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短篇小説千本ノック

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一作家一作品の縛りを設け、短篇小説をひたすら読みこんでいく企画です。
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記事一覧

【短篇小説千本ノック12】思い込みの作法――島尾敏雄「夢の中での日常」

【短篇小説千本ノック12】思い込みの作法――島尾敏雄「夢の中での日常」

 私たちはふだん、眠りについてあまり意識せずに生を経ている。
 それは今日と明日の狭間にあるインターバルであって、毎日の終わりにかならず訪れるものと信じて疑わない。今日が終わる。入眠と覚醒。明日が来る。
 しかし、なにかのきっかけでこのルーティンが崩れるとき、すなわち不眠に陥ったとき、人は、眠りというものを、意志のちからではどうにも太刀打ちできない、自己から独立した現象として認識するようになる。見

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【短篇小説千本ノック11】黒歴史を抹消せよ——ジョヴァンニ・パピーニ / 河島英昭訳「泉水のなかの二つの顔」

【短篇小説千本ノック11】黒歴史を抹消せよ——ジョヴァンニ・パピーニ / 河島英昭訳「泉水のなかの二つの顔」

 いったいに、私は多感な幼少年期に、水木しげるの漫画や、円谷プロ往年の特撮ドラマ『ウルトラQ』(父親が買ってきたVHSのテープが擦り切れるほど観た)の薫陶を受けたおかげで、怪奇・幻想的な物語が大好きである。そのため、この【短篇小説千本ノック】で取り上げる作品も、多少なりとも幻想小説に偏ったチョイスになることと思う(現にもうそうなっている)。
 今回扱うイタリアの作家ジョヴァンニ・パピーニ(1881

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【短篇小説千本ノック1】誤読に誘う狂いのしぐさ――宇野浩二「蔵の中」

【短篇小説千本ノック1】誤読に誘う狂いのしぐさ――宇野浩二「蔵の中」

 そして私は質屋へ行こうと思い立ちました。私が質屋に行こうというのは、質物を出しに行こうというのではありません。私には少しもそんな余裕の金はないのです。といって、質物を入れに行くのでもありません。私は今質に入れる一枚の著物も一つの品物も持たないのです。そればかりか、現に今私が身につけている著物まで質物になっているのです。それはどういう訳かというと、……(宇野浩二「蔵の中」以下太字部分は同作の引用)

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【短篇小説千本ノック10】融解する境界—―吉田知子「恩珠」

【短篇小説千本ノック10】融解する境界—―吉田知子「恩珠」

 これまで読んだなかで、いちばん怖い小説を教えてください。
 こんな質問をされたことがある。
 怖い小説、なかなか難しい質問だ……とは思わなかった。なんとなれば、私は比較的、というより明らかに怖がりの範疇に入る性質の持ち主であり、怖い、と思ったモノ・コトは、この灰色の脳細胞に深く刻み込まれている。
 試みに、これまで読んだ怖い小説を列挙してみよう。
 内田百閒「青炎抄」、半村良「雀谷」、筒井康隆「

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【短篇小説千本ノック9】ありえなかった記憶の物語――ガブリエル・ガルシア=マルケス / 木村榮一訳「この世でいちばん美しい水死人」

【短篇小説千本ノック9】ありえなかった記憶の物語――ガブリエル・ガルシア=マルケス / 木村榮一訳「この世でいちばん美しい水死人」

 もうすこし、ラテンアメリカの小説について話したいのです。お付き合いください。

 これまで読んだ小説で、最高の一作はなにか?
 途方もない質問である。対する答えを、私は持たない。が、これまで読んだ小説で、読んでいる間中、ほんとうに、ただひたすら楽しくて楽しくて、読み終わるのが心底惜しかった作品、そして何度繰り返し読んでも、汲めども尽きない物語の圧倒的な力を感じさせる小説、これはもう決まっている。

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【短篇小説千本ノック8】究極の恋愛小説――アドルフォ・ビオイ=カサーレス / 高丘麻衣・野村竜仁訳「パウリーナの思い出に」

【短篇小説千本ノック8】究極の恋愛小説――アドルフォ・ビオイ=カサーレス / 高丘麻衣・野村竜仁訳「パウリーナの思い出に」

 前回紹介したドノーソ「閉じられたドア」が収められている『美しい水死人――ラテンアメリカ文学アンソロジー』(福武文庫)にはラテンアメリカ圏の傑作短篇が惜しげもなく収録されており、斯界の入門にはもってこいの一冊だ。捨て作がない。
 優れたアンソロジーは、その後の読書の指針になる。このアンソロジーがなければ、ホセ・エミリオ・パチェーコやフェリスベルト・エルナンデスといった優れた作家の名を知ることはなか

