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アメリカの「共同親権」制度 - ダディ、もう日本人でいちゃ、ダメなの? / NYCで「実子連れ去り」の被害にあった子供たち: WEEK 5

CHAPTER 12: SECOND HEARING


 2024年〇月〇〇日(月曜日)
 
 口頭審理がスタートする午後3時30分きっかりに、警察官にエスコートされて、母親は家裁の8階にある法廷に現れました。
 こういった場合の警察官のエスコートは、1階で頼めるそうです。
 自分はDVの被害者だ、わたしのことが怖い、というポーズを絶対に崩したくない。
 そういうことなんだと思いました。
 母親が事前に通訳のリクエストをしていたのか、まず「通訳をつけますね?」という質問から、この日の審理は始まりました。
 次は「裁判所が国選弁護士を手配することができますけど、これを受けますか?」
 これに対しても、母親はイエス。
 ここで通訳と国選弁護士が、ズームで参加しました。

 この日、わたしは宣誓時に自分の名前を言った以外、何一つ話す必要はありませんでした。

 「審理人(Referee)」という肩書きの裁判官は、まず母親の方に「今まで、あなたは何回送達されましたか?」と聞きました。
 二度です、と答えた母親は、受け取った訴状と召喚状を審理人に見せました。
 「もう一通、保安官が送達できなかった、あなたに対しての保護命令とその召喚状があります。これをここで受けますか?」
 母親は「それ、拒否することはできますか?」と聞きました。
 「拒否はできます」と審理人が答えたので、母親は「拒否します」と答えました。
 そしたら審理人は「それではこの保護命令と召喚状は、あなたの弁護士に渡します」と母親に説明しました。
 拒否してもしなくても、結果的には同じだったということです。

 次に審理人は、基本的なことを聞きました。
 どこに住んでいるのですか?仕事は?英語はどれぐらいわかるのか?どうやって生計を立てているのですか?
 初めは普通に答えていましたけど「週に一回のバイトすら、子供がいるので、ここ二週間は行けてません。貯金を切り崩して生活しています」と言ったところで、母親は涙を流しました。
 審理人は、その涙には何の反応もせずに「ACSからの報告書が上がってきています」と続けました。
 その報告によると、長男は、お父さんともお母さんとも暮らしたいと言っている。お父さんから叩かれたことはある、母さんからも顔をビンタされたことがある。お父さんもお母さん両方とも、アルコールは飲まない。
 審理人は続けました。
 「長男がしっかりと意思表示をしているので、裁判所としては長男にも国選弁護士をつけないといけない。その弁護士が一度長男と話して、それからもう一度口頭審理をする必要がある。来週の木曜日はどうですか?」
 「その日は他の審理があるから無理なので、その次の週の月曜日は?」とわたしの弁護士が提案し、次は二週間後の月曜日と決まりました。

 そして最高裁からの訴状と召喚状をみた審理人は「最高裁に離婚訴訟が出されているので離婚と親権に関しては、家裁にはもう権限がありません。最高裁で行ってください」と言ったところで、わたしの弁護士が、子供たちがシェルターにいるのは良くないし、普通の生活に戻すべきだと主張しました。
 審理人は、ここで母親に意見を述べる機会を与えました。
 「次男の成長の発達が少し遅れていて、週に4回スピーチセラピストが来るんですけど、シェルターですからビルに入るのが大変なんです。あちらの弁護士が言うように、シェルターに子供がいるのは良くないと思います。それに父親は子供に暴力を振るうわけではないので」とまで言ったところで、審理人は「それなら子供たちを父親に会わせないといけません」と遮りました。
 更に審理人は「このあなたの申し立てた保護命令の要請には、父親が子供にとって危険だとは一切書いていません」と続けました。 
 わたしは、スピーチセラピーは週に2回だったはずなのにと思いましたけど、この審理人の口調だと、すぐに子供たちに会えそうだったので、静観していました。
 母親は、まだ続きを言いたそうな感じではありましたけど、審理人は「とにかく子供たちを父親に会わせなさい。土曜日はどうですか?」と提案しました。
 これに対して母親は「この前起きたことが、子供たちにとってもショックだったと思うので、それが落ち着くまで、まだ会わせたくないです」と拒否。
 しかし審理人は「それは理由にならないし、あなたの判断することではない。子供たちを父親に会わせないといけないです」と母親に迫りました。
 母親はすぐに折れて、それならバイトがあるので、水曜日はどうでしょうか?と言い、わたしの弁護士が「水曜日だけではなく、それなら土曜日も、はどうですか?」と言うと、審理人は「次のケースがあるから、あんまり長く一つのケースに時間を費やすことはできない。とりあえずどんなに最低でも水曜日から木曜日、あとは、双方で話し合い、子供たちがちゃんと父親と十分に時間を過ごせるように」。
 24時間後には長男の弁護士が決まるので「明日にはその弁護士から連絡がいきます」と言われ、この日は終わりました。
 二週間後に、今度は長男につく弁護士も参加して、また審理をしないといけないということです。
 
