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平泉藤原氏に関する伝説を伝える寺

埼玉県所沢市山口に、来迎寺という平泉藤原氏に関する伝説を伝える寺がある。伝説によると、平泉の藤原秀衡の守護仏だった阿弥陀三尊を源頼朝が所望し、熟慮の末に応じた秀衡が鎌倉に運ばせたところ、現在の東京都府中市辺りで荷車が急に動かなくなったと云う。やむをえず引き返して、伝説を伝える来迎寺辺りまで戻ったところ再び動かなくなったので、これは阿弥陀三尊の御意思に違いないと、堂舎を立てて安置したという内容である。
当時平氏、源氏いずれにも過度に加担せず、中立を貫いていた秀衡に対し、頼朝は秀衡から京都の朝廷への献上物を鎌倉経由で運搬させる等、様々な政治的圧力を強めている。この阿弥陀三尊所望の一件も、同様の圧力の一環と考えられる。
この圧力に対し、老獪な秀衡が表面上は従順を装いながらも、従者に当時の民衆の信仰心を利用した策を授け、せめて頼朝には守護仏である阿弥陀三尊を渡すまいと画策した抵抗が、伝説化されたものではなかろうか?
なお、最初に荷車が動かなくなった東京都府中市の地点には、「車返し」の地名が今も残っている。


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