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【短篇小説千本ノック7】救世主たち――ホセ・ドノーソ / 染田恵美子訳「閉じられたドア」

【短篇小説千本ノック7】救世主たち――ホセ・ドノーソ / 染田恵美子訳「閉じられたドア」

 今回の【短篇小説千本ノック】では、チリの作家ホセ・ドノーソの短篇「閉じられたドア」を扱う。
 いま私はドノーソをチリの作家と言ったが、彼はチリ大学在学中、奨学金を得てプリンストン大学に留学した俊英で、はじめての短篇は英語で書いている。また、本格的に作家デビューを果たしたのちは、メキシコ、アメリカと渡り歩き、六七年から八一年までの期間はスペインを活動拠点としていた。代表作とされる長篇『夜のみだらな

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【短篇小説千本ノック6】向こう側の語り——イアン・マキューアン / 宮脇孝雄訳「押入れ男は語る」

【短篇小説千本ノック6】向こう側の語り——イアン・マキューアン / 宮脇孝雄訳「押入れ男は語る」

 子どもの頃、押入れが怖かった。むしろ、いまでも怖い。
 押入れにかぎらず、私は物心ついたときから閉所恐怖症の気味があって、そもそも狭くて暗いところが苦手なのである。
 古いエレベーターに乗ると呼吸が浅くなるし、扉の上下に隙間のない個室トイレにも極力入りたくない。利用したことはないが、カプセルホテルなんてのもたぶん無理だろう。
 とはいえ人間の趣味嗜好は千差万別、狭くて暗い空間は逆に落ち着くという

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【短篇小説千本ノック5】カフカが多すぎる――フランツ・カフカ / 池内紀訳「万里の長城」

【短篇小説千本ノック5】カフカが多すぎる――フランツ・カフカ / 池内紀訳「万里の長城」

 先日、渋谷のユーロスペースでジョン・ウィリアムズ監督の『審判』を観た。カフカの同名小説の映画化である。大変おもしろかった。
 カフカはいいな、とおもった。やはりカフカだな、とおもった。
 そのため、安直なのは承知のうえで、今回はカフカを扱おうとおもったのだが、ハタと困ってしまった。
 これまでカフカはずいぶん読んだ。が、全集でまとめて、とかそういう読み方ではなく、折々にいろいろなところから出てい

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【短篇小説千本ノック4】ベルギー幻想派四天王を連れて来たよ。——トーマス・オーウェン / 加藤尚宏訳「黒い玉」

【短篇小説千本ノック4】ベルギー幻想派四天王を連れて来たよ。——トーマス・オーウェン / 加藤尚宏訳「黒い玉」

 前回、前々回は、マラマッド、シンガーというふたりのユダヤ人作家を扱った。彼らの小説を読みながらおもったのは、「いちいちこたえるなあ……」ということであった。アメリカに住まう貧しいユダヤ人の生活を活写したマラマッド、対してユダヤの伝統社会に生きる人びとの業を描いたシンガー、どちらも重たいのである。読んでいて、なんだか暗いところへ連れていかれる気がする。おまけに猛暑だ。気が滅入る。だから今回は気分を

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【短篇小説千本ノック3】冒涜者の凄絶な生きざま――アイザック・B・シンガー / 邦高忠二訳「血」

【短篇小説千本ノック3】冒涜者の凄絶な生きざま――アイザック・B・シンガー / 邦高忠二訳「血」

 カバラ信奉者たちの認識では、血に向かう情念と肉に向かう情念は、ともに同じ起源をもっており、だからこそ「あなたは殺してはならない」という戒律のすぐつぎに「あなたは姦淫してはならない」という戒律がつづくのである。(アイザック・B・シンガー / 邦高忠二訳「血」以下太字部分は同作の引用)

 【短篇小説千本ノック】三回目となる今日は、前回紹介したバーナード・マラマッドと同じく、アメリカ在住のユダヤ人と

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【短篇小説千本ノック2】救済と虚構――バーナード・マラマッド / 阿部公彦訳「天使レヴィン」

【短篇小説千本ノック2】救済と虚構――バーナード・マラマッド / 阿部公彦訳「天使レヴィン」

 先日からはじめたこの【短篇小説千本ノック】。基本的に一作家一作品の縛りのなかで、これは、という短篇小説をひたすら千本紹介しようというマゾヒスティックな企画で、たとえば一週間に一回更新するとして、千本終えるには二十年、そんな荒行が飽き性の自分に可能かしらんとおもうけれど、一応文学に身も心も捧げた男なので、まあ修行の一環と考えてぼちぼち書いていこうとおもいます。ご挨拶遅れましたが、よろしくおねがいし

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