 6歳の長男にも弁護士がつく。
 これは想定してませんでしたが、とりあえず二日後、子供たちは家に戻ってくる。
 そして弁護士を通じての話し合いで、これから週に数泊は、家に戻れるようになりそうだ。
 今日のところはこれで上出来。
 そう考えるしかないと思いました。

CHAPTER 13: CURVE-OUT

 2024年〇月〇〇日(火曜日)

 裁判官(審理人)は最低でも水曜日から木曜日と言ったんで、それならとりあえず水曜日から土曜日の午前中まで預かるのはどうか?
  弁護士のアドバイスで、まず母親の携帯にテキストメッセージで、わたしの方からそのように提案してみました。
 これに対して母親は、携帯のテキストメッセージではなく、メールで、自分の国選弁護士にCCする形で返答してきました。
 答えはノー。
 あくまでも水曜日からの一泊のみ。
 そして最後の一文は「難しい英語はよくわからない」でした。
 
 ここからは、わたしの弁護士とあちらの国選弁護士のやり取りとなりました。
 「裁判官(審理人)が言ったのは、最低でも一泊。それ以上に関しては、双方で子供たちのためにフェアなぺアレンティング・タイムを与えるようにと言ったのだから、子供たちのためにも妥協しないといけない部分がある。今はこれからのアレンジに向けて『Curve-Out(分割)』を始める期間なのだから。
 子供のことを考え「Compromise(妥協)」し、お互いに「Cooperate(協力)」しないといけないことではないでしょうか。そう、あなたのクライアントに説明してください」
 これに対して母親についた国選弁護士からの答えはこうでした。
 「どうもミセス・〇〇(母親)は英語がよく理解していないのか、水曜日の一泊だけでいい筈だと譲りません」
 しかも、つい昨日このケースの担当になったばかりなのに「わたしは今日からバケーションなんで。とりあえず次の口頭審理の前に双方でフェアなところで折り合えるか試みてましょう」と言ってきたのです。

 国選弁護士なんて、こんなもんなんだろうな。
 こういったケースで貰えるフィーはかなり低いらしいし、弁護士だってビジネスなんだから、そんなに金にならないクライアントのために時間を費やしたくないだろう。
 そう考えると、変に納得しました。
 
 しかしあまり長引くと片親疎外症候群など、子供たちに及ぼす影響・問題のことも考えないといけません。
 1日も早く、子供たちからしたら公平な時間を母親とも、そして父親とも過ごせる形で合意に持っていく。
 これを最優先に考えるしかない。
 
 そう弁護士に伝えました。

CHAPETER 14: 「SEPARATION!」

 2024年〇月〇〇日(水曜日)

 午後2時50分に、学校で二人を引き取ることになりました。
 その数時間前に、子供たちの服を全部持ってこいと母親からメールがありました。
 まだ家裁で争っているのだから、服を「全部」持っていく必要はないと思い、弁護士に相談したら「長男、次男、それぞれワンセットずつでいい。なんでも簡単にあっちの要求を受け入れないほうがいい」と言われたので、そのようにしました。
 あとは必要だろうと思い、母親の化粧品や靴、返品要と思われるインターネットのルーターなども一緒に持って行きました。

 次男は見たことのないベビーストローラーに乗せられていました。今まで使っていたバガブーのストローラーではなく、どこからどう見ても安物だとわかるストローラーでした。
 物を収納できる部分はほんの少しだけ。雨具を付けられることもできないですし、押して歩くにも、両手でしっかりと押さないとすぐに横に逸れてしまうような代物です。
 久しぶりに息子たちに会えたことの方が嬉しくて、その時は、あまり深くは考えませんでした。
 「持ってこい」と言われたので持っていった服やルーターなどを渡したら「こんなに持ってこられても困る」と全て突き返されました。
 
