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NHKスペシャル看護師たちの限界線 感想/終

※流行り病についての描写があるため、あまりそういった話題を得たくない方は閲覧をお気をつけ下さい。

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pneAjJR3gn/bp/pGov65gNlz/

東京女子医科大学病院の看護師たちはこれまでにない看護体制を強いられており、特にICU(集中治療室)には重症患者がいるため勤務時間内のほぼ一日中防護服に身を包んでいなければならなかった。

当然防護服を装備した上では身を尽くすような医療に当たれず、それだけではなく疲労も通常の倍は生じる。

決まった時間に投薬、検査するだけなら人間がする必要はないと考える現場の医療従事者たちは、人間だからできる手を握って優しく声をかけたりする看護を懸命に続けるが心身のダメージは管理者たちが思うより重症だった。定年退職者や産休者まで現場に呼び戻される。それどころか見返りとなる給与支給がまったく満足におこなえないほど病院の経営は追い詰められてしまった。

ICU3年目看護師の行く末

ICUに配属されて3年目となる看護師の京河さんは責任範囲外へ対しても尽くしてしまうタイプであることがわかるように描写されている。

それを身近で一番良く知っているだろうお母さんがある朝、京河さんが臨時休息場所として寝泊まりの義務を与えられ配属されているホテルの出口で待っていました。お弁当を渡しに来る。

2021年2月。朝の定例会議では、今日もICU重症患者が息を引き取り出棺したという報告がなされます。京河さんはメモをとりながら参加していますが、このときばかりは固まってしまったように見えます。メモしてどうにかなることをいま私は聞いているのだろうか。と、あるいはもっとご自分の根幹になることを考えておられるようにぼくには見えました。私のしていることはなんなのだろう。いま失われた命はどうして失われたのか。

看護師長とさらに先輩なのかもうひとり、と同席した部屋に京河さんはおり、退職を申し出ましたが看護師長からはおそらく引き止めに分類されるだろう言葉が投げかけられます。

視聴者の勝手な主観で意訳すれば、いま離職せずにキャリアを育てたほうがいい、この(あまりにも過酷な)状況は離職者の人生の全体の何万分の一でしかない、今年より酷いことは(おそらく金輪際もう)ない、というもの。

看護師長は経営的な側面からも発言しなければならなく、もちろん現場が手に負えなくなる=看護師たちの扱いを適当にしてしまうことで離職率が下がる対策なんかもしなければならないという、絵に書いたような管理職であり、その重圧はどんな立場からも計り知れないはずです。

そんな彼女が離職意思を持った者を説得する場面のビデオカメラ撮影を許可しているため、その言葉にほぼ偽りはないと思えはするのですが、数年後を見据えなければならない人間と、まさにいま現場で命を見送らなければならない人間との価値観の溝を埋める作業はその場限りでは不可能であるようにも映る。

離職の動機

決定的に離職に繋がった出来事があった。ある患者から「いま自分にさわれるかどうか」と聞かれた。

看護師長たちは、確かにこの状態は患者からしたらつらいことこの上なく、真面目な看護師だからこそその言葉を真っ向から受け止めるしかできず、触っていいわけではないから触れない、他の大勢の健康な人々や軽症の人々に害を与えないためにいまあなたに直接触ることができないというような建前で自分を奮い立たせることが出来なかったんだねと優しく京河さんに声を書けました。

建前の部分は再びいま勝手な主観で補足しましたが、おそらくベテランの看護師たちはそのような切り替えを常に現場でおこなっており、感覚を鍛えている。

敢えて誤解される可能性を伴う言い方をするのであれば、心をすり減らす戦いに上手く参加しないように生きている。死んだ人がいたとしてもそれは普通の企業でいえば経常利益が上がった下がったのような、黙って通過すべき結果でしかない。その場所に所属して生きているのであれば、多かれ少なかれ必ず起こりうる出来事として受け入れ、あるいは受け入れる必要もなく自分の中で処理しなければならないことである。

どこからか話を伝え聞いていた、既に引退済みながら現場に呼び戻されていた直接の指導者でもあった先代看護師長は、それを聞いてもったいないと、自分の子をそこまで追い詰めてしまったように感じると伝えます。現看護師長の立場や撮影クルーが入っている状況を踏まえた上で発された内容だったとしても教え子のキャリアにとってもったいない出来事であり、それを看過してしまった自分を責めたい気持ちは割とあるのでしょう。

京河さんは現在の職場に所属し続けたのであれば看護という職業が一生継続できなくなるであろう治療不可能なダメージを受けてしまうと判断した。今後も看護で生きていくために今の看護をやめるべきだと思った。建前という壁、あるいは存在理由とも呼べるもの、もしくは呼ぶためのものが創れなかった人がやめることをぼくは逃げとは思えなかった。正当な理由のように思えました。

そして本格的に産休に入らなければならなくなった嘱託の方も現場を降り、心身疲弊で現場を離れた方は戻ってきた。今回の現場で自分の中で揺るがなかった部分が完全に折られたことでフラットな状態となったため、改めて一から知っていくために戻ってきたそうでした。こちらの理由も納得できてしまった。

新卒の看護師は131人おり、東京女子医科大学病院に配属された。その中から、もちろんICUにも男女合わせて6人。新型病と向き合う意思をもって臨んだ人たちだったということです。

エンディングでは、それでも生き続けるために街を歩く人々、初めて1kg防護服やマスクを装備するためのチュートリアルを受ける新しい看護師たちの姿を背景に、対策用の政策発表を話す政治家たちの声が流れて終わる。

後記

感想は本文で折に触れて述べてきましたので特段に触れる必要はなさそうに感じていますが、看護師という特殊でありながら全ての人間にとってなければならない職業、さらにその中でも特殊な状況の最前線がどうなっているのかを知られるドキュメンタリーだったと思っています。

たまたま報道の仕方がNHKスペシャルであっただけで、プロフェッショナル仕事の流儀であっても、あるいはサラメシであってもおかしくはない、彼女たちにとっては当たり前の日常だった。

お読みくださりありがとうございました。

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