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シンゴロ様

私が未だ小学生の頃の話しである。当時故郷の生家では、チャーという名の犬を飼っていた。雑種犬だが妙に茶目っ気のある犬で、人の言葉こそ話せないものの、その表情からは間違いなく意思の存在が感じられた。
生家から15分程歩いた所に、かつて鳴沢館と呼ばれた館址に造られた公園がある。公園といっても丘に毛の生えた程度の小山に過ぎないが、そこからの眺めは爽快で、広く故郷の平野を一望できる。その公園に隣接した丘陵の一角に、地元でシンゴロ様と呼ばれる稲荷神が鎮座している。私自身幼い頃からその神名を耳で覚え、何の疑問も持たずに同じように発音してきたのだが、今にして思えば「シンゴロウ」稲荷が訛ったものだろうか? 「シンゴロウ」なる人物が奉祀した稲荷、とでもいう意味かも知れないが、祖父母が亡くなった今、残念ながら身内でそれを知る者はいない。
往時参拝路には、稲荷神に特有の赤い鳥居が立ち並び、その勾配のある地形が巧く活かされた造りになっており、最初の鳥居を潜るとこの地の主神のものと思しき祠が突然視覚の正面に飛び込んでくる。そうして鳥居を潜るに従い、徐々に祠が迫ってくるような威圧感を覚えさせられる。
特に神社のような社がある訳ではない。かつては参拝路を数分歩くと到達する広場のような場所に、まるで稲荷神の一族が、その主神を上座にして一同に会したような配列で、小さな祠群が左右に鎮座していた。正面の二祠を中心に、左右にほぼ同数の祠が建立されていたと記憶するが、何故か一祠、二祠と移転され、今では正面左側には一祠もなくなり、正面右側にも空きが目に付く。複数建てられていた鳥居も今は朽ち、残念ながら一つも残ってはいない。
ある日この稲荷神へ参拝した折のことである。その日家の者は何故か皆都合がつかず、私独りで参拝することになった。何の為の参拝だったかまでは思い出せないが、ともかく独りだけでお参りするのも何となく億劫だったので、飼い犬のチャーを連れて出かけることにした。
途中館址の公園でチャーの鎖を外し、存分に遊ばせた。豊かな自然の中に開放され、思いっきり駆け回れるとあってか、何時になくチャーの機嫌も上々だった。しばらく自由にさせた後、再び鎖につなぐために呼び戻した。いつもならこの局面になると、嫌がって決まって手をやかせるのだが、十分満足したせいかこの時はおとなしく従った。
そのまま隣接する稲荷神の神域へと進み、当時は未だ健在だった壱の鳥居を潜った。例によって正面に稲荷神の祠が大きく浮かび上がってきた。弐の鳥居、参の鳥居と進み、そして最後の鳥居を潜ると、目の前はもう稲荷神の祠群が鎮座する広場である。このあたりから、何故かチャーの様子がおかしくなった。あれ程機嫌の良かったチャーが、目の前の広場を睨み付け、足を大地にしっかりと踏ん張り、決して前に進もうとしなかったのだ。何と低い唸り声まであげていた。
広場に野生動物でもいるのかと目を凝らしても、私の目には何も映らかった。藪の中に何か潜んでいるのかと全神経を集中させたが、その気配も感じられなかった。それでも態度を変えないチャーを叱り付け、何とか広場に進ませようと鎖を引く手に力を込めたのだが、決して前に進もうとはしなかった。
やむを得ず、広場の入り口付近に門のように根を張った松の古木の一本にチャーの鎖をつなぎ、独りで広場に入った。いつものように正面の祠から参拝し、鎮座しているすべての祠に順番に手を合わたが、やはり何ら異常は認められなかった。
一通り参拝を済ませ、松の古木につないだチャーの鎖を外して帰路につくと、嘘のように機嫌が良くなり、先程までのあの不可解な態度は微塵もなかった。往路同様力強く私を引っ張り、当然のように家路を急いだ。
稲荷神の祠群が鎮座する広場の前で見せた、私の目には見えない何か得たいの知れない「存在」に怯えたかのような、あのチャーの行動はいったい何だったのだろう?

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