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*33 井の中の蛙大海を夢に見る

 誕生日を境に世界ががらりと変わる事などある筈も無いとは解っていながら、それでいて何かに期待している自分がいたのであるが、これは何も胡坐(あぐら)を掻いてただじっと待っていれば今に心地の良い風が吹くんだからそれまで退嬰(たいえい)を謳歌しようじゃないかという他力本願な態度を肯(うべな)いたいわけではなく、私が漕ぎ出した船の上に私が立てた帆を孕ませるような追い風が吹くのを期待しているのに他ならなかった。喩え長閑(のどか)な水面を撫でる風さえ吹かなかったとしても、だからと言って甲板に体を転がして呑気に昼寝に勤しむ程私は無精では無いが、それでも私の航海を後押しするような風があるなら捉まえない手は無いと、頻りに私は帆を見上げたり湿らせた指を空に突き刺したりした。


 そんな風はとある借間の管理者からの連絡に姿を変え私の元に流れ込み、まさに私の誕生日であった先週の土曜日に内見の予定をもたらすと、そのまま八月の末日まで吹いた風に乗るように果たして私はその部屋を借りられる運びとなった。今私が住んでいる下宿が学生の為に貸している部屋であるから、借りると同時に学業が終わるまでという期限が付いていた。なので私はまず順を追って学業の後の働き口を見付け、それからその働き口のある街に部屋を探すという課題が今年の桜の咲いていた頃から常に私の脳内にぷかぷかと浮かんでいたのである。奇しくも七月の末に否応無しに働き口を見付けなければならない事態が起こり予定は早まった。自ずと部屋を探し始める時期も早まり、八月の授業の無い期間に働きながら理想の条件で住める部屋があるかどうかインターネットを漁っていたのだが中々決定的な物件に出会わなかった。その内職場の同僚が部屋探しを手伝ってくれ、直ぐに二件の貸し部屋を紹介してくれたが、不運が重なりどちらの部屋も取り逃がしてしまっていた。そんな所に吹き込んだ風であった。


 誕生日の日に内見を済ますと翌日私はその借間の管理人に改めて借りたい旨を連絡した。彼の言うには私以外にも希望者がいる様であったので、私は早朝の六時に連絡を入れ一番乗りを目指した。そして翌月曜日に無事私がその部屋を借りられるという事になると、八月最後の日であった火曜日には契約を済ませ、所謂とんとん拍子で事が運んだ。十月に引越す予定であるが九月の頭からしか貸せないと云うので、その通り九月からの契約で借りた。一時二部屋分の家賃を払う事になるわけであるが、それでも散々インターネットで探していた部屋の一月分の家賃相当の金額で、寧ろ早くから引越しの準備が出来る分の御釣りが返って来そうという予測が立った。荷物を運んだり電気や電話線を申請したりと勉強の傍らで片付けなければならない事はあるが、それでも勉強の傍らで部屋から探す事を思えば、全く八月は尽々(つくづく)幸運に恵まれていた。



 さて肝心の授業である。ヴァラエティに富んだ講師の中に、また新たに一人女性講師が加わった。彼女は他の朗読会講師やスタンダップコメディ講師とは打って変わって、詰々(きちきち)と教科書に線を引き問題を解いていくだけの無駄の無く堅い授業をするもんだからクラスメート達は退屈そうであった。彼らはその女講師の事を陰で魔女と揶揄していた。魔女でもアヒージョでもコメディより朗読よりよっぽど授業らしくて返って私の口には合っていた。


 それにしても各講師がそれぞれに担当の範囲を受け持っているのだがこれが少々厄介である。古典と数学と美術の教師がそれぞれ異なるのとはわけが違う。経営学という科目の内容を、また手元にある三冊の教科書を五人だか六人で分け合って、それでまた時間割も雑然としているので、例えば朗読会講師の男は先週に一度カメラの前で垂々(だらだら)と教科書を読んだ限(きり)、今週は遂に一度も姿を見なかった。さらには、試験が四部構成なのに則って授業も原則四部構成でありながら、その四部屋を引率の六人の講師が傍若無人に歩き回るおかげで後から付いて行く我々は果たして今何処にいるのか分からないなんて事も往々にしてあった。それを授業の最後に指摘したクラスメートがいたが、講師自身理解は示したものの仕様が無いんだと言ってそれで我々も納得するより他に無かった。

