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金と権力にしがみついたまま醜く死ね、とは

この対極の流行語に「謝れてえらい」があると思います。ぼくはこの休暇で「運び屋」「ジェロニモ」「二人のローマ教皇」という映画を見たんだけど、どれも晩節を汚しそうに見えてそうではない男たちの生き様が書かれていた。ヘッダ画像をお借りしています。

これらの映画を見たのは単なる偶然であり、連続して見たことに理由がない。せいぜい、順番に恐ろしく年をとったクリント・イーストウッド、恐ろしく若いマット・デイモン、恐ろしく年をとったアンソニー・ホプキンスが登場するという特徴がある。

晩節を汚す共通点を抜き出すと、は運び屋における主人公のまさに運び屋……落ちぶれた園芸屋はその怪しまれないという外見的特徴から信じられない量の麻薬を運搬して荒稼ぎする老後を過ごした。

ジェロニモはアメリカが現在の大陸に侵略してきたときに最後まで抵抗したインディアンと呼ばれてた人たちのなかの戦士である。アメ軍に拘束されて不当に扱われた仲間、および殺された仲間の尊厳のために拘束を受け入れた施設内で抵抗し、とうとうアメ軍と戦って死ぬことを決めた。ぼくはこれを晩節を汚したとは思えない(むしろ侵略したアメ軍が勝手に一方的に汚してきた)のだが、アメ軍に降伏してしまったジェロニモの仲間たちからは、晩節を汚しやがって、仲間を危険な目に晒しやがってと思われたのかも知れない。

実際ジェロニモはかつて友達とさえ思えた米軍の士官に説得され再度登降し、抵抗した仲間、しなかった仲間とともに石炭運搬汽車みたいなものに押し込められてどこかよくわからない場所に輸送されたという事実のみが描写され、映画自体もそこで終わってしまう。非業の死にかたすら与えられなかったのだ。同様にジェロニモを殺したくない一心で説得した士官にも何の恩赦もなかった。

だからジェロニモについて話すと、やっていることはただただアメ軍の浅ましさ、狡猾さ(狡猾って別に頭いい奴が主人公の周りぐらいにしかいないぐらいほかはカスばかりなんだけど)、理不尽さばかりなので、こういうことあまり言いたくないんだけどジェロニモを通して、アメリカがアメリカ大陸の先住民に対してやったことが、今ロシアがウクライナにやっていることと変わりがないっていう哀れさ情けなさ馬鹿馬鹿しさが浮き彫りになってしまうのであまり話したくなかった。アメリカが晩節を汚すのかどうかにはまるで興味はないが、当節は恐ろしい勢いで汚しきったと言えてしまう。だって今のロシアと同じなんすよ……

二人のローマ教皇についてはぼくは語る言葉が少ない。先代のいた頃の教会は腐敗があったが……それを乗り越えといいますか受け入れたまま体制を動かさないと教会そのものが破綻してしまうから仕方なかった、みたいな。

でもそんなの教会の威厳がどうなろうがそのとき小児性虐待をしていたのであればそんな連中の尊厳なんて残す必要がない……のではないだろうかと。果たして自分が汚したわけじゃない晩節を次の教皇が受け取る羽目になった部分をどう思うかによりこの映画への愛着は変わりそうな気がする。終わり方はきれいだと思うんですけど。

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