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「SNS強者でありたいおじさん」について

ぼくがSNSに恐怖した時のことを綴っているやーつの続きを書いています。ヘッダ画像をお借りしています。この絵が好きで何度も借りてしまう。

果たしてぼくが感じていたこの「SNSハラスメント」とでも言うべき現象はなんだったのでしょうか?

この前、すんごいそんときのその人を彷彿とさせる字の書き方を見つけてしまい戦慄した。奇しくも同時期におじさん構文について書いていて、

なぜそんなはっきりと間違ってるとわかりきってるフレームワークに手を出してしまうんだろう?とか言ってたのにそれ系の「SNS強者でいたい感じおじさん」みたいなのまで量産されてしまうんだろう?

かくしてぼくの眼前には、当時のSNS強者になりたがりおじさんと寸分たがわぬコピー度合いで構文を垂れ流すおっさんがそびえ立っており、書かずにはいられない。

例えばこんな感じです。

・~は△と言ってるのだが、俺は◯◯と思っているwwwwww
・~も良いと思うぞ(◯◯している限りはな)。
・~だもんな←◯◯系の俺が言うことじゃねえwwwwww

つらくなってきたのでこの辺にします……

いつかまた束ねて書きたいのでその叩き台だけでもここに残しておくんだけど、下記のような表現を好む人って「どうしてもSNSで動じてると思われたくない人」「常に上から目線で構えていたい人」「余裕がある俺かっこいい」「何があろうと自分の意見こそが正しいし、正しいなら押し通したい」みたいなのが見え見えで今回論じてるおっさんたちとほぼ同じ気がする。

・まあ
・ま、
・ぶっちゃけ
・正直
・はっきりいって

独自研究

あまり関連性を求めたくはないんだけど、なんでも実況Jみたいな恣意的に特殊な言語を使ってるとこ以外であれば(別になんでも実況JとかUを褒めてるわけじゃない)匿名掲示板のどこかしらでも開けば上記のような例が相当見受けられる気がする。なんでか

ぼくは当時SNSにおいて、お相手さんの年齢とか住まいとか職の業とか勘ぐること自体が個人情報保護の観点からいやだろうな、と思ってたので探りも入れないし自分からも発さなかった。でも今回見聞きした方々は確かにそれなりの人々であり、おじさん構文という単語の名称って差別的できついなと思ってたんだけど奇しくもそれを裏付けた感じになってて現段階においてもなんといえばいいのかわからない……いま頑張って言葉を濁しているが、なんとなくご理解いただけなくても幸いだ。

旧時代のSNS運用がどんな傾向だったか、が影響して現代のSNSは再構築されているはずです。つまりSNSにおいてユーザがどのような行動方針を取るのかがある程度ベンダー側に握られている。そしてその結果、多分承認欲求がUGCを喚起するように仕向けられているのはもう織り込み済みで仕方ないように感じます。仕方ないつって別にユーザ側がそれを一切許したわけじゃない。

つまり自分が良いと思って、好きだと思って発したその文は恣意的に書かされたものである。ナッジ理論に真っ向から喧嘩を売った悪しき行動経済学を利用したマーケティングである。

現代では好きなコンテンツを好きと言わない状況にあることもそれを物語っている。いわゆる「推薦」の、すいの時を使ったきっつい表現のことですね。

どうして「自分」という「個」が好きなものを他人に推薦しなきゃならないのだ……?俺たちは無限広告発生機なのか……?

その問いに答えることもなく、今日もメディアはRT・フォローキャンペーンを続けている。RTもフォローも人様の思想を左右する、自由意志により発される行為であるにも関わらず、なになにのプレゼントがほしくば公式アカウントをフォローしろwwと押し付ける。

ここnoteもそう(キャンペーンに参加したければ企業アカウントをフォローしろ、当該企業はお前のアカウントなどフォローどころか見向きもしねえけどな、の意を隠そうともしない)なので、ぼくらがここに居続ける以上、マジで表現や言論を扱うプラットフォームユーザとしての品性がぼくらには問われ続けられることを意味している。


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