 野放図(のほうず)なガイドで練り歩くツアーが我々を迷子にする事に嘘は無いのであるが、それでも凡そ二週間も続けば何処となく似たような景色が目に付く事も屡々(しばしば)出てくるようになった。例えば経営に関わって来る法律の辺りを逍遥(ぶらつ)いているんだか実際の簿記の界隈を逍遥いているんだか、一目瞭然では無いにしても敷居を認識し始めたのは定かである。幾ら景色が霞んでいても経営学という大枠からはみ出る事は無いのであるから、藪から棒が出て来る事も殆ど無いのである。大体試験が四つに分かれているからと言ってそれに沿って学ぼうとするから迷うのであって、端から全部を覚える積でいれば忽(たちま)ち迷う心配は解決する。ただある程度試験毎の対策が練られるように敷居の存在さえ薄らと認識出来ていればそれで十分だった。

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 だから今週は何処をどれだけ学びましたと言うのはどうしても漠然としてしまって具体的には書ききれないのであるが、貸借対照表とか損益計算書とか簿記関連の事柄であったりマーケティングにおける戦略の立て方、目標設定、宣伝戦略などといった辺りは教わって来た。製パンの授業と違って私はもともと経営学に精通していた訳ではないので、ドイツ語の専門用語と日本語の専門用語のどちらもを調べて、照らし合わせるのに手間取ったている。去年の五月に自主的に経営の勉強を日本語でしていたものの、まあ役立つ場面が無いと言ったら嘘になるが、あると言ったら今度は大言壮語になる。Bilanzが貸借対照表で、GuVが損益計算書でと一々照らし合わせてそれらが繋がった所で漸く去年の勉強が役に立って、ああそう言えば聞き覚えがあるなと、そう思うくらいなものである。

 それだから授業が終わった後も、休憩したり食事をしたりシャワーを浴びる時間はあれど、それらが済むと専らパソコンや教科書や辞書と睨めっこである。そうして朝方になってベッドに潜ると間もなく授業が始まる前にアラームに起こされる。オンライン授業のメリットは始業間際まで眠っていられるこの一点に尽きるだろう。しかし何も朝方まで、腫らした目を擦り洗濯挟みで頬を抓って無理矢理起きている訳では無いのであるから、これが苦行に思われる位であれば私は今頃とっくに日本でお茶を啜っているに違いない。


 
 複式簿記のシステムが世界共通であるというのは私にとって朗報であった。それならインターネットで調べる日本語の記事も簿記について日本語で解説する動画も手元にある経営の本も役に立ちそうである。元々ドイツに来た頃から、ドイツ語の本と独和辞書を並べて開いては分からない単語に出会った時に辞書を引いて、成程(なるほど)と脳が弾ける感覚が好きだった私にとって、Abschreibungが減価償却であるとかFiBuが財務計算だとか調べて照らし合わせるのは苦ではない所か、作業としては寧ろ好きであった。謂わば、知らない事を知る瞬間が愉しいのである。

 幸い私にはまだ知らない事が山程ある。それ所か知れば知る程、どんどんと知らない事が増えていく。永久に井の中である。何とか攀(よ)じ登って井戸を出たと思っても、今度はそれが一回り大きな井戸の中であった事を思い知らされる。それをまた登って行く。果たしていつになれば外の景色に出逢えるのか見当も付かない。彼是(あれこれ)想像を膨らませてみてもあくまでそれは妄想に過ぎない。只そんな私にも、太陽と月が外の世界に在る事だけは分かっている。見上げた先に開いた穴の向こうにそれらは確かに燦然と輝いている。それが私にとっての外の世界である。それを目指してまた今日も壁を攀じ登る。この経営学が私にとって幾つ目の井戸であるかなど、畢竟(ひっきょう)どうだっていいのである。




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マイスター養成学校が始まり勉強に全身全霊を注ぎ込む積でいまして、それに伴い勝手ではありますが記事投稿の日曜日以外はなかなかnoteの方にも顔を出せなくなります。どうかご了承ください。

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