 何も言わずにそれも受け取り、子供二人と地下鉄の駅まで歩いて行きました。

 帰りの地下鉄で、長男と仲のいいクラスメイトと一緒になりました。
 いつも一緒にスクールバスに乗る近所の子でしたけど、今日は迎えにきた父親と一緒に地下鉄に乗っていたんです。
 女のこなんですけど、その子からこう聞かれました。
 「〇〇(長男)は、今どこに住んでるの?」
 正確な場所がわからないわたしは、ダウンタウンだよ、と答えました。
 そしたらそのクラスメイトと長男は、楽しそうに何かヒソヒソと内緒話を始めました。
 スクールバスに乗れない。違うアパートにいる。
 小学一年生とはいえ、子供たちは子供たちの間で、色々と話してるんだろうな。
 長男には長男の世界があるんだから。

 家に着いた長男は、開口一番「なんか全然違う」と言いました。
 少し片付けたぐらいで、そんなに大きく変わっていないのに、です。
 ダイニング・テーブルを触りながら「あれ、これ、ここにあったっけ?」と、なんか懐かしそうでした。

 長男は、バックパックを下ろすと椅子に座り、こう言いました。
 「ダディ、ぼくたちは話をしないといけない(Daddy, we need to have a talk)」
 そんな言い方、今までしたことありませんでした。
 我々の会話は英語です。
 これはクラスメイトたちと、どうしたらいいのかな、と相談して決めた言い方のように思いました。
  辛い思いをさせてごめんね、という思いよりも、都合がいいと言われるかもしれないですけど、一ヶ月ちょい会わなかったけど、成長してるな。
 そう思い、嬉しい気持ちの方が大きかったんです。
 「裁判官はなんと言ったの?(What did the judge say?)」「なんという名前の裁判所に行ったの?(What kind of court did you go?)」
 矢継ぎ早に聞いてきたので、「ファミリー・コートという名前の裁判所に行ったんだよ」と答えたら「けど裁判官は、もうダディとマミーは」と言うと、両手を左右に大きく横に広げると、笑顔で「セパレーション!と言ったんでしょ?」
 これは、友達とかなり話しているなと思いました。
 小学校1年生とはいえ、特に女の子のクラスメイトたちは「親なしで友達と夜出かけたい!」と言うぐらい、おませちゃんが多いですし。
 離婚率が約5割の国だから「セパレーション(離婚または別居)」している親を持つ子供も、二人に一人以上の確率ということになります。
 子供たちにとっても、そんなに珍しいことではないのでしょう。 
 そしてここ数週間、長男のクラスの子たちの間では、彼のお父さんとお母さんの「セパレーション」が、ホットなトピックだったのかもしれないです。

 「裁判官は、僕たちがこのお家にくるのはいいけど、ママと一緒でないとダメと言ったの?」
 長男に聞かれたので、わたしはこう答えました。
 「あれ、それは勘違いじゃないかな?裁判官は、〇〇(長男)と〇〇(次男)は、好きな時にいつでもこのお家に来ていいと言ったんだよ。ママとダディはまだ話し合いをしないといけないけどね」
 そしたら長男は「あ、そうだったかも」と言いました。
 〇〇(長男)には、好きな時にここにきていいんだよ、ママにリクエストしてみればいいさ、と言ったら、長男はこう聞いてきました。
 「8を2で割ると4でしょ?1週間は7日だよね。それを2で割ると?」
 割れないけど、4と3に分けられるねと、わたしは答えました。
 長男は、少し考えてこう言いました。
 「ぼくの友達は、みんなこの周りに住んでいるし、友達とスクールバスに乗りたいから、ここで4日、マミーのところで3日はどうかな?」 
 どっちでもいいよ。
 この前も他の大人の人が来て、色々と聞かれたでしょ?
 今度も裁判官が決めた「弁護士」と言う人から、色々と聞かれるから、自分のやりたいこと、言いたいことをしっかりと言いなさい。
 そう長男に説明しました。

