見出し画像

入内 石神神社考

青森市入内地区の奥深い山中に、石神様としてその霊験が広く信仰される奇岩がある。自然石だが、目のように見える部分から湧き出る清水が、眼病に劇的な効果があったと言う。囲炉裏生活が一般的だった昔は、煙で目を病む人も少なくなく、一帯で広く崇められてきたと聞く。現在はこの自然石からの湧水は枯渇してしまったが、付近の湧水にも同様の効果があることからなお根強く信仰され、祭日には大勢の参詣者で賑わうと言う。
人々の素朴な信仰を集めるこの聖地も、明治初年存続の危機に見舞われた。国家神道を強要する明治政府の方針に則り、時の県庁によって信仰が禁止されたのだ。それでも霊泉を求める人が後を絶たなかったことから、県庁では人心を惑わす妖石として、この自然石の破壊も試みたと言う。そんな危機の中でも聖地の存続を願う地元有志の努力により、明治38年に祭神を天照皇大神、月夜見大神、大山祗大神とする神道の形式を整えることにより、ようやく石神神社として存続が許可された。個人的には石神様はあくまで石神様のままで良く、整えられた祭神とこの聖地には何の因果関係も認め難いが、往時の人々は形式はどうあれ聖地自体の存続を望んだのである。この石神様以外にも、付近には様々な奇岩や滝などがあり、現在もこの山中一帯が聖地として深く信仰を集めていると聞く。
なお、肝心の聖泉であるが、物理的にも殺菌力が強く腐らないのだそうだ。即ち不純物が少なく、酸素を十分に含有していると言うことなのだろう。こう書くと、昔は眼病の効果的な薬も治療法も無かったことから、澄んだ湧水で目を洗うだけで、何もしないよりは増しだっただけだろうと揶揄する人もいそうだが、それでは身も蓋もない。日本人は古来から自然や自然の造形物そのものに神意を観想し、崇めてきたことに想いを馳せたい。
そんなものは宗教とは言えず、アニミズムに過ぎないと言う意見も承知している。しかし、そもそも宗教なるものが説く神とはいったい何だろう。もし、世の中に神なるものが本当に存在しているとしたら、私にはその存在が、権力と金力に物を言わせて作り上げた豪華絢爛たる構築物の中に御座すとは到底思えないのだが…。
現在、世の中には特定の如何わしい人物の作文を教義とし、それを広める組織と金策作りに奔走する似非宗教が少なからず存在する。信仰とは、決して強要されたり、ましてや献金や作為的な行動を強制されるものなどでは有り得ない筈である。自身が真に人知を超える存在として畏れ、敬える存在に対する想いこそが信仰と考える。我が国の神道も、本来はそうしたものだったのではなかろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?