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昭和はあまりにも不適切、それとも人間らしい社会?

「不適切にもほどがある!」という人気TV番組があった。昭和只中のある体育会系中学教師が、ひょんなことから令和の社会と行き来するようになり、未来の縁者との交流を通じて、価値観に徐々に変化が生じてゆくストーリーである。昭和、令和、両方の世相を知る私にとっては、見ていてそれなりに楽しめるドラマだった。なおここで言う昭和とは、経済白書に「もはや戦後ではない」とうたわれた昭和31年(1956年)以降の世相のことである。
「昭和」という語に、人はどんなイメージを持つのだろう? 古き良きものを懐かしむといった、どちらかといえば前向きな意味で使われる場合も少なくはない。レトロな街並みや名曲喫茶、駄菓子屋、あるいはレコードの再流行などは、その代表例と言えるかも知れない。しかも実際の昭和世代よりも、昭和の時代を知らぬ年齢層にその傾向が強いと言う。昭和世代の私が、かつて大正や明治のイメージが強い赤レンガの建物や、ランプの灯りなどにノスタルジーを覚えた感覚と、通じるものがあるのだろうか?
一方、社会の価値観や制度などについては、どちらかといえばマイナスのイメージで語られることが多いように思える。男性中心社会、さらにその男性社会においても滅私奉公、年功序列、長時間残業、等々、好ましからぬ例を挙げれば枚挙にいとまがない。ただ経済的には、大量生産、使い捨て、環境破壊などの社会問題の裏返しとは言え、高度成長を背景とした豊かさを謳歌できた、活気に満ちた時代でもあったことは確かである。出る杭は打たれ、多様性ではなく画一性、個性よりも組織への忠誠が美徳とされ、忖度が幅を利かした時代でもあった。
家庭に目を向ければ、できるだけ若いうちに結婚し、主に夫が仕事で家計を支え、妻が家事を担って子供を育てるのが当たり前の社会だった。離婚などは想定外である。そのうえで退職後は、厚生年金なら年金だけで妻と2人で暮らせる収入を確保することを前提(現実はともかくとして)としており、妻は現役時代は無収入でも、夫が亡くなった後は遺族年金で何とか暮らすことができる。
自営業者を想定した国民年金の場合は、年齢に関わらず夫婦が働けるうちは働いて収入を得、引退後は子供夫婦に家業を譲り、その見返りとして扶養されることを前提としており、年金だけでは十分とは言えなくても、さほど問題にはならなかった。こうした社会に誰も格別の疑問は持たず、望めば男性は終身雇用の職に就くことができ、女性はそうした男性と結婚でき、自営業者は子供夫婦に家業を継承でき、当然の帰結として人口も順調に増加した。
翻って令和の世相はどうだろう? 男女平等を金科玉条に、女性の社会進出やキャリア形成が強調され、一方では副業や起業を推進しようとしている。額面通り受け取れば、もちろんこれらはすばらしい試みに違いはないのだが、ひねくれた視点で見ると、前者は人手不足対策、後者は人件費の抑制や地方の人口流出防止対策ではと、勘繰りたくなる側面も否定はできない。
事実、現在はフリーランスや非正規雇用などが増え、男性が妻子を養うのに十分な収入を得られているとは言い難く、8割以上の若者が結婚を希望しているが、実現できない人が増えていると言う。また、結婚して夫の扶養に入り、将来は夫の厚生年金や遺族年金で暮らしたいと希望している女性もまだ少なくはないのだが、相手の収入が不安定だと結婚に慎重になる一方、そうした十分な収入を得られそうな若い男性の数は減少しているのが現実である。これが未婚化や少子化、さらには離婚の増大の原因にもなっている。自営業者も跡継ぎがいなければ、家業を譲る見返りに子供に扶養されることはできない。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、2050年には1人暮らしの高齢者が1千万人を超えると言う。さらに問題なのはその中身で、高齢1人暮らしの未婚率は男性で59.7%、女性で30.2%と推計され、さらには既婚者でも、子供がいる人の割合は低下傾向にあると言うことである。このことは、まだ現在の1人暮らし高齢者は、例え別居でも子供や兄弟など近親者がいるケースが多いが、今後は近親者が1人もいない高齢単身者が増えると言うことを意味する。
換言すれば、現在は高齢者のほとんどが結婚しており、離婚率もせいぜい1割程度で、しかも再婚率も低くはない。しかし、今後は4人に1人は生涯未婚で、結婚しても4割弱が離婚し、結婚して離婚せずに老後を迎える人は2人に1人もいないかも知れないと言うことなのだ。
結婚したくてもできない人が増え、未婚者が増えている。また、結婚しても子供を持たなかったり、離婚する人も増え、1人暮らしの高齢者が増えている。こうした未婚化や少子化、離婚の増大が人口減少に結び付く、負のサイクルができてしまっているように思える。
もちろん男女の労働の対価たる収入に、不平等な格差があってはならない。また、男性と同じ環境でキャリアを形成したい女性には、当然その環境は保証されるべきである。一方で、昭和風の役割分担を是とする価値観を持つ人も、男女共に令和においても依然として存在し、女性も社会に出て男性同様働かなければならないという風潮を、逆にバイアスと感じる女性もいると聞く。
つまるところ、昭和は不適切で令和は進歩的とみるか、昭和の方が人間らしくて令和は窮屈とみるかは、人それぞれの価値観に過ぎないと言うことなのだろう。十把ひとからげに決め付けるのではなく、価値観に応じた選択肢が可能な社会が理想なのではなかろうか? それが困難であるが故に、現在の令和の世相があるのだとは言え…。 

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