 この後、次男を遊ばせながら、長男と宿題をやり、今までやってきた日本語の勉強をしました。
 それから1時間だけタブレットでゲーム。
 その間に夕食を作りました。

 寝る前に長男の大好きな「ブラック・ジャック」を2話読んで、さて寝るか、と電気を消しました。
 その後も「ダディ、ダディ」と長男は、宇宙戦艦ヤマトのこと、学校のことなど色んな話をしてくれました。
 長男からしたら、突然会えなくなった父親と、久しぶりに一緒に寝ているんだから、話したいことが山ほどあったのだと思います。
 いつまでも聞いてあげたかったけど「明日は学校だから寝なさい」と言ったら、長男は大きく欠伸をすると、こう言いました。
 「ここにもっと長くいたい。けどダディに会いたいと言うと、マミーが嫌がるから」
 「そうか。またマミーにリクエストしてみればいいよ」

 それ以外に、どう言っていいのかわかりませんでした。
 6歳の子供に、こんな思いをさせてはいけない。
 子供たちのために、最良の環境を、一刻でも早く作らないと。

 そう考えるしかありませんでした。

 2024年〇月〇〇日(木曜日)

 子供たちに朝ごはんを食べさせ、長男の弁当を作り、二人を連れて学校に行きました。
 長男は行きの地下鉄の中で「ママに、もう少し長くダディのところにいてもいいか聞いてみる」と言いました。
 学校に着いたら母親がいたので、じゃあね、と次男の頬をさすり、長男にハグしました。
 長男はわかった、今からママと話すから、みたいな素振りで、早く帰って、といった感じで、恥ずかしいそうにわたしのことを押しました。

 帰ってすぐに弁護士と相談して、裁判官(審理人)は、最低でも一泊で、双方で子供のために、双方でフェアなペアレントタイムを設けろとのことだったので、来週は水曜日から金曜日まではどうだろう?と提案しました。
 母親の携帯に、テキストメッセージでそのように送ったのですが、すぐにメールで返信がありました。
 母親についている国選弁護士にCCする形で、水曜日の夕方から木曜日の朝までしか合意しません、と言ってきたのです。

CHAPTER 15: BIRTHDAY

 2024年〇月〇〇日(金曜日)

 弁護士と相談して、今週末は時間があるから「必要なら子供たちの面倒を見れるよ」と、土曜日に母親の携帯にテキストメッセージを送ってみようということになりました。
  しかしこの提案も、母親はメールで却下してきました。
 それなら母親の国選弁護士に、このようにリマインドしてくださいと伝えました。
 子供の親権は双方にあるので、子供に対しての決断を一方的にしてはいけないと。 
 国選弁護士は、フロリダのビーチでフローズンダイキリでも飲んでいるのか、その日は返信がありませんでした。

 その時、スクールママ友から連絡が入りました。
 「うちの次男の誕生日が〇〇(長男)と同じ誕生日だから、来週末、一緒に誕生日パーティーをやろうと思うの。いいかな?」
 長男の誕生日は、来週の木曜日です。
 わたしは「それはよかった。ありがとう」と返信しました。
 そしたら「〇〇(母親)に、あなたもパーティーに来ていいか聞いてみようか?」と言ってきてくれました。
 当然母親の答えはノーだと思いましたけど、なら一応聞いてみてと返しました。

 離婚している親が、子供の誕生日パーティーをそれぞれやる。
 子供からしたら、毎年2回誕生日パーティーができる。アメリカではよくあることです。
 もしも来週末に友達たちと誕生日パーティーができるのなら、来週の水曜日は、誕生日より1日早いけど、今回は、家でケーキにろうそく、あとはプレゼントでいいかなと、わたしは考えました。

 この時に、あることに気づきました。
 今にも壊れそうな安物のベビーストローラーを、両手で押さないといけなかったから、長男とあまり手を繋ぐことができなかった。
 三人でお寿司のテイクアウトをピックアップに行った時も、次男を真ん中に三人で手を繋いで行ったので、長男とは手を繋いでいません。 
 そうか。
 長男からしたら、親が別れたことにより、彼自身も、父親と、そして母親とも、手を繋げる機会が少なくなるということなんだ。
 そんな当たり前のことに気づきました。
 これまで辛抱だ、我慢だ、と自分に言い続け、冷静でいることに努めてきましたけど、この時ばかりは、胸が詰まりました。

To be continued…..(続く)

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