興味深い話であるので、試験が済んだ後に一度改まって話を聞く機会を設けてみたいものであるが、そうした時の方が試験に向かって邁進している時よりも覚えが良かったりするので皮肉な唐繰からくりである。


 近頃は授業が終わってからジョギングや食事を済ませて一度二時間程眠り、夜中の間に机に向かってそれらの作業に取り組み朝方になってからまた二三時間ベッドに入るという夜行性振りである。電灯潜り(※3)をするのも良いが余りに己を過信した挙句、予期せぬ所で駄津だつ(※4)に突かれぬように気を付けなければならない。



(※1)スカリ:素潜り漁等で使われる、獲った魚介類を入れておく為の網の袋。
(※2)シュルツ=フォン=トゥーン:ドイツの心理学者フリーデマン・シュルツ=フォン=トゥーン。
(※3)電灯潜り:夜間の海に電灯を持って潜り、眠っている魚等を中心に獲る漁法。
(※4)ダツ:鋭いくちばしを持ったダツ目ダツ科の魚。時速60㎞で光に反応し突進するという危険な特性がある。


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マイスター養成学校が始まり勉強に全身全霊を注ぎ込む積でいまして、それに伴い勝手ではありますが記事投稿の日曜日以外はなかなかnoteの方にも顔を出せなくなります。どうかご了承ください。




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