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定年のセレモニーは生前葬、それとも卒社式?

勤務先での定年セレモニーを、生前葬に例える人がいる。本人はまだまだ働ける知力も体力もあると自覚しているのに、十把一絡げに、ただ年齢だけで職場を去らなければならないのは理不尽であると考える人である。こうした人が定年後に打ち込める趣味もなく、またコミュニティーに参加することも、あるいは参加しても溶け込むことができないタイプだとしたら悲惨である。有り余る時間を無為に過ごし、家族からも疎まれる羽目になることすらあると聞く。なるほどこうなると、定年という名の生前葬を催したにも関わらず、以前は存在した(筈の)自分の居場所に対する未練を断ち切れず、成仏できずに斯界をさまよっている魂魄の状態に近いかも知れない。
一方で、現役時代から明確に定年を意識して心の区切りをつけている人や、むしろ定年を心待ちにしている人もいる。こうした人は、自由に使えるようになった時間を経済的に許される範囲で謳歌でき、周囲との軋轢も少ないと聞く。こうした人にとっては、定年セレモニーは言わば卒業式であり、定年は卒社と言っても良いだろう。
さらにFIREを志向する人がいる。いわゆる経済的な自立を実現させ、早期に離職する生活スタイルのことである。こうした生き方を実際に実現できる人は多くはないだろう、というよりも、現実としては極めて稀な存在かも知れないが、余程職場と波長が合い、その職場の仕事が好きでたまらないという人を除いては、仮に実現できるとしたなら、憧れない人はいないのではと個人的には思える。こうした人にとっては、自立できるまでの期間は一種の苦界であり、自立後に初めて本当の人生が始まるのかも知れない。
もちろん、すべての人がこれらのパターンに当てはまる訳ではないだろうが、多少の違いや混在はあったとしても、概ね的を射ているように思える。
私はと言えば、大学卒業後、大手証券会社、大手クレジットカード会社、新たな形態の銀行、老舗BPO企業と転職を繰り返し、幅広い業務を35年間経験した後、この間に取得した資格や実務知識をもとに、まだ体が動くうちにと58歳で個人事業主として独立した。 従って、私には定年のセレモニーの経験がない。今でこそこうしたケースは珍しくはなくなったものの、就職というよりは就社で、典型的な年功序列社会、35歳を過ぎてからの転職は、余程ランクを落とさない限り不可能と言われた私の世代では、稀有なケースと言って良いと思う。
決して当初から独立を目指していた訳ではない。妻は結婚当初から現在に至るまで専業主婦であり、安易に転職や独立できる立場でもなかった。それでも敢えて冒険したのは、それぞれの節目に訪れた流れに身を任せただけというのが実態である。
それでも、兎にも角にも独立当初は定期収入は皆無な訳であるから、それこそ脇目もふらずに働いた。やがて65歳になり、年金が満額出るようになってからは徐々に事業を縮小し、今はどちらかと言えば収入を得る為と言うよりも、自身の健康維持と居場所を確保するために細々と運営しているだけである。
さらに独立後10年の節目を迎える来年中頃には、事務所や専用ドメインの契約も更新せず、自宅や都度利用できるコワークスペース等を活用し、無料のGメールで運営しようと考えている。が、やはり現時点では廃業までは想定できない。こうした心境を顧みると、かくいう私もやはり自分の居場所に対する未練を断ち切れず、さまよっている状態に属するのかも知れない。
定年を迎えたり仕事を止めたりすると、自由に使える時間は間違いなく増える。毎朝髭を剃る必要もなければ、趣味に費やすることも自由ではある。反面、そんな毎日はすぐに飽きることも否定はできない。また、世間はもはや自分を第一線の人間とは決して見做してはくれない。おそらくこうした葛藤が、未練を断ち切れない本源的な理由なのではあるまいか?
この年齢になってふと思うことがある。学生時代に成績が良かろうが悪かろうが、大企業に勤めようが中小企業に勤めようが、人生の着地点以降においては大差はないのではないかと…。もちろんそこに至るまでの過程においては、学歴や本人の資質、そして、もしかすると何よりも運によって、様々な損得や格差はあるだろう。しかし、現役時代に如何にあがき、上を目指しても、最後は横一列なのであり、要はこの横一列であるということの受け入れ度合いによって、前記したどのパターンに当てはまるかが決まるのかも知れない。
自分のこれまでの選択が正しかったのか、それとも定年まで勤め上げた方が良かったのか、解はおそらく永遠に不明だろう。それでも郊外の建売ながらマイホームも取得し、借金も無い。贅沢はできなくても、妻子を路頭に迷わすこともなく生活はできている。この現実に素直に感謝し、心身に支障が出るまでは、取り敢えず今の生き方を是としたい。

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