山峡

金融業界からFPを主な生業として起業した個人事業主です。科学が発達した現代でも、未だに…

山峡

金融業界からFPを主な生業として起業した個人事業主です。科学が発達した現代でも、未だに合理的には説明できない出来事が存在します。 私が実際に体験した不可思議な出来事を、思い浮かぶままに綴ってみたいと思います。中には思い込みも含まれているかも知れませんが、誓って創作ではありません。

最近の記事

昭和はあまりにも不適切、それとも人間らしい社会?

「不適切にもほどがある!」という人気TV番組があった。昭和只中のある体育会系中学教師が、ひょんなことから令和の社会と行き来するようになり、未来の縁者との交流を通じて、価値観に徐々に変化が生じてゆくストーリーである。昭和、令和、両方の世相を知る私にとっては、見ていてそれなりに楽しめるドラマだった。なおここで言う昭和とは、経済白書に「もはや戦後ではない」とうたわれた昭和31年(1956年)以降の世相のことである。 「昭和」という語に、人はどんなイメージを持つのだろう? 古き良きも

    • 果たせぬ夢を未来に託すより、現代でも実現できる目標を持とう

      生命工学や遺伝子工学の発達により、理論的には人類の寿命は250歳まで延ばせるのだそうだ。この理論に基づき、年に200万ドルをつぎ込み、30人を超える医療チームに支えられ、食事は豆類を中心に午前中のみで1日100錠を超えるサプリメントを飲み、赤外線や赤色光を浴びる生活を実践しているアメリカの大富豪もいるという。目的は現代では果たせぬ夢を未来において実現する為なのだとか…。 日本には800年生存したという八百比丘尼伝説があるが、当の八百比丘尼の夢は、もう生を終えたいということだっ

      • 平泉藤原氏に関する伝説を伝える寺

        埼玉県所沢市山口に、来迎寺という平泉藤原氏に関する伝説を伝える寺がある。伝説によると、平泉の藤原秀衡の守護仏だった阿弥陀三尊を源頼朝が所望し、熟慮の末に応じた秀衡が鎌倉に運ばせたところ、現在の東京都府中市辺りで荷車が急に動かなくなったと云う。やむをえず引き返して、伝説を伝える来迎寺辺りまで戻ったところ再び動かなくなったので、これは阿弥陀三尊の御意思に違いないと、堂舎を立てて安置したという内容である。 当時平氏、源氏いずれにも過度に加担せず、中立を貫いていた秀衡に対し、頼朝は秀

        • 河童の詫び証文伝説を伝える寺

          訪問先からの帰途、持明院と言う寺が目に付き立ち寄ったところ、面白い伝説が伝わっていました。 付近を流れるかつて曼荼羅淵と呼ばれていた柳瀬川に、人を襲って肝を抜く河童が棲んでいましたが、とうとう捕まって持明院という寺に連れて行かれました。そして寺僧に諭され、二度と悪いことをしないと証文を書いて許してもらったのですが、その後も懲りずに悪さを続け、今度は井戸に落としたものは何でも取ってくるという約束をさせられたのだそうです。以来、井戸に釣瓶や柄杓などが落ちると、そばの池に浮かび出る

        昭和はあまりにも不適切、それとも人間らしい社会?

          車線規制とトラック軍団

          新型コロナの分類が5類に移行したのを機に、3年ぶりに目立たないように故郷の生家に帰省しました。往復共に平日の為、高速道は渋滞とは無縁でしたが、道路工事による車線規制とトラックの多さに辟易しました。道路工事は5月~11月の半年間にわたるそうで、これでは積雪の影響と合わせると、ほぼ1年中この高速道がまともに機能することはないことになります。 トラック輸送についても、2024年問題が指摘されています。ドライバーの不足と労働環境改善の問題ですが、原因の大半がジャストインタイムに代表さ

          車線規制とトラック軍団

          石畳の下は蟻の地下王国

          関東南部では花粉の飛散も沈静化し、ようやく強度のアレルギー症状から解放されました。息抜きに立ち寄った近くの小公園では、石畳の継ぎ目に蟻が巣を作って活発に動き回っていました。公園の大部分は土に覆われ、野草や雑草の茂る一角もあるのですが、何故かこの石畳の隙間がお気に入りのようで、巣穴も徐々に増えています。巣穴の周りの砂は、蟻が巣作りの折に掘り返したものでしょうか? この蟻や、コンクリートの僅かな綻びに根を張って生い茂る植物といい、自然界の生命は活力に溢れています。イザナキが黄泉の

          石畳の下は蟻の地下王国

          人の思念が神そのものなのか、人の思念に神が感応するのか

          神にも代替わりがあると言う。神話の世界では、伊邪那岐命が禊で黄泉の汚れを落とすと、天照大御神、月読命、素戔嗚尊のいわゆる三貴神が誕生した、等々の記載があるが、神の誕生や代替わりは人のそれとは様相が異なるようである。神道では、人の信仰が途絶えた神は消滅し、人の信仰が再現すると神も再び出現すると説くと聞く。このことも神の代替わりの範疇と捉えて良いのだろうか? また、人が思念を凝らして祈ると、祈られた神はその祈りの善悪に関わらず感応するとも聞く。お百度参りや丑の刻参り、あるいは、仏

          人の思念が神そのものなのか、人の思念に神が感応するのか

          神が人を創ったのか、人が神を創ったのか?

          日本は、人の多様性を認める概念が希薄な社会であると言われる。確かに難民の受け入れ数も少なく、高度人材を除いては外国籍の人の採用も多いとは言えないようだ。同じ日本人同士でも、企業では未だに滅私奉公の機運が無いとは言えず、異端は白眼視され、協調性の名のもとに同調を求められることが一般的のように思える。地域コミュニティーにおいても然りである。一方、欧米では多様性に対する意識が高く、個性が尊重され、例えば同性愛者であると告白しても、差別されることなく受け入れられると聞く。 反面、神の

          神が人を創ったのか、人が神を創ったのか?

