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などなどコンプライアンス

マジでどんなにちっちゃいことでもいいから公式に出す文を書いた事がある人だったらわかると思うんだけど、大体の場合において名詞の後にはなどをつけないといけない謎すぎるルールがある。ヘッダ画像をお借りしています。

逆に言うと、名詞が来たら即座になどをつければ良いって変換できる前頭葉を持ち合わせられたのであれば、このしょうもない文上のルールを #仕事のポリシー にできたのであれば、あなたは少なくとも字書き分野においては世渡り上手の適性があるということです。

例えばこんな文を書いたら人間失格の烙印を押される。

病院で使われてる無料Wi-Fiが~

出典はぼくだ

当然正しいのは、

病院などで使われている無料Wi-Fiが~

同上

ということになるだろうか。

あまりにも馬鹿馬鹿しいと思いませんか?つまり当該文を何かしら媒体で発表する際は、自分たちが無料Wi-Fiがあるのは病院だけじゃないことを知っている団体であると、世間様に知らしめる文体でリリースする必要があるらしい。

団体としてそういう気遣いができるんですよ、もっちろん無料Wi-Fiを提供してくれるのはサ店だったり交通インフラだったり、いろんな方々ですよね、それを弊社は忘れませんよ、世の中に迷惑なんてかけませんよエッヘッヘというような息遣いが聞こえる。日本特有の個性っぽい気がして異様に気色悪さを感じる。ぼくはこんなことで愛国者ではないみたいなレッテルを貼られたくはないが事実なので仕方がない。日本の企業体質とか言えばいいですか

上の例文を書いたが最後、上司的な存在あるいはNPOとかなんだったら統括的な存在になじられるでしょうね。

「あんた何考えてんの?無料Wi-Fiって現代じゃ病院にしかないんだ?へー!知らなかった!!」

お前には知識より酸素が足りてねえよ

逆に聞きたいんだけど、「は?無料Wi-Fi置いてるのは病院だけじゃなくて弊団体(クソどうでもいいのでご想像あるいは任意の団体名をお入れくだ!w)もなんですけろおおおおお」などと抜かしてくる連中がいたとして、そいつらをはなからふるいにかけられる良い機会ではないのだろうか?

など を文中に異様に挿入した汚い仕上がりの文を書かないことで、そういう「逸脱した」連中をあぶり出せるわけです。ぼくはそっちのほうが世の中の平和につながる気がするんだけど。

など を付けて他の存在も忘れてはいないことを示唆することで一般常識ある団体だと思わせたい。そのために文中になどなどうっさいリリースを書くことに何の躊躇いもない。それは表現の自由と言えるのか。

自分で自分の首を締めて(正確に言えば「自由意志において当該団体のためにリリース文を書くという貢献をしてくれるだけの人員を、きれいごとのようなオブラートで包まれた意味不明な保守的意識でがちがちに縛り付け、憲法で保証された自由を貢献人員から剥奪する」という行為に及んで)企業活動だの非営利行為だのに及ばなきゃいけない状態が通常となってしまった皇国を思わずにはいられない。

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