          定年のセレモニーは生前葬、それとも卒社式?

          勤務先での定年セレモニーを、生前葬に例える人がいる。本人はまだまだ働ける知力も体力もあると自覚しているのに、十把一絡げに、ただ年齢だけで職場を去らなければならないのは理不尽であると考える人である。こうした人が定年後に打ち込める趣味もなく、またコミュニティーに参加することも、あるいは参加しても溶け込むことができないタイプだとしたら悲惨である。有り余る時間を無為に過ごし、家族からも疎まれる羽目になることすらあると聞く。なるほどこうなると、定年という名の生前葬を催したにも関わらず、

          定年のセレモニーは生前葬、それとも卒社式?

          寝酒の折の戯言…人の本性は善なるか悪なるか

          以下は寝酒にブランデーを舐めつつの妄想である。 孟子は人の本性は先天的に善であると説いた。いわゆる人間性善説である。一方、荀子は人の本性は先天的に悪であると説いた。いわゆる人間性悪説である。前者によれば、人には生まれながらにして徳に発展すべき萌芽が備わっており、悪い行為は物欲の心がこの性を覆うことによって生ずる後天的なものであるとされる。後者によれば、人の生まれつきは悪であって、教育、学問などの後天的な努力によって、善の状態に達することができるとされる。 いずれにしろ、人

          寝酒の折の戯言…人の本性は善なるか悪なるか

          取り留めのない話し

          齢のせいか、近頃はエアコンよりも扇風機の方が心地良く感じられるようになってきた。猛暑が終わってからも、しばらくは秋の虫と競うようにかまびすしく聞こえていた蝉の声も、最近は全く耳にしなくなった。夕刻以降、天気の良い日に窓を全開にすると、代わって主役に躍り出た虫の声がやかましい程だ。 未だ体が動くうちにと、会社務めを定年より数年早く退職して、零細ながらも起業、わき目もふらずにしばらく死に物狂いで働らいた後、年金の受給に合わせて事業を徐々に縮小し、念願の自由になる時間がそれなりに増

          取り留めのない話し

          夢(?)に救われた話し…シンゴロ様後日談

          学生時代、私は東京の小田急線経堂駅から3分程の距離に位置する木造アパートで暮していた。部屋は四畳半一間でトイレは共同、おまけに汲み取り式という、現在の学生諸君には絶え難い代物であろうが、好立地が気に入り、学生生活2年目にこのアパートへ引越したのだ。 引越し後、未だ三ヶ月にも満たないある晩、新宿で開かれたゼミのコンパに参加し、アパートに帰りついたのは深夜の二時を過ぎていた。気の置けない仲間との宴会ゆえつい痛飲し、そんな時間にどうやって帰り着いたのかすら覚えてはいない。とにかく泥

          夢(?)に救われた話し…シンゴロ様後日談

          シンゴロ様

          私が未だ小学生の頃の話しである。当時故郷の生家では、チャーという名の犬を飼っていた。雑種犬だが妙に茶目っ気のある犬で、人の言葉こそ話せないものの、その表情からは間違いなく意思の存在が感じられた。 生家から15分程歩いた所に、かつて鳴沢館と呼ばれた館址に造られた公園がある。公園といっても丘に毛の生えた程度の小山に過ぎないが、そこからの眺めは爽快で、広く故郷の平野を一望できる。その公園に隣接した丘陵の一角に、地元でシンゴロ様と呼ばれる稲荷神が鎮座している。私自身幼い頃からその神名

          シンゴロ様

          入内 石神神社考

          青森市入内地区の奥深い山中に、石神様としてその霊験が広く信仰される奇岩がある。自然石だが、目のように見える部分から湧き出る清水が、眼病に劇的な効果があったと言う。囲炉裏生活が一般的だった昔は、煙で目を病む人も少なくなく、一帯で広く崇められてきたと聞く。現在はこの自然石からの湧水は枯渇してしまったが、付近の湧水にも同様の効果があることからなお根強く信仰され、祭日には大勢の参詣者で賑わうと言う。 人々の素朴な信仰を集めるこの聖地も、明治初年存続の危機に見舞われた。国家神道を強要す

          入内 石神神社考

          長慶金山跡探訪記

          秋田県と青森県を隔てる山塊の一角に、かつて長慶金山と称された金山跡があると言う。その名称からも伺えるように、南朝三代長慶天皇に由来すると伝承される。長慶夫皇は後村上天皇の皇子で、在位は1368年(応安元年)から1383年(弘和3年)までの16年にも及びながら、歴史上はその実在が永く不詳とされ、1926年(大正15年)に初めて第98代として皇統入りが認められた謎の多い天皇である。 一方、長慶金山はというと、江戸時代には佐竹家(秋田藩)の隠し金山として何人かの山師に請け負わせてい

          長慶金山跡探訪記

          魂魄はしばし此岸に留まる話し

          長兄が帰ってきたのは、祖父が亡くなってから十日程過ぎた頃だった。この兄は、家制度の名残りが、地方で暮らす人々の意識の中には未だ色濃く残っていた昭和の中頃、八代続く旧家の当主だった祖父と折り合いが悪く、祖父の強い反対を押し切って東京の大学へ進学していた。以来、祖父の生前は一度も帰省することなく、訃報に接した後も告別式にも参列しなかった。 尤も、祖父に合うことを意識的に避けていたとばかりは言えない。上京の背景もあり、実家からの経済的な援助を一切辞退し、新聞社の奨学制度を利用して、

          魂魄はしばし此岸